オーストラリアの確定申告(Tax return)を全部自分でする方法

 

確定申告は、日本で働いているときから自分で行っていた。「確定申告」という固い言葉の意味が理解できず、税金がらみのことなので「めちゃくちゃ面倒くせぇ」と思いながら、嫌々やっていたことを憶えている。

しかし、オーストラリアに来てから確定申告の見方がポジティブに変わった。なぜかと言うと、確定申告が Tax returnであることが分かったからだ。Tax return。つまり、「税金返せ!(return my tax!)」という申請書なのだ(正確には、対象となる税金控除を示して税金を減らすという作業)。日本も、確定申告という固い言葉ではなく、「税金返還」に名前を変えればいいと思う。

しかも、オーストラリアの確定申告は、すべての作業をオンラインで完結することができる。役所の様々な書類の記入、ハンコの手続きなど、面倒な作業が多すぎる日本とは違い、一度やり方を憶えてしまえば、オーストラリアの確定申告は、自分で全部できるようになる。

今回は、オーストラリアで確定申告を自分でやってみようと考えている人のために、Tax returunの全貌を紹介することにした。

 

ステップ(1):myGovに登録する

 

オーストラリア政府の厚生サービス(Centrelink、Medicare、Childsupportなど)を受ける最良の方法は、myGovのアプリを使うことである。自分のTax File Numberなどを使ってアプリに登録することができる。詳しくは、自著「豪州永住権の手引き」を参照いただきたい。

お金を払うほどの情報じゃないなぁ、という方にはこちらでアマゾン書籍を無料プレゼントしていますのでどうぞ。

 

ステップ(2):ATO(Australian Tax Office)とmyGovをリンクする

まずは、myGovにログインする。

一番上のServicesをクリックして、

 

リンクできるサービスを選択する。(ぼくはすでにAustralian Tax Officeのサービスにリンクしているので表示されていません。リンクしていない人は Australian Tax Officeをクリックする)

 

ここでは、Child Supportを例として使っていますが、Australian Tax Officeにリンクするには、Tax File Numberが必要となります。それ以外は、大きな違いはありません。

 

リンクしたら、Your Servicesに表示されているAustralian Tax Officeをクリックする。

 

そして、Manage tax returnsをクリックして申請を監視する。

 

ステップ(3):Tax returnを申請する

Tax returnは4つのステップがある。

(3.1)メルアド、電話番号、住所を入力する

(3.2)銀行口座情報を入力する

(3.3)確定申告の大まかなカテゴリーを選択する

(3.4)税金対象となる収入および税金控除の詳細を入力する

 

(3.1)メルアド、電話番号、住所を入力する

 

(3.2)銀行口座情報を入力する

オーストラリアの銀行であれば、銀行側が税務省にすでに口座情報を報告しているはずである。なので、自分で調べる必要はなく、サービスにリンクした時点ですでに情報が自動入力されている。

 

(3.3)確定申告の大まかなカテゴリーを選択する

確定申告に必要となる大まかなカテゴリーを選択する。ここで税金対象となるものを選択していないと脱税になり、金額によっては禁固刑になる。ので気を付けよう。

 

(3.4)税金対象となる収入および税金控除の詳細を入力する

3.3で選択した大まかなカテゴリーの詳細を記入していく。

まずは、きちんと税金を払っている会社であれば、あなたの雇い主、年俸などの情報が政府に伝わっており、これまた銀行口座の時のように自動で表示される。

 

銀行の利子益も自動で表示される。

 

職種によって、税金控除の対象が異なる。詳しくは、ATOのページを調べて、税金控除となりそうなものは全て申請しよう。

 

申請者が、本人か代理人かを明らかにする。また、今後もTax returnを申請するかを明らかにする。

 

全ての記入が終わると、暫定的な税金額が表示される。最終的に払うことになる税金の額は、Tax returnを申請してから1週間ほどして届くメールの中に表示されている。つまり、Tax returnの申請時点では税金を支払う必要はない

 

オーストラリアのTax return(確定申告)は、一度覚えてしまえば、すべて自分で行える作業である。レシートで費用を計算している方には大変な作業だが、すべての支払いをカードで行っている人であれば、簡単に年間費用が算出できる。そして、何よりも、税務署から費用の証明をしてくれと言われた時に、銀行の引き落とし履歴を簡単に提示することができる。現金が絶滅しつつあるオーストラリア社会ならではの利点であると思う。

それでは、Let’s tax return! Save your money.

