人生経験が貧相で無責任かつコミュ障の大人は黙っていろ、と言われたことを受けて

 

ぼくは、気候変動問題に取り組む活動家を応援している。特に若者が自分の未来のために活動しているのを見ると、「がんばれー」とさらに応援したくなる。このことは過去記事「ぐれたグレタさんをぼくが応援する3つの理由」にて詳しく触れた。

 

この記事を出してから、ぐれたグレタさんはタイム誌の Person of the Year に選ばれたり、Nature誌の「科学の10人」に選ばれたりと、気候変動活動家の広告塔としてさらに飛躍している。

 

 

今回の記事は気候変動に関する話ではなく、ぐれたグレタさんを応援しているぼくを「人生経験が貧相で無責任かつコミュ障の大人は黙っていろ」と批判する人の話をしてみたいと思う。

 

ことの発端は、ぐれたグレタさんを応援しているぼくのツイッターへの投稿だった。

 

ぼくのつぶやきはこれ。

 

そのつぶやきに送られてきたコメントがこれ。

 

人類の未来に大きな影響を与える気候変動の問題取り組む若者を、ぼくは応援している。そんなぼくのつぶやきに対してこんなコメントを送ってきたものだから、最初は、気候変動の重要性を否定する人からのコメントだと解釈した。つまり、気候変動を問題視することが間違っているのだから、それに取り組む若者は道を誤っているのだ、と。

 

そして次のような返事をした。

 

ぐれたグレタさんが取り組んでいる気候変動の問題を否定するエビデンスを教えてください、と返したのだ。

 

そうすると、こんな返事がきた。

 

この返事を見たときに、あぁ、この人は気候変動の問題を取り扱っているのではない、ということをぼくは悟った。この人はぐれたグレタさんそのひと自身について議論したいのだ、と。

 

グレタさん自身にはそんなに興味が無いぼくは、気候変動の問題をすり替えられないように、こんな返事をした。

 

ここで言いたかったのは、ぼくが議論すべきだと考える問題は気候変動で活動家そのものではない、ということだった。つまり、活動家そのものの議論はやる気ありません、と理解してもらいたかった。

 

そのことを念を押すために、気候変動の話から議論を別のものにすり替えないことをお願いした。

 

そして、気候変動という重大な問題から目がそらされることが無いように、この人のやっている議論のやり方は議論上のルール違反ですよ、ということを伝えた。

 

気候変動を何も理解していない若者だ!と糾弾したとしても、気候変動という問題自体はそこに解決されないまま存在し続けますよ、ということをぼくは伝えようとしたのだ。

 

すると、案の定、こんな返事が来た。

 

くどいようだが、ぼくの興味は、気候変動の問題をどうするのかということ。大人が子供をどう育てるべきかという問題は、ぼくは議題にしていない。

 

しかし、ぼくのツイッターにわざわざコメントをくれたのだ。ぐれたグレタさんを気候変動の活動家に仕立て上げた大人たちは悪いと攻撃する人と議論してみて自分の視野を広げる機会にするかと思い、こんな返事をした。

 

「大人の言いなり」という表現をするとあたかも子供を洗脳をしているかのようなイメージを与えるが、世界のことをできるだけ正確に子供たちに伝えていると言えばそれは教育になる。洗脳も教育も、子供に行動の規範を与えるという意味で同じである、ということをぼくは伝えようとした。

また、子供を大事にすることは未来のことを考える人間には至極自然な発想である。しかし、この人は、子供を大切にしろと言っておきながら子供を理解の無い大人の傀儡だと攻撃した自分の矛盾に気づかないのだろうか?

 

子供を大切にしよう、と言うことはとても簡単である。でも、目の前の子供とどう向き合うのかという現実に直面すると、次のような疑問に答えなければいけない。だから、ぼくはコメントをくれた方にこう聞いてみた。

 

返事はない。例が悪かったのかな?「子供は子供らしく育てなければいけない」という身の無い正論をかざす相手にさらなる返事を求めた。

 

そして、若い頃から活動家になると将来が狭まるという考え方にも疑問を呈した。

 

「子供は子供らしく育てるべき」と先方が言うので、では具体的な育て方を教えてくださいというぼくの発言を全くスルーして、こんな返事が返ってきた。

 

議論のテーマがコロコロ変わるこの人は、グレタさんのスピーチを聞いていない、もしくは理解していないことが分かる。

グレタさんは「私は学校で勉強していなければならない若者である。でも、大人たちが優先する経済活動や政治活動によって私たちの未来そして環境が台無しになろうとしている。そのことを糾弾する」という趣旨のことを言っている。

つまり、私たち大人たちが行っている経済や政治の在り方に大きな疑問を投げかけているのだ。「子供vs大人」「未来vs現在」という構図がそこにあり、グレタさんは子供側、未来側に属している。グレタさんは強い意志を持って大人(政治、経済)を敵に回しているのだ。

 

また、コメントをくれたこの人の意見は、子供のことを心配しているようで、実は子供に対して敬意と愛が足りていない。結局、「子供の言うことだから」と言って、子供が主張しているメッセージに耳を傾けていないし、その重要性に全く気づいていない。そんな大人はどこにでもいるし、そんな大人を見ている子供もまたそんな大人になる。それじゃ、いかんでしょ?

 

子供を「教育」しようとする大人に出会うと、この曲がぼくの頭にゆっくりと流れてくる。

 

薄っぺらい議論にぼくがなかなか参加しないことに業を煮やした先方は、こんな返事を送ってきた。

 

この論法は、上でも紹介した Ad hominem fallacyである。

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先方が持ってきた議題に応えたのに、結局はぼくが「人生経験が貧相で無責任かつコミュ障の大人」なので「黙っていろ」という結論らしい。

 

このコメントに対し、ぼくはこう締めくくった。

 

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