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阪神大震災

  あの日から20年   1995年1月17日未明午前5時46分52秒、 阪神・淡路大震災が起きた。   あの日からちょうど 20年の月日が流れたことになる。   震災前後に生まれた人が 成人式を迎えたということだ。   関東で今後30年以内に 震度7以上の地震が起こる確率は、70%。   阪神・淡路大震災の時、 復旧に一番時間がかかったのが、水道。 90日かかっている。   関東だと、 もっと時間がかかることになるかもしれない。 (朝日新聞調べ)   個人、自治体で災害にいかに備えるか、 二次災害を抑える大きな焦点となる。   東日本大震災のボランティアに行ったときに見た地獄。 その地獄のなかで垣間見た、命の儚さと強さ。 そんな経験がぼくを医者の道へと駆り立てている。   命を落とされた方のご冥福を祈るとともに、 ご家族や友達をなくされた方の胸中の痛みお察しいたします。     出典:www.jiji.com    

派遣バイトで遠方に行くべき5つの理由

  (1)仕事するときに何が大事かが分かる   福岡に実家があるぼくは、 語学留学とアメリカ留学の合間に、 福島の岳温泉が湧く あずま館という温泉旅館で 派遣バイトをした。   あずま館は、 団体のお客様の多い旅館で、 ぼくの仕事は会場設営、調理の補助、 食事と飲み物の運搬、宿泊部屋の準備と お掃除などをこなした。   その他、居酒屋、カラオケホール、 スナックなどのスタッフの仕事もした。   忙しいときは、 1日16時間ぐらい働いたこともある。   あまりにも忙しいときは、 仕事の途中で体温調節ができなくなり、 いやーな汗をかいたこともあった。   誰もいない非常階段の前を 誰かが一緒に階段を登っていくという、 霊体験みたいなこともあった。   体の調子を崩しそうだなと思ったときは、 トイレに隠れてポケットに入れていた本を読んだりして 仕事をサボっていた。   サボったから、 からだも壊さずに長時間働けたのだ。   大切なことは仕事をこなすことであって、 真面目に働くことではない。 仕事をこなすためにサボるのだ。   (2)地元のバイトでは得られない特典がある   あずま館でのバイトには 2つの特典があった。   ひとつ目は、温泉に入れることだ。   特に、長時間の仕事のあとの温泉は、 体と心にしみるのだ。 毎日温泉に入れるなんて幸せだなぁ、 と少年ながらに 降り積もる雪を眺めながら思ったものだ。   ふたつ目の特典は、 キャンセルされた料亭の食事が食べられることだ。   お客さんの都合で 旅館に来れなくなることがある。   そうすると、 旅館で出される旬の食事をゲットできるのだ。   あまり食事に興味が無いぼくでも、 美味しいと思える食べ物を たくさん食べさせていただいた。   食べ物で思い出したが、 あずま館の仕事がお休みの日に、 仙台付近の漁港で 秋刀魚を食べたことがある。   漁港の漁師さんに火鉢を借りて、 その上で秋刀魚を炭火焼にした。   絶品だった。   油がのっていて、 醤油も何もつけなくても、 そのままですごく美味しい魚だった。   また、食べたいなぁ。   (3)自分だけの時間が出来る   お休みの日に遠出することも会ったが、 ぼくは基本的にブックオフや古本屋で手に入れた中古本を、 近くの公園などでひとり読んでいた。   とても贅沢な時間だった。   本を読む集中力がなくなると、 散歩して野良猫さんたちに挨拶まわりに行った。   (4)いい思い出ができる   今となってはいい思い出だが、 あずま館で働いているときに、 泥棒疑惑をかけらたこともある。   深夜12時を回り、 ぼくはホールにあった座り心地の悪い、 腰掛の無い丸い椅子を動かして、 その下のゴミを拾いながら 掃除をしていた。   お金を清算をしていた 年配の男性スタッフがぼくをレジのほうに呼び、 神妙な面持ちで 「今出すなら許してあげる」と言った。   ぼくは何のことか分からずに、 椅子の下に落ちていた ピーナッツの入った袋を差し出した。   年配の男性は 「違う。2万円抜き取っただろう!」 と少し声を荒げた。   ぼくは親父の財布からお金を盗んだことはあるが、 他の人からお金を盗んだことは無い。   ぼくは、 手のひらに乗っていたピーナッツ袋を 少し強く握り締め、 「盗んでません」 と言って、掃除を続けた。   ぼくが掃除を終えると、 2万円がレジの隅に追いやられてみつけられなかった、 と年配の男性はぼくに言った。   それ以上男性はぼくに何も言わなかった。   大人に幻滅した瞬間だった。   盗みの疑惑をかけておき、 それが間違っているとわかっても、 謝罪の一言も言えないのだ。   子供に謝れない大人にはなるまい と強く思った瞬間だ。   (5)その土地のことを知るきっかけができる   2011年、 東北地方太平洋沖地震があったとき ボランティアをするために 福島にも足を運んだが、 あずま館には行かなかった。   それでも、 高村光太郎の『智恵子抄』で出てきた ほんとうの空がある安達太良山を見つめながら、 ぼくは福島で働けたことを深く感謝した。     出典:www.club-t.com  