 

人気の関連記事

よく読まれています

オーストラリアの永住権が切れたらやるべき3つのこと

  (0)あれっ、永住権が切れてる・・・やばい   ぼくのオーストラリアの永住権が 切れていることに気づいたのは、 日本で住民票を取ろうと 近所の区役所に行った時だ。   身分証明書として パスポートを渡した時に、   係りの人が 「ごとうさんは、 いつからオーストラリアに いらっしゃるんですか?」 と聞いてきた。   「2012年からです」 (実際に永住したのは2013年から) とぼくが答えた瞬間、   「あれ、永住権って何年で切れるんだっけ?」 という疑問が頭をもたげたのだ。   (豪州のビザがいつ切れるかは こちらの無料アプリから確認できます。)   家に帰って、 永住権の書類を見てみると・・・   「やばい、永住権が切れてる・・ 数か月も切れてるじゃないか!」   ぼくの頭の中に 「オーストラリアにもう戻れない!」 「医学部が退学になる!」 などの悪い想像がつぎつぎに湧き起こり ぼくは動転してしまった。   いや~、めちゃめちゃ動転しました。 思わず英語で悪態をついてしまいました。   じぶんのうっかりミスで、 永住権を失うだけではなく、 医学部も退学になっていう現実は 絶対に想像したくないものでした。   もし、この記事を読んで 永住権の更新をうっかり忘れて ぼくみたいに動転している人は 次の3つの事をしましょう。   (1)落ち着く   まずは、落ち着いてください。 はい、深呼吸。 吸って、吐いて。 吸って、吐いて。   安心してください。   永住権を永久に失った わけではありません。   永住権の期限が切れてから 3年以上豪州を離れていない限り、 永住権は数日で取り戻すことができます。   (2)リターンビザを申請する   永住権の期限(5年)が切れている人は、 レジデント・リターン・ビザを申請しましょう。 (大使館のウェブサイトには日本語の説明もある)   申請方法は、ネットと郵便のふたつ。   レジデント・リターン・ビザは、 永住権の時に比べて圧倒的に取りやすく、 申請して1週間から10日間 (早ければ3日間)で取得できる。   そういえば、 ぼくは永住権を取るまでに 約5年かかったんだよなぁ。 またあのプロセスは踏みたくない。   申請資格は、 こちらに記載されている。 犯罪歴などが無い限り 拒否されることはないと言われている。   落ち着いて、 リターン・ビザを申請しよう。   (3)オンライン申請する   郵送で申請すると、非オンライン諸経費が余分にかかってしまうので、今回はオンライン申請を行う。オンライン申請の流れは、オーストラリア大使館のサイトにて日本語で説明されている。英語の説明はこちら。 先ずは、オンライン申請をするためにImmiAccount(イミアカウント)を作成する(無料)。アカウントができたら、自分のアカウントからレジデントリターンビザをオンライン申請する。申請に必要となる書類は、大きく分けて次の3つ。   申請書(Form 1085, Application for a resident return visa) 身元確認書(有効期限が切れていないパスポートのコピー) オーストラリアとの強いつながりを示す書類(詳細は↓) 代理申請の場合は、申請書の代わりに代理申請用紙が必要となる。   申請書(Form 1085, Application for a resident return visa)   この申請書は、オンラインで記入していく。まずは、ImmiAccountのNew Applicationをクリックして、申請書を選ぶ。   レジデントリターンビザを選択。   個人情報を記入する。   個人情報を記入する。代理申請の人は、その旨を明記(AuthorisationをYes)する。   個人情報を追加する。面接が必要な場合は、どこで希望するかを選択する。日本は東京のみ。   犯罪歴(とくに移民、性犯罪、暴力に関するもの)があるかを明記する。   申請書に関する情報を理解し申請することを承諾する。   申請書の内容が一覧表示され、その内容に誤りが無いことを確認し、申請書を提出する。   申請書を提出し、申請料(A$365)を払う。クレジットカードを使ったので手数料(A$3.58)が加算される。   支払いが終わると、申請書が提出され、申請料が支払われたことがアカウントに表示される。   次に、申請書に付け加える必要書類を添付する。アカウント左下にあるAttach documentsをクリックする。   必要書類の一覧が表示される。よく見てみると、必要書類は「絶対に必要 (Required)」というわけではないようだ。すべて「審査に有利だよ(Recommended)」と書かれている。   身元確認書   アップロードは、Attach documentsから行う。   有効なパスポートのコピーをアップロードする。顔写真、個人情報、署名、全てのビザ・出入国記録・ビザ申請記録が記載されているページは全てコピー。注意する点ですが、 ビザ審査中に審査官よりパスポートの原本提出を求められることがあるそうです。   オーストラリアとの強いつながりを示す書類   アップロードは、Attach documentsから行う。   オーストラリア永住ビザ保持者として、レジデントリターンビザを申請する日から遡って過去5年のうち、合計2年以上オーストラリアに滞在していない場合に必要とされる書類です。以下申請書類チェックリストより抜粋。   Substantial business...
00:03:56

