Tag: 海外生活
【検証】林修氏の「幼児に英語教育は不要」は正しいのか?
林修氏という教育者がいる。知人によれば、「いつやるか?今でしょ!」という有名な文句を持った、東進ハイスクールの予備校講師だという。
東京大学法学部卒の高学歴を持つ林氏の頭脳明晰ぶりは有名なようで、「林先生が驚く初耳学!」という人気テレビ番組の中心人物である。
最近になって、その番組「林先生が驚く初耳学!」で発した、早期英語教育に関する林氏の一言が議論を巻き起こしているという。
その一言とは、「幼児に英語教育は不要」
というものだ。
ぼくは、林氏の「幼児」の定義が分からない。ゆえに、林氏の意見に賛成も反対もできない。ただ、幼児を「小学校以前の子供たち」と一旦定義して林氏の意見を考えてみたいと思う。
第2言語学の習得の臨界期から考えると・・・
第2言語の習得の臨界期(ある年齢を過ぎると言語の完全習得が不可能になる時期)は、様々な意見があるものの、だいたい7歳ぐらいだと言われている。このことは、つまり、小学校1,2年生で英語を始めても完全習得に遅くはないということになり、林氏の意見「幼児に英語教育は不要」は擁護される。
さらに、大人になってから英語を勉強し始めた場合でも、「外国語が日常的に使われる環境に身を置き、高いモチベーションを持って聞き取りや発音のなどの音声的な訓練を長期間行なえば、10%以上の人がネイティブ並みといえる文法・発音能力を習得できる」という研究結果がある(Wikipediaより)。これは、林氏の意見「幼児に英語教育は不要」をさらに擁護するデータである。
ぼくが英語を真剣に勉強し始めたのは18歳からである。それを考えれば、ぼくの第2言語の習得の臨界期はゆうに過ぎていたことになる。しかも高校を中退しているため、ほかの友達よりも学歴の点では劣っている。そのためか知らないが、ぼくの英語の発音はネイティブ並みとはお世辞でも言えない。それでも、英語の質そのものはネイティブのそれを変わらないのではないかと思っている。その「質」の土台となっているものは何か?
それは、思考力である。簡単に言えば、考える力である。
ちなみに、林氏は同番組内で「幼児期は英語よりも思考力を伸ばすべき」と主張している。
ぼくは林氏の意見に賛成はしない。林氏とは違い、ぼくは「英語は思考力と一緒に学ぶことが一番効果的」という考え方を持っている。つまり、林氏の「英語or思考力」という考え方ではなく、「英語and思考力」という考え方を持っている。この考え方こそが、日本政府が長年迷走しながら改革を進めている英語教育の羅針盤になるとぼくは考えている。
「英語and思考力」の教育を具体的にどうやって実現するかは、「なりたい自分に最短でなれる英語勉強法」の後半で触れています。期間限定で無料プレゼント中ですので、ご気軽にどうぞ。
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ちなみに、第1言語学の習得の臨界期から考えると・・・
英語を第1言語として習得するには3歳前から英語教育をスタートさせるのがベスト、と主張しているのが元イェール大学助教授の斉藤淳氏である。子供に高い英語力を身に付けてもらいたいと思っている親御さんは、斎藤氏の著書『ほんとうに頭がよくなる 世界最高の子ども英語 わが子の語学力のために親ができること全て!』を読まれたい。
出典:毎日放送
TOEICの成績が上位1%未満の中学生が登場。その勉強法とは?