新聞配達というアルバイトを尊敬する3つの理由

  尊敬理由(1)だれよりも先に仕事を始める   ぼくの生まれて初めてのアルバイトは、 新聞配達だった。   新聞配達の仕事をやっていた 中学校の友人の誘いで始めたのがきっかけだ。   朝5時ぐらいに新聞販売店に出社し、 まず新聞にちらし広告をはさむ作業をする。   広告をはさみ終えると、 新聞を配る順番に並べ替える。   ぼくが住んでいた福岡は、 90%以上が西日本新聞をとっていたので、 新聞社の順番で混乱することはまず無かった。   新聞を並べ終えると、 新聞を自転車の前かごと後ろ荷台に載せていく。   配達中にかごと荷台から 取り出しやすいように 積み上げていくのがコツだ。   すべての新聞を載せ終わると、 あとは自転車をこいで、 配達先へと移動していく。   配達の順番は、 ベテランの新聞配達員に地図を渡され、 このルートでくばると 効率的に配達できるよと教えられる。   最初の頃は、 地図を見ながら自転車をこいで配達する。   尊敬理由(2)体力的に大変な仕事である   新聞配達をしたことがある人なら分かると思うが、 大量の新聞を自転車に載せると、 自転車がブルブルと震える。   ほんとうにブルブルと震えるのだ。 自転車のハンドルが 震源地にでもなったかのように 小刻みにゆれる。   ぼくが新聞配達をしていた頃は、 マンションの1階にある郵便受けではなく、 各部屋のドアの郵便受けに直接配達していた。   最近では、 1階の入り口にセキュリティドアがある マンションが多いので、 あまりないのかもしれないが、 新聞を数部抱えたままマンションを 1階から8階まで登ったり降りたりすると とても疲れる。   新聞がしたたる汗に 汚れないようにしなければならない。   尊敬理由(3)つらいこともある   新聞配達のつらさは、 季節・天気に大きく左右される。   大雨や大雪の日は、 自転車での新聞配達のつらさが 2倍にも3倍にもなる。   ぼくは大雪のときに配達をして、 凍りついたアスファルトに転んだことがある。   外は真っ暗のなかで、 落とした新聞を拾い集め、 かごと荷台に積みなおす作業は、 心細くてとても寂しいものだった。   幸い、 新聞はビニール袋に入れてあったので 新聞配達そのものに支障は無かった。   ぼくは新聞配達のつらさを克服できずに、 アルバイトを短期間でやめてしまった。   ぼくの友人は、 中学卒業まで新聞配達を 継続したのではないかと思う。   新聞配達は とてもとても大変な仕事です。   新聞配達員さん、ご苦労様です。敬礼。     出典:greekcircuit.com  

幼心の憂鬱を癒してくれる2つのこと

  ぼくの幼心を憂鬱にしたもの   ぼくは小学校3年生からラグビーを始めた。   きっかけは、 朝のラジオから流れていたい ラガーマン募集の告知だった (年齢に関係なく、選手はみんなラガーマンと呼ばれる)。   ちなみに、Urban dictionary によると、 rugger もしくは rugger manは、 Someone who can sustain several concussions and still manage to go to the pub after running for 80 minutes...

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