オーストラリア(パース)のクリスマス・パレードに行ってきた

  オーストラリアは、いま夏真っ盛り。 オーストラリアの夏と言えば、クリスマス!   https://www.youtube.com/watch?v=R8mEAWQimdE   一般公開されて間もないエリザベスキーをゆったりと散歩した後、   https://www.youtube.com/watch?v=58vD7dWKKSA   パースの市内で行われたパレードに参加してきました。   https://youtu.be/16RR6OsYs_8   皆様のクリスマスが幸せなものでありますように。   Merry X’mas and Happy New Year!  
00:10:04

オーストラリアの現役医学生が「旅人が最も行ってみたい10の世界の町」に選ばれたフリーマントルをブラブラ散策してみた

  世界版「地球の歩き方」と言っても過言ではないLonely Plant誌によれば、オーストラリアのフリーマントルは、世界の旅行者が一度は行っておきたい10の町のひとつ、だという。   Wikipedia によれば、フリーマントルは、西オーストラリア州の州都パースから南西19kmに位置する街で、人口は約25,000人。ちなみに、日本の姉妹都市は横須賀市。   フリーマントルという名前は、スワン川植民地計画を指導したイギリス海軍の船長チャールズ・フリーマントルに因んで名付けられている。歴史的に、フリーマントルという町は、イギリスが行ったオーストラリア植民地政策の拠点のひとつだった。植民地政策が終わってからも、フリーマントルはいまだに港として大きな役割を果たしている。   ぼくは久しぶりに土曜日に時間が取れたので、フリーマントルで「ブラひろみち」した。   日中の気温が37℃だったので、少々暑いなぁと感じながらも、日陰に入ればカラッとしていて、とても過ごしやすい一日だった。   ぼくは町を散歩するとき、ネットで「フリーマントルに行くならここだけは行っておけ」みたいな情報は見ない。自分が行きたいところに、こころ赴くままに足を運んでいく。   ジェラートの甘い香りがすれば、鼻をクンクンさせながらそちらのほうに行ってみたり、遠くからディジュリドゥ(先住民アボリジナルピープルの伝統楽器)が聞こえてくれば、耳をぴくぴくさせながら音源のほうに歩いて行く。   赤の他人が高評価している場所よりも、ぼくが歩いているその瞬間にしか体験できないことを、ぼくは優先して選んでいるのかもしれない(←Carpe Diemかな?)。そのため、ぼくの動画は旅行者向けではないのかもしれない。   それでも、ぼくがその時出会った人たちとのふれ合いのおかげで、フリーマントルの町はゆったりとして楽しいところだなぁと感じることができました。感謝。この記事を読んでくれているあなたにも感謝。   https://youtu.be/LCawimYFXVo    

