久しぶりに会う、スパで働いている親友とお茶をした。1日11時間拘束10分ランチの鬼シフトで週5日勤務に耐えられず、勤務先に行けなくなり医師とカウンセラーの診断書をもらってsick leaveを取ったそうだ。私としては忙しい彼女と catch up できたのでよかったが。
彼女は正社員固定給なので、会社の方としては彼女をできるだけ使って、時給で雇う人たちの時間を減らして利益を出したいという状況のようだ。しまいにはストレスでコンロの火を消しわすれなどの日常生活の中にまで危険なぼんミスが増えてきて本人も事故を起こしそうでもう限界に達していたようで。泣きながらマネージャーに連絡を入れて全ての仕事を一旦キャンセルすることになった。
自分のやっていることに意味が見出せれば苦境にも耐えられるという話を心理学者の加藤諦三さんが以前ラジオで話していたのを聞いたことがある。高いモティベーションを持って仕事に挑むならば、長時間労働による高いストレスにも耐えられるのかもしれない。モティベーションが持てない仕事内容プラス、労働時間を自らコントロールできない量の長時間拘束が加わるとストレスアウトのリスクは高まる気がする。彼女はビザの関係で仕事を辞めることができないというところに付け込まれている。
以前私も、あれはバーンアウトだったのかもしれないなという経験がある。大学入試のセンター試験で失敗して、受けるつもりだった医学部を受けても合格の見込みが薄く、代わりに受かりそうな歯学部に直前で変更した。教養の基礎科学の履修が終わった直後、さてこれから臨床が盛り沢山というところでなんの気力も無くなってしまい、勉強内容が全然頭に入らず、大学に行けなくなってしまった。病院に行くと鬱ですねと抗うつ剤を処方されたがそれが体に全然合わず、さらに体調が悪くなりとどめを刺され、結局休学した。
その大学では基礎科学は医学部と歯学部の合同で行われていて、基礎科学の時は医学部の友達半分ぐらいで、かつ歯科臨床の科目もなく、今思うと、気持ち的には医学部に入ったつもりになっていたのかもしれない 。臨床の勉強が始まると、自分はこの方向で進んでいっても医師になることはないのだということに歯の模型を彫ったりする実習なかで次第に感ぜられてきて、 自分のやっていることに心からの意味が見出せなくなくなっていた。そこに、長時間のコミットメント(実習がきつい。11時間ぐらいの拘束かつ帰ってからもレポート等の作成で起きている時はずっと)。心が耐えられなくなってしまっていた。
人生の質を高めるためには選択と集中が大切だと思うし、そのためには1日の大半を仕事に費やすことはある時期には必要になってくる。hard workには高いエナジーが必要だ。最初の動機がそのhard workの内容にマッチしていないとburn outしてしまう。
医学部はどこも難関だし入れないかもしれないし、入ったところで能力不足や加齢や子供のケアによるハンデやらで、医師になることも、現実むづかしいのかもしれない。結果的に何か別のことやるにしても、ハードワークで没頭できる仕事で社会貢献をするには、自分の人生における価値観を外さない選択をすることは重要。同じ失敗を繰り返さないためにも。などなど。ふつふつと思った日でした。
Koalaさん、
今回の記事の内容は、Existential angstに触れたもので、共感できる部分が多々ありました。(ぼくは10代後半の時に加藤諦三さんの本をたくさん読んだことがあります)
記事を読みながら、ニーチェの Those who know a why to live can bear almost any how. Friedrich Nietzsche という言葉を思い出しました。
ぼくは、小さいころ(たぶん幼稚園)から「生きる意味」ばかりを考えている、生き辛い子供でした。幸い、高校を中退し、「頑張らない」こと、「必要なことをだらだら続ける」ことを心がけることによって、現在の場所にたどり着くことが出来ました。また、「生きる意味」を探すのではなく、「生きている自分の意味」を模索することで、違う世界が見えるようになりました。
どんなことをしても、Existential angstは無くならないと思いますが、同じ場所に座り続けている限り、見えてくる景色は変わりません。Koalaさんが思い描くような未来が近づいてくることをお祈りしております。
最後に、ガンジーの名言にぼくが少し手を加えた言葉を送ります。
Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.
