近所の病院で一般内科の研修があった。
担当医の先生は、
神経科医の先生だった。
顔はスティングに似ていた。
人当たりがとてもいい先生で、
患者さんが先生との会話を楽しんでいるのが
すぐに分かった。
また、先生は、
学生を含め回りのスタッフにも理解できるよう
ゆっくり話してくれるので、
ぼくはとても好印象を持った。
今回出会った患者さんの数は二人だけ。
数は少ないが、
とても興味深い症例に触れることとなった。
一人目の患者さんは、
女性A(45歳)で、
昨日激しい頭痛が原因で、
病院の救急に運び込まれた。
ぼくは脳卒中をまず疑い、
脳神経の身体検査をおこなった。
大きな障害はとくに見られなかった。
ただ、ぼくが舌をベーっと出してくださいと言うと、
彼女の舌は左側に傾いていた。
顔の右側に大きな腫れ物が無いことを考えると、
これは舌左側部分の運動機能が
麻痺していることを示唆していた。
患者さんに色々聞いてみたかったが、
ご家族の方が来られたので、問診も半ば、
ぼくと先生は患者さんに礼を言って、廊下に出た。
廊下には、
両手に大きなファイルを抱えた病院のスタッフ、
看護婦さんに車椅子を押されている患者さん、
サルビアの花束を片手に見舞いに来た家族など、
いろんな人が右へ左へ流れていった。
ぼくと先生はそんな人の流れを
箸でつまむかのように、
廊下の両側の壁に背中を向け、
症例を議論し始めた。
議論の内容は正直全て覚えていないが、
舌左側部分の運動機能麻痺を起こす原因を
包括的に議論した。
ぼくは、患者さんの激しい頭痛のことを考えると、
脳(特に舌の運動を司る前頭葉もしくは脳幹の一部)に
卒中があったのではないかと推理をした。
それを聞いた先生は、
「それじゃ、患者さんの脳のCTスキャンと
MRIスキャンを見てみよう」と言い、
ぼくらはナースステーションへと向かった。
脳画像をみてみると、
大脳にも脳幹にも大きな障害は見られなかった。
ただ、左頚動脈に流れを悪くしている
プラークがあるのが分かった。
おそらくこれが原因で、塞栓が形成され、
舌の運動を司る脳幹の一部に
障害が起きたのではないだろうか?
また、それが頭痛の原因になったのではないだろうか?
二人目の患者さんは、
男性B(83歳)である。
2日前に、突然意味不明な言葉を言い始め、
言われたことが理解できない旦那さんを、
奥さんが心配になって病院に連れてきたのだ。
Bさんはとても陽気で
病室にいた奥さんと何かをしゃべっていた。
先生がBさんと奥さんに、
「家族の大切な時間にお邪魔をして大変申し訳ないですが、
医学生にすこし質問させていただけないでしょうか?」と聞いた。
「OK. No worries.」と返事が返ってきた。
ぼくはBさんに
「今日は何月何日ですか?」と
「右手にコップを持ってください」と言った。
Bさんは日付を答えることもなく、
コップを右手にもつこともなかった。
それでもBさんはいろんなことを
陽気に話し続けた。
時折、コミュニケーションが成り立つことがあったので、
再度「今日は何月何日ですか?」と聞いてみると、
「わからないよ」と返事があった。
また「右手にコップを持ってください」と
再度お願いすると、右手にコップを持ってくれた。
ぼくと先生は患者さんに礼を言い、
廊下に出た。
そして前の症例のように、
原因はどこにあるのかを議論し始めた。
ぼくが、
「言語理解を司る左脳のウェルニッケ野の卒中を疑っている」と
言おうとしたその瞬間に、
先生のポケベルがけたたましい音で鳴った。
「すまないが、急患の検査が入った。
今日の研修はここで終わりにしよう。」と言って
ナースステーションに足早に歩いていった。
ぼくは、
ナースと一緒に歩いていく先生の後姿を眺めながら、
自分の頭の中にある
脳の構造と機能の知識が入った引き出しを
空しく開けたり閉めたりした。
脳科学を学んできたぼくは
とても興味をそそられる症例に出会うことができた。
また、一般内科を紹介してくれた先生
Professor Graeme Hankeyのことは覚えておこう。
自分が神経科の道を歩むのであれば、
ぜひとも指導をお願いしたい。
神経科に興味がある方は、先生の本をどうぞ。
Hankey’s CLinical Neurology (2nd ed)