若いころに感じていた自由と生命への渇望

  2017年、あなたにとってどんな年でしたか?   あなたが思い描いているような年だったでしょうか?   これはぼく個人の感想ですが、人は年を重ねるごとに、「今年はこんなことに挑戦しよう」などという考えを持たずに、ただ漫然と日々を過ごすようになります。   気を引き締めていないと、年末にその年を振り返っても何をしたのか思い出せない前認知症状態に陥るんです。これはぼくだけではなく、周りにそう感じているアラサーの人がたくさんいます。   毎日の忙しい生活の砂の中に引きずり込まれて埋没していき、若いころに感じていた自由と生命への渇望から目を背けてしまっているのかもしれません。   若いころに感じるあの渇望は、決して幸福な状態ではありません。しかし、この渇望が満たされないまま心の奥隅に押し込められる状態もまた、幸福ではありません。   2018年は、自分の心の渇望と再び対峙し、自由と生命から逃亡しないこと。それが、カンガルーを眺めながら、ぼくが心に決めた目標です。   それでは、2018年があなたにとって思い描くような年になりますように。   https://youtu.be/2q95k26-eeU  

オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら

  ぼくは2014年からオーストラリアの医学部に通っている。   医学部に通っている間は収入がないので、家賃や生活費をオーストラリア政府の学生補助金Austudyから支払っている。補助金の詳しい内容は、政府のページもしくは拙著『豪州永住権の手引き』をどうぞ(←書籍は無料プレゼント中)。   医学部に通いながらアルバイトする学生もいるが、そのほとんどは生活費を稼ぎだすというよりも、勉強漬けの毎日から精神的に解放されるために、週1、2回パートタイムで働いている感じである。   ぼくも英語コンサルをしたり、翻訳の仕事をこなしてはいるが、Austudyが無ければ生活と学業を両立させることは不可能である。   ぼくは2017年、医学部を休学し日本に帰国した。その間はAustudyの受給を一時的にストップしなければいけなかった(Centrelinkのオフィスに行って、一時停止してくださいと言えばできる)。   在学していないのにAustudyを不正受給すると、政府から訴えられるだけでなく、そのほかの福祉補助金を受けられなくなる可能性があるので厳重注意。   休学期間が過ぎ、ぼくが日本からオーストラリアに戻ってきたのは、2017年の11月である。11月に帰国したのは、12月からのElective Placementの準備をする必要があったからだ。     Austudyの一時停止を解除し、受給を再開するには、Austudyを再度新規申請しなければならない。ぼくはオンライン申請ではなく、わざわざVictorial ParkにあるCentrelinkオフィスに出向いてAustudyを再度申請した。   オンライン申請ではなくオフィスでの申請を選択したのには理由がある。それは、Elective Placementのせいで、ぼくの医学部の勉強が12月から始まる(普通は2月)という変なものだったので、そのことをキチンと説明するためにオフィスに出向いだのだ。   Centrelinkの担当者に、Elective Placementが12月から始まり、これは医学部卒業に必須なフルタイムの科目だということを口頭で説明し、念を押すためにこのことを文書で説明している医学部からの手紙のコピーも提出した。   これだけすれば大丈夫だろう。   ぼくはそう思っていた。   2日後、Centrelinkの自分のページにAustudyに申請していることが表示され、12月9日に申請の結果が出ることが書かれていた。   Elective Placementは12月4日からなんだけどなぁ、と思いながらも、受給が認められれば申請日まで遡って給付金が与えられるので、まぁいいかと思うことにした。     12月9日の申請結果は、Your application is not acceptedだった。数日後送られてきたレターには、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という内容が書かれていた。   恐れていたことが、起こってしまった。   ぼくの医学部はElective Placementがあるために2017年12月から始まるのに、Austudyの審査官が医学部の最終学年のスケジュールだけ見て、2018年2月まで13週間以上あるから申請を拒否してしまったのだ!   おそらくだが、ぼくがCentrelinkで懇切丁寧に説明した2017年12月から始まるElective Placementのことと、医学部からの手紙のコピーには目を通していないはずだ。目を通していれば、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という拒否理由を言えるわけがない!   収入がない上に、Elective PlacementのSir Charles Gairdner Hospitalに毎日通うためにお金がだんだん無くなっていくぼくは、Austudyの拒否理由を見て一瞬怒りを覚え、焦燥した。   ただ、怒っても焦ってもしょうがないので、ぼくはすぐにCentrelinkのオフィスに出向き、Austudyの拒否理由が不当であることを伝え、結果を再審査するようにAppealを行った。     Centrelinkの担当者には、口酸っぱくElective Placementのことを伝え、Austudyの審査官が医学部からの手紙をキチンと読むように指示するように伝えた。   Centrelinkの担当者からは、Appealの審査はクリスマス前後になるだろうと言った。そして、担当者はAppealの結果がダメだった時のために、もう一度Austudyに新規申請したほうがいいと言われた。   分かった、ここで新規申請する、とぼくは伝えたのだが、オフィスはもう閉まってしまうので、自分でオンライン申請してくれと言われた。What the…   クリスマス前に連絡が来ればいいなと思っていたが、ぼくの期待が満たされることはなかった。   クリスマスは、ホストファミリーにプレゼントを買いたかったのだが、本当にお金がなかったので、2018年5~6月にパースで行われるMamma Mia! の舞台へのチケットを後日贈ることにした。     クリスマスは過ぎ、ボクシングデー、ニューイヤーズ・イブ、そして年は2018年を迎えた。Appealの結果の連絡はなかった。   ぼくはCentrelinkのオフィスに行き、どうなっているんだと怒鳴り込んだ(もちろん平身低頭で)。   オフィスの入り口カウンターのおばさんが、パースのオフィスではAustudyの審査を行っていないから、CentrelinkのYouth and Studentに電話してみなさいとアドバイスしてくれた。番号は、132 490だ。   ぼくは昼食の予定があったホストファミリーの家に行き、すぐに電話した。   Centrelinkの自動電話対応の音声が流れた。ご用件は何ですかと聞くので、Appealとぼくがぶっきらぼうに言うと、わかりましたAppealですね?と音声ガイダンスは言った(すげー、AIの技術はこれから仕事をどんどん減らすなぁ)。ぼくがYesと答えると、そのまま担当者につないでくれるとのことだった。   それから約1時間の間、クラシックの音楽が流れた。いつになれば担当者と喋れるのか分からないぼくは、ホストファミリーの庭に水をやりながら時間をつぶした。   そして、電話をしたことすら忘れていたころに、Hello, may...

