初めて私がオーストラリアに来たのは2007年5月。寒〜い冬でした。
バサーストというNSW州郊外の幼稚園から高校まで一貫の私立学校の日本語教師アシスタントのボランティアをやりに来たのが最初のきっかけでした。
英会話などまともにしたことがなかったので、一人で行くので、旅行でもないしなと、軽い気分転換ぐらいのつもりで最初は来ました。アメリカでもカナダでも英語が通じればどこでもよくって、たまたまネット検索していて面白そうだと連絡を取ってみて、それがたまたまシドニーの会社で、何日に来てくださいという指示に従ってトントントンと来てしまいました。
その学校の日本語科の教師であった日本語教育の 重鎮のリッキー筆子先生との出会いもあり、日本語の教科書の音声の声優などもやらせてもらったり、現地の高校生と軽く触れ合ったり、英語ができなかったので交流は限られたものでしたが。全く新しい時間が体験できました。そして、その当時抱えていた、ひどい肩こりと頭痛の慢性疾患のようなものがこの期間で気づいたらなくなっていました。
その後、日本に帰る前に都会も見てみようということでシドニーに出て少し滞在してみることにしました。少し都会の方が私には暮らしやすいようでした。当時流行っていた、美容師か調理師の学校を出て永住権取りませんかという広告を日本語媒体の新聞で見つけて、連絡を取り、相談無料と書いてあったので話を聞きに行きました。レストランで働きながら学校に行けば永住権が申請できるという。なんだか人生変わりそうな響きに乗ってみようかなと。当時29歳。年齢が永住権審査の得点に関係してくるのでタイミングは早い方が良さそうでした。(この職業専門学校卒業ですぐ申請できる方法は、私の卒業後間もなく廃止になりました。)
大学を休学中であったのですが、大学に問い合わせると、在学年数の2倍は在学できるから12年以内に卒業すればいいという、かなりフレッキシブルな答えが返ってきたので、2年くらい花嫁修業がてら料理でも習うのも無駄にはならないだろと数日後には入学を決めてしましました。一度帰国して、契約していた大学近くのアパートを引き払い、オーストラリアに行き調理師専門学校に入学。 レストランでバイトをしながら勉強して、卒業と同時に永住権を申請しました。
その3年後、無事永住権が降りました。
ビザを理由に日本に帰らなければいけないというタイムプレッシャーは無くなりました。
大学のことは気になってはいましたが、日本に戻る決断がつかなかったので、こちらの日本企業で事務をしたり、日本での在学中に首と頭が痛くて勉強の続行が困難になったことを解明したくて、マッサージの学校で勉強をしてみたり、資格が取れたので働いてみたり。
そのまま働いたり遊んだりしている間に、結婚がしたくなり、当時付き合っていた夫と結婚しました。
その後マッサージ店を3年くらい営業した後、子供が生まれて、日本に帰るということの現実感の方が薄れてきたので休学を繰り返していた日本の大学は退学をしました。
日本での大学も残りの年限が3年半あったので、こちらで同じぐらいの期間で終わる他の学部を終わらせようと考えを変えて、何か就職できる確率が高く移民であるハンデがあまりないような専門職につきたいなと思い、とりあえず手始めに全然違うことだけれど夫に勧められた会計をやってみたがハマりきれず。少しはバックグラウンドがあるヘルスサイエンス系に戻り超音波診断を目指しましたが、人気のコースで入学できず。比較的入りやすかった看護学部に入学、その成績を使って1年後にBachelor of Medical Sonography からオファーがでて今のコースに到着しました。
こうやって振り返ってみると、なんか行き当たりばったりですね。
すごく波乱万丈な人生ですね!楽しそうでうらやましい限りです。肩こりと頭痛が無くなったのは、興味深いです。
hajimekara_ippoさま
コメントありがとうございます。
日々の生活は淡々としたものです。ロケーションを変えたのはパラダイム変換でした。
肩こり頭痛は女性の場合特に首の筋肉が弱く、加えて強度の近眼であるため自然と頭が前に出てしまい首の筋肉に常に負荷がかかった状態で勉強実習により睡眠不足が続いたからであるかなと。さらに冬だったりして外気温が低く血行不良が続くと、疲労物質が正常に筋肉から排出されず、機能不全を起こし首にある自律神経系等を圧迫ていたと思います。
当時は座ることができず、ベットに横たわり、首だけ出して、床に本を置いて勉強していました。
勉強をやめ姿勢が改善されたから治ったという、単純な話でした。
Koalaさん、
毎度楽しい記事をありがとうございます!
ぼくも永住権を取った時のことを思い出しました。
ごとう ひろみち さま
永住権。みなさん話を聞いてみるとそれぞれドラマがあって興味深いです。
日本に帰って大学に戻っていたら、どんな人生だったのだろうなとたまに考えます。