日本人にはTOEIC好きが多いらしい。なかには、TOEICで連続50回満点を取るほどのめりこむ人がいるという。
そんなTOEICについて興味深い記事があったので、ここで取り上げようと思う。神戸新聞の記事で「神戸の中1、TOEIC980点 海外生活ゼロで」というタイトルがついている。
タイトルから分かるように、留学経験ゼロの中学生が、TOEIC受験者の1%未満しか取れない高得点を叩き出した話だ。👈正確な数字は分からないが、TOEIC=895点以上の成績を取っている受験者は3.3%しかいないので、980点はおそらく上位1%未満の成績だろう。(詳しくは統計をどうぞ)
中学生の名前は、藤田紅良々(くらら)さん。帰国子女でもない彼女は、6歳で英検準2級、7歳で英検2級、小学5年生で英検準1級に合格している。2017年のTOEICの点数は、リスニング485点、リーディング495点の高得点を取っている。
この記事に説明されている藤田紅良々(くらら)さんの英語上達の秘訣を、簡潔にまとめるとこうなる。
3歳の時に英語の保育教室に通った
毎日25分、スカイプで英会話した
英語の絵本を英語で読み聞かせてもらった
英語の小説が好きになり、たくさん読んだ
辞書は引かない。分からない単語がまた出てくるまで英語シャワーを浴び続ける
電子書籍などを英語で読み漁っている
ひとつの文章にまとめると、3歳から英語の発音と文章に触れ始め、好きになった英語を自分の頭で考えながら勉強し続けている、ことがTOEIC高得点の秘訣だと言えるだろうか。
日本には、好きこそものの上手なれ、という言葉がある。それが若い人に当てはまると、上達の速度はとんでもないものとなる。野球場のロケット風船みたいにピューっと空高く舞い上がっていく。
ぼくみたいに英語を遅くから始めた場合でも、「好きになること」と「続けること」の大切さは、忘れてはならない。石の上にも3年、だからだ。ぼくなりの英語上達法は、セミナー「なりたい自分に最短でなれる英語勉強法」で紹介しています。←期間限定で無料プレゼント中です。
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ちなみに、藤田紅良々(くらら)さんの将来の夢は翻訳家だという。海外の良書をたくさん日本に取り入れてくれる偉大な翻訳家になってくれたら、と願っている。
オーストラリアの現役医学生が「旅人が最も行ってみたい10の世界の町」に選ばれたフリーマントルをブラブラ散策してみた
世界版「地球の歩き方」と言っても過言ではないLonely Plant誌によれば、オーストラリアのフリーマントルは、世界の旅行者が一度は行っておきたい10の町のひとつ、だという。
Wikipedia によれば、フリーマントルは、西オーストラリア州の州都パースから南西19kmに位置する街で、人口は約25,000人。ちなみに、日本の姉妹都市は横須賀市。
フリーマントルという名前は、スワン川植民地計画を指導したイギリス海軍の船長チャールズ・フリーマントルに因んで名付けられている。歴史的に、フリーマントルという町は、イギリスが行ったオーストラリア植民地政策の拠点のひとつだった。植民地政策が終わってからも、フリーマントルはいまだに港として大きな役割を果たしている。
ぼくは久しぶりに土曜日に時間が取れたので、フリーマントルで「ブラひろみち」した。
日中の気温が37℃だったので、少々暑いなぁと感じながらも、日陰に入ればカラッとしていて、とても過ごしやすい一日だった。
ぼくは町を散歩するとき、ネットで「フリーマントルに行くならここだけは行っておけ」みたいな情報は見ない。自分が行きたいところに、こころ赴くままに足を運んでいく。
ジェラートの甘い香りがすれば、鼻をクンクンさせながらそちらのほうに行ってみたり、遠くからディジュリドゥ(先住民アボリジナルピープルの伝統楽器)が聞こえてくれば、耳をぴくぴくさせながら音源のほうに歩いて行く。
赤の他人が高評価している場所よりも、ぼくが歩いているその瞬間にしか体験できないことを、ぼくは優先して選んでいるのかもしれない(←Carpe Diemかな?)。そのため、ぼくの動画は旅行者向けではないのかもしれない。
それでも、ぼくがその時出会った人たちとのふれ合いのおかげで、フリーマントルの町はゆったりとして楽しいところだなぁと感じることができました。感謝。この記事を読んでくれているあなたにも感謝。
https://youtu.be/LCawimYFXVo
オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら
ぼくは2014年からオーストラリアの医学部に通っている。
医学部に通っている間は収入がないので、家賃や生活費をオーストラリア政府の学生補助金Austudyから支払っている。補助金の詳しい内容は、政府のページもしくは拙著『豪州永住権の手引き』をどうぞ(←書籍は無料プレゼント中)。
医学部に通いながらアルバイトする学生もいるが、そのほとんどは生活費を稼ぎだすというよりも、勉強漬けの毎日から精神的に解放されるために、週1、2回パートタイムで働いている感じである。
ぼくも英語コンサルをしたり、翻訳の仕事をこなしてはいるが、Austudyが無ければ生活と学業を両立させることは不可能である。
ぼくは2017年、医学部を休学し日本に帰国した。その間はAustudyの受給を一時的にストップしなければいけなかった(Centrelinkのオフィスに行って、一時停止してくださいと言えばできる)。