【ついに決着】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請を拒否されたら

  オーストラリアの大学生(海外留学生は除く)は、Austudyと呼ばれる金銭的補助を政府から受けることが出来る。詳しい条件などはこちらをどうぞ。   ぼくは、2014年から西オーストラリア大学の医学部(大学院コース)に入学し、Austudyを受け取りながら、貧乏医学生として生活を続けていた。2017年には、もうひとつの夢である「日本人の英語を変える」ために、医学部を1年休学した。もちろん、その間は Austudyの受給は一時中断していた。(休学中に受取中断をしておかないと、不正受給者として国から訴えられるので気を付けておこう。)   日本での「日本人の英語を変える運動」を全力で頑張った後、ぼくは2017年の12月から医学部に復学した(神経内科研修編)。そして、復学に伴い、Austudyを再開する申請を行ったことを、これまでのブログ記事で触れてきた。長い戦いだったが、これまでの Austudy再開についてのドタバタを簡単に説明しておくと、次のようになる。   (1)Austudyの1回目の申請は、申請期間外(最大で学校が開始される13か月以内)ということで却下される。Austudyの1回目の再申請は11月に行ったもので、医学部が再開された12月まで4週間しかない。ゆえに、申請却下理由は不当である。そこで、再審査を求め、1回目の Appeal を行う。(詳しい内容は過去記事『オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』) (2)1回目の Appeal の後、再度 Austudy の審査が行われ、預金残高が約1万ドル以上あることを理由に、支払いは2018年の3月以降になることが決まった。しかし、医学部の授業料は、年間約1万ドルである。しかも、学校が始まったのは、2017年の12月だ。生活費がままならない状態で、どうやって医学部を卒業しろと言うのか?ぼくはこの決定に不服を申し立て、2度目の Appeal を行った。(詳しい内容は過去記事『【続】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』) (3)2回目の Appeal の審査を行うものの、審査そのものが3月にならないと始まらないというとんでもない状況に直面する。これはつまり、郵便局に速達物の受け取りを早くしてもらいたいとお願いすると、「わかりました。従来の受取日に荷物が届いたら、手続きを始めましょう」と言われているのと同じことである。(詳しい内容は過去記事『【続続】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』)   そして、3月21日。Austudy再審査はついに行われた。     【ついに決着】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請を拒否されたら   そして、3月21日。Austudy再審査はついに行われた。   結果は、オーストラリア政府のCentrelinkが落ち度を認め、2017年11月から2018年3月までの支給額を支払うことで決着となった。     ほとんどの人は、オーストラリア政府の決断に不服を申し立てない。ぼくは税金という義務を果たしている以上、政府補助金という権利を放棄しなかった。そして、なによりも、ぼくは初めから、オーストラリア政府の不実な決断ととことん戦うことを決めていた。   おそらくどこの国でも同じなのだろうが、政府機関の人間というのは、ひとりの学生が補助金を受け取れずに医学部を中退したとしても、それによって良心を痛めるようなことはない。所詮は、ごまんといる補助金申請者のなかの「アンラッキーなひとり」でしかないのだ。   彼らが認識しなければならないことは、彼らのずさんな審査と決断がその「アンラッキーなひとり」の人生を台無しにしているということである。しかし、そんなことは彼らの頭には全く思い浮かばない。   だから、ぼくは戦ったのだ。国はあなたのために戦う、という妄想はぼくにはなかった。ぼくにあったのは、政府の人間も所詮は人、9割は自己の利益のみを考えながら生きている。自分の許容範囲を超えて、ほかの人のために時間と労力を使う人物はなかなかいない。だから、政府とのやり取りにおいて憶えておかないといけないことは、自分の権利を守るべき存在は自分自身、ということだ。それが、社会・歴史の勉強、そして実体験をを通じて学んだことである。    