Love as if your beloved were to die today.
Hiro
おそらくそのニーチェの言葉が加藤さんの話の元ネタだと思います!
昔の人はもっと人生がシンプルだったのかはわからないけれど、本質に迫った、いい言葉を残してくれていますよね。
ラッキーにも人間として生まれることができたからには、私も僭越ながら実存を追求したいです。その辺が医学部志望の動機にもなっている。
現代社会にある色んな楽しみ方はそれはそれで存分に楽しめばいいと思うけれども、人生は短い。
ガンジーの言葉のアレンジメントはインドで死を待つ人の家で考えを巡らされた時のものでしょうか?実存主義のハイデッガーの思想にも通ずる深いい言葉ですね。
医学部志望の動機が面接でおそらくきかれるとおもうので、自己分析中です。病の苦しみを和らげたいというのが一番にある。しかしながらもう少し掘って考えると、アホな自分が日々怠けたり雑多な楽しみに耽溺しないで実存を追求できるのだとしたら、戒められる環境に身を置かせていただくことが一番いいのではという、エゴイスティックなところに帰着してしまうんですよね。結局自分のためかよと…命と真剣に向き合っているような人に寄り添うことで自身の実存を追求したいというのは私のエゴなんですが。その辺が歯学部に意味を見出すことのできなかった本心のようです。
加藤諦三の本が好きなら、秋山さと子、河合隼雄、土井健郎、小此木圭吾、ロロ・メイ、フロイド、ユング、ラカン、アドラーなどの本も興味を持たれるかもしれません。
ハイデガーの本「存在と時間」を読もうとして、書籍の文字の小ささに閉口し、挫折したことを憶えています。なので、ハイデガーの思想は知らないんです!キルケゴール、ニーチェ、サルトル、ボーヴォワールの本はお勧めです。
ただ、実存主義の考え方に偏り過ぎると、どうしても好戦的になっちゃう自分自身があまり好きでなくて、最近は実存主義の本は読んでいません。ぼくは難しいことを考えられないので、精神科医ビクター・フランクルの「夜と霧」のような実体験に基づいた教訓に感銘を受けてしまいます。
エゴは大事です。エゴは、精神疾患からぼくらを守ってくれる防御機能のひとつです。また、「面白い人」は(深い意味で)つねに「エゴイスト」です。大事なのは、エゴと社会をどう共存させるか、ではないかと個人的には思います。
ぼくは、加藤諦三さんの本を読んでいる同じころ、竹内均さんの本を読んでエゴについて大事なことを学びました。竹内さんの生き方はシンプルで、ぼくも彼の生き方を模倣しています。
(1)自分の好きなことをして生きる
(2)そうすることで自分が食べていける
(3)そうすることは人のためになる
この3つを満たすものを見つけることはとても大変です。それこそ、自己分析が大事になります。多くの人は(ぼくも含む)、カウンセリングが必要になります。
最後に、エゴって複雑で、どんな仕事をしているか、どんな人と付き合っているか、という程度のことでは触れられない部分を持っています。それはおそらく、実存主義者が言うところの「Being – 実存」の一部であり、Existential angstの源泉なのだと思います。
哲学書の現ナマを読むのは流石にきついですよ。もう小さい字なんか教科書でもなければ読まないです。最近はもっぱらAudible です。 加藤先生の本は 文体が冗長で苦手だったかも。ただ、先生がパーソナリティーを務めてらっしゃるテレフォン人生相談というラジオのファンです。 声に優しい人柄が出ていて素晴らしい方だなと。
夜と霧、竹内均などなど、面白そうですね。ぜひ機会を見つけて一通り読んでみたいと思います。理科系の研究人が書いた本は、冗長なところがなく理路整然としていて、随筆系でも読みやすい。
私めの自己分析に付き合っていただき恐縮です。 強い強いエゴの扱いに難儀しています。面接でもエゴイスティックな動機で終わらしてしまうとネガティブな印象ではないかと気にしていましたが、精神疾患から守ってくれる防衛機制の一つでさらに人間的な面白みがある人が持ち合わせている性質でもあるというのは意外な見解。ここからもう少し掘り下げられそうです。アドバイスありがとうございます!