在学していないのにAustudyを不正受給すると、政府から訴えられるだけでなく、そのほかの福祉補助金を受けられなくなる可能性があるので厳重注意。
休学期間が過ぎ、ぼくが日本からオーストラリアに戻ってきたのは、2017年の11月である。11月に帰国したのは、12月からのElective Placementの準備をする必要があったからだ。
Austudyの一時停止を解除し、受給を再開するには、Austudyを再度新規申請しなければならない。ぼくはオンライン申請ではなく、わざわざVictorial ParkにあるCentrelinkオフィスに出向いてAustudyを再度申請した。
オンライン申請ではなくオフィスでの申請を選択したのには理由がある。それは、Elective Placementのせいで、ぼくの医学部の勉強が12月から始まる(普通は2月)という変なものだったので、そのことをキチンと説明するためにオフィスに出向いだのだ。
Centrelinkの担当者に、Elective Placementが12月から始まり、これは医学部卒業に必須なフルタイムの科目だということを口頭で説明し、念を押すためにこのことを文書で説明している医学部からの手紙のコピーも提出した。
これだけすれば大丈夫だろう。
ぼくはそう思っていた。
2日後、Centrelinkの自分のページにAustudyに申請していることが表示され、12月9日に申請の結果が出ることが書かれていた。
Elective Placementは12月4日からなんだけどなぁ、と思いながらも、受給が認められれば申請日まで遡って給付金が与えられるので、まぁいいかと思うことにした。
12月9日の申請結果は、Your application is not acceptedだった。数日後送られてきたレターには、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という内容が書かれていた。
恐れていたことが、起こってしまった。
ぼくの医学部はElective Placementがあるために2017年12月から始まるのに、Austudyの審査官が医学部の最終学年のスケジュールだけ見て、2018年2月まで13週間以上あるから申請を拒否してしまったのだ!
おそらくだが、ぼくがCentrelinkで懇切丁寧に説明した2017年12月から始まるElective Placementのことと、医学部からの手紙のコピーには目を通していないはずだ。目を通していれば、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という拒否理由を言えるわけがない!
収入がない上に、Elective PlacementのSir Charles Gairdner Hospitalに毎日通うためにお金がだんだん無くなっていくぼくは、Austudyの拒否理由を見て一瞬怒りを覚え、焦燥した。
ただ、怒っても焦ってもしょうがないので、ぼくはすぐにCentrelinkのオフィスに出向き、Austudyの拒否理由が不当であることを伝え、結果を再審査するようにAppealを行った。
Centrelinkの担当者には、口酸っぱくElective Placementのことを伝え、Austudyの審査官が医学部からの手紙をキチンと読むように指示するように伝えた。
Centrelinkの担当者からは、Appealの審査はクリスマス前後になるだろうと言った。そして、担当者はAppealの結果がダメだった時のために、もう一度Austudyに新規申請したほうがいいと言われた。
分かった、ここで新規申請する、とぼくは伝えたのだが、オフィスはもう閉まってしまうので、自分でオンライン申請してくれと言われた。What the…
クリスマス前に連絡が来ればいいなと思っていたが、ぼくの期待が満たされることはなかった。
クリスマスは、ホストファミリーにプレゼントを買いたかったのだが、本当にお金がなかったので、2018年5~6月にパースで行われるMamma Mia! の舞台へのチケットを後日贈ることにした。
クリスマスは過ぎ、ボクシングデー、ニューイヤーズ・イブ、そして年は2018年を迎えた。Appealの結果の連絡はなかった。
ぼくはCentrelinkのオフィスに行き、どうなっているんだと怒鳴り込んだ(もちろん平身低頭で)。
オフィスの入り口カウンターのおばさんが、パースのオフィスではAustudyの審査を行っていないから、CentrelinkのYouth and Studentに電話してみなさいとアドバイスしてくれた。番号は、132 490だ。
ぼくは昼食の予定があったホストファミリーの家に行き、すぐに電話した。
Centrelinkの自動電話対応の音声が流れた。ご用件は何ですかと聞くので、Appealとぼくがぶっきらぼうに言うと、わかりましたAppealですね?と音声ガイダンスは言った(すげー、AIの技術はこれから仕事をどんどん減らすなぁ)。ぼくがYesと答えると、そのまま担当者につないでくれるとのことだった。
それから約1時間の間、クラシックの音楽が流れた。いつになれば担当者と喋れるのか分からないぼくは、ホストファミリーの庭に水をやりながら時間をつぶした。
そして、電話をしたことすら忘れていたころに、Hello, may...