パースの日本雑誌Perth Expressに「ごとうひろみち」登場

  パースにいる日本人や日本語を勉強している人が読んでいる Perth Express 誌に「ごとうひろみち」のインタビュー記事が掲載されました。   インタビューを受けたのは、神経外科研修を早めに終えた午後の時間。場所は、Sir Charles Gairdner Hospital のそばにあるカフェでした。インタビュー担当の方は、とても丁寧な方で楽しくインタビューをすることが出来ました。   基本的には、過去のインタビュー動画と内容は同じですが、医学部生活の写真などもアップしているので、楽しんでいただけると思います。興味がある方はどうぞ⇒記事はこちら。   過去のインタビュー動画はこちら。 https://youtu.be/CQ_YIduECOo   高校中退から豪州医学部までの道のりをつづっているのが書籍シリーズ「高校中退から豪州医学部へ」です。期間限定で無料プレゼントしています。興味がある方はこちらをどうぞ。↓↓↓↓↓    

オーストラリア医学部、友だちが撮影してくれた卒業式の風景

  ぼくは、「オーストラリアで温かい医者になる」という英語ドリームを持っている。   この英語ドリームは、実現するまでに長い時間と膨大な努力がかかると予想される。長期的な戦いは苦手なぼくだが、入学した西オーストラリア大学の医学部(大学院コース)を修了させることができ、やっとこさのことで英語ドリームのスタートラインに立つことが出来た。   よかった、よかった、と喜ぶのもつかの間、医学部卒業式への出席表を出し忘れていたことが判明し、自分の卒業式に出席できないという悲劇に見舞われた。⇒過去記事「【悲劇】オーストラリア医学部の卒業式に出席できない!!」   卒業式に出席できないのなら、何かプラスになることに時間を使おうと、ぼくは日本に緊急帰国し、 総務省が「変な人をサポートする」異能vationのイベントに出席(⇒記事) ボーダーレス医療アプリUrDocの代表取締役社長さんと対談(⇒記事) 大学病院で医療英語セミナーの開催(⇒記事) Atsueigoのトークライブへの出席(⇒記事) などを行った。(あと、日本の友人に再会したり、数日間かけて東京の町を練り歩いたもした)   ぼくが日本からオーストラリアに帰国すると、医学部の友だちが「ひろ、医学部の卒業式に出れなかっただろ?だから、卒業式の動画をひろのために撮っておいたぜ」とカメラを渡してくれた。   医学部の苦楽を共にした友だちの心遣いに、思わず涙が出そうだった。   普通であれば、視聴者を楽しませるために、動画に字幕を付けたり、バックグラウンドミュージックを付ける。しかし、ぼくらが過ごしている普段の生活には、字幕もないし、バックグラウンドミュージックもない。そんな素っ気ない世界のほうが、ぼくらが長い時間居座っている「リアル」なのだ。   とういうことで、字幕もバックグラウンドミュージックも無い「オーストラリア医学部の卒業式のリアル」を皆様と共有しようと思う。   最後に、この記事を読んでいる「あなた」にも、英語で叶えたいドリームがあるはずだ。一回ぽっきりの人生をささげるなら、夢はデカければデカいほどいい。夢は小さくても大きくても、時間と努力が絶対に必要になるし、不安と苦労の質は違えど量はあまり変わらない。どうせ悩むならデカい夢に向かおうぜ。   https://youtu.be/3WCgFhShqOc    

【衝撃】ひろがオーストラリアで家探ししていると、詐欺師に出会った!

  過去の記事『オーストラリアで家を探すために知っておきたい3つの方法』で、ぼくもオーストラリアのパースで家を探していることを報告した。   今回の記事は、オーストラリアで、住む場所を探している人を騙してお金を巻き上げる詐欺師に出会ったことを書こうと思う。ぼくがその詐欺師に出会ったのは、Gumtreeを通じてだ。   2018年は医学部の最終学年ということで、複数の病院に研修することになる。病院は色々な場所に散在しているため、ぼくは中心地のシティに住む場所を探していた。   Gumtreeにはシティの物件が随時更新されているのだが、そのなかでEast Perthにある物件が掲載されていた。シェアアパートの物件だったのだが、その情報の中に You can make some moneyという普通のシェア情報ではお目にしない文章が書かれていた。   お金のない学生のぼくには、シティに住めてお金も稼げるならと思い、この物件を掲載していた人に物件を見たいこと、そしてお金を稼ぐことについて聞いてみたいとメールを送った。   ↓↓続き↓↓     次の日、Hanと名前の人物が返信を送ってきた。そのメールには、物件を見せるから明日シティに来れるか、という内容だった。お金の稼ぎ方は直接会って話すと書かれていた。   後日、ぼくは指定された時間と場所に行った。少し遅れて、半そで短パン姿のアジア人男性が待ち合わせ場所に来た。身長は175センチぐらい、年齢は30代後半ぐらいだろう。左腕には、マオリ族の人がしているようなタトゥーが入っていた。   ぼくはてっきりHanがその家に住んでいて、ビルの入り口から出てくるのかと思っていたが、そうではなかった。彼は別のところに住んでいて、ぼくに紹介したアパートは彼の名義になっているだけだという。ただ、彼は仕事の都合でニューサウスウェールズに引っ越ししないといけないから、賃貸契約を打ち切るのだという。   普段はのんびりしているぼくの頭は、ここでピーンときた。こいつ、アパートを他の人に高い家賃で又貸ししてピンハネしてやがんな、と。   話を聞いてみるとやはりそうだった。彼は3DKのアパートを彼の名前で借り、それぞれの部屋を高い家賃を取って又貸ししていた。からくりの内訳はこうだ。   家賃:週550ドル(賃貸契約上の家賃) 又貸し家賃:週750ドル(250ドルx3) Hanの収入:週200ドル($750-$550=$200)   一見、住宅紹介人として手数料を取っているようにみえるが、Hanが行っている行為は犯罪に当たる。というのも、アパートの賃貸契約は基本的に又貸しを禁じており、また部屋の適正価格を釣り上げて居住者から不当に利益を上げているからだ。   ↓↓続き↓↓     Hanは韓国の男性で、オーストラリアに移住することを夢見ていると言っていた。ぼくもオーストラリア移住に苦労したのでその気持ちがわかるが、犯罪者をオーストラリアに入れたくはない。   次の日、ぼくは彼の犯罪行為を止めさせるためにHanにこんなメールを送った。   I am going to decline the offer to take over the lease, as there are enormous moral and...
ごとうひろみち
ごとうひろみち
『高校中退⇒豪州で医者』をいつも読んでいただき誠にありがとうございます。著者・ごとうひろみちに興味を持ってくれたあなたのために、詳しい自己紹介を←ここでしていますので、どうぞご覧ください。

返事を書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

無料プレゼント

アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』
ぼくは高校英語が理解できなかった。そんなぼくがどうやってオーストラリアで医者になれたのか?この物語を読めば、あなたにも英語で夢を叶えるヒントが見つかるかも。

人気のブログ記事

よく読まれています