若いころに感じていた自由と生命への渇望
2017年、あなたにとってどんな年でしたか?
あなたが思い描いているような年だったでしょうか?
これはぼく個人の感想ですが、人は年を重ねるごとに、「今年はこんなことに挑戦しよう」などという考えを持たずに、ただ漫然と日々を過ごすようになります。
気を引き締めていないと、年末にその年を振り返っても何をしたのか思い出せない前認知症状態に陥るんです。これはぼくだけではなく、周りにそう感じているアラサーの人がたくさんいます。
毎日の忙しい生活の砂の中に引きずり込まれて埋没していき、若いころに感じていた自由と生命への渇望から目を背けてしまっているのかもしれません。
若いころに感じるあの渇望は、決して幸福な状態ではありません。しかし、この渇望が満たされないまま心の奥隅に押し込められる状態もまた、幸福ではありません。
2018年は、自分の心の渇望と再び対峙し、自由と生命から逃亡しないこと。それが、カンガルーを眺めながら、ぼくが心に決めた目標です。
それでは、2018年があなたにとって思い描くような年になりますように。
https://youtu.be/2q95k26-eeU
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オーストラリアの医学部を一年休学した後に卒業し、ぼくは現地の病院に就職した。現在は、医師3年目のペーペー Registrarをやっている。通常、オーストラリアで言うRegistrarは「専門医になるための訓練を受けている医師」を指すのだが、ぼくはいまService registrarという少し変わったポジションで働いている。Service registrarは、特定の専門のトレーニングプログラムに入っているわけではないが、病院側が働き手が一時的に足りていない分野に送り込むRegistrarのことを指す。オーストラリアの医師のハイラルキーに興味がある方は、過去記事『オーストラリアのインターン医師になったらやらなければならない6つのこと』をどうぞ。
インター医師よりも経験はあるが専門をまだ決めかねている医師は、このService registrarとして働くことが多い。そして、Service registrarとしてインターン医師よりは重い責任を負いながら、どの専門に進むかを考えている。どの専門に進むのかを決める要因は千差万別で、流行りの専門を選ぶ医師がいたかと思えば、朝の問診が嫌いだからという理由で救急医療を選ぶ医師がいたりする。色々な思惑と背景を持った医師がいる以上、これさえ押さえておけば専門医トレーニング選びに後悔しない、というものはない。
ちなみに、医学部に入ったときにこんなフローチャートが授業で出てきたが、あながち間違いではないような気がする。専門を迷われている方は参考にするといいかもしれない(が、あまり気にする必要もないと思う)。
オーストラリアのインターン医師は、大きく分けて外科、内科、救急、精神科のローテーションを通じて医師としての一般的なスキルを磨く。3年という限られたインターンシップの期間中に、すべての科を回ることは不可能である。あらかじめ「~科で働きたいなぁ」と思っている医師は、病院側にその科に優先的に回してもらうことをお願いする。また、「~科には興味がない」ということを病院側に伝え、それ以外の科に回してもらうこともできる。
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