Harvard大学はアンチ人種差別
Harvard大学に入学が決まっていた新入生が人種差別的な発言をして入学が撤回になったニュースがあった。Harvard大学と言えば、世界大学ランキングでも常に上位にある大学である。そんなworld-wideな大学ですら、人種差別の問題は存在するのだ。このことは特筆するほど驚くことではない。
「人種差別がない国」はない
ぼくは、人種差別の存在を否定するほどナイーブではない。日本でも人種差別はもちろん起きているし、ぼくが旅行した海外の国でも人種差別的な発言・行動を目にしてきた。ちなみに、日本が人種差別国ランキングで何位かを知っている人はほとんどいない。(←どうやってランキング化しているんだろう)
ぼくが暮らしているオーストラリアは、日本よりも多人種・多文化国家である。そのため、人種差別問題は明るみに出やすい。ぼく個人も、人種差別的発言をいただくことがある。それは、往々にして、街を歩いているときに知らない人から暴言を浴びせかけられるなどの全く根拠のない程度のものである。だから、ほとんど気にならない。イラっとするぐらいである。
ただ、自転車に乗っているときに、ぼろぼろのワゴン車がぼくのそばに来て、運転手の男性と助手席の女性から大声で罵声を浴びせられた時は、さすがに心の中でハァーと大きなため息をついてしまった。ぼくの中にある「女性は博愛主義者である」という穿った妄想が打ち砕かれた瞬間である。良い子は耳をふさいでしまう言葉を浴びせられながらも、英語が分からない振りをしてニコニコしていたぼくだが、心の中は本当に残念でしかなかった。思い出しただけで、ハァーっとなる。
「人種差別は有る、無い」で議論することは不毛
ぼくは、人種差別の問題を有る無しで議論することは無い。ぼく(あなた)が人種差別者であるか否かということは議論することは不毛だと思っている。それよりも、ぼくが関心があるのは、ぼく(あなた)が「どれだけ人種差別的思考・感情を持っているか」ということである。(←思想ではなく、思考・感情と書いていることに注意)
実は、ぼく(あなた)が「どれだけ人種差別的思考・感情を無意識的に持っているか」を測るテストがある。Implicit association test(潜在連合テスト)と呼ばれるもので、脳科学・心理学の分野で用いられる科学的テストである。
このテストを受けるかどうか躊躇する人がほとんどである。「もし、人種差別者だと判定されたらどうしよう」という恐れがそこにはあるからである。健全だと思う。上でも述べたが、「人種差別者か否か」という考え方を持っている限り、この恐れは無くなることはない。より建設的なのは、自分が「どれぐらい人種差別的思考・感情を持っているか」ということを知り、だからどうすればいいかを考えることである。
あなたの無意識的な人種差別傾向を測るテスト
潜在連合テストを受けて、自分の人種差別的傾向を知っておこう(日本語版、英語版)。はからずも、このテストを無料提供しているのは、Harvard大学である。
潜在連合テストの妥当性は、まだ議論が行われており、このテストの結果によって「ぼくはアジア系の人種を無意識的に差別している」「あなたはヨーロッパ系の人種を無意識的に差別している」という風には断定してはならない。
しかし、人種差別というものが無意識的に行われているという考え方は、覚えていた方がいいと思う。人種差別者と「自称そうではない人」の違いは、意識的に人種差別的な思考・感情を抑えているかどうか、だとぼくは考えている。
人種差別は本能ではない
といっても、人種差別が生来的で不変なものであると主張しているわけではない。人種差別はsocial constructに近いとぼくは考えている。子供たちが遊ぶ姿を見れば、それは分かる。子供たちにとって、人種も文化も宗教も大きな意味をなさない。子供にとっての最大の関心は、一緒に遊んで楽しいかどうかということだけである。白も黒も黄色も、子供にとっては透明である。
それでも、人間が清廉潔白な生き物だともぼくは思わない。人種差別はなくならないだろうし、これからも人種差別を子供たちに伝える大人はいなくならないだろう。だからこそ「アンチ人種差別」という継続的な教育というものが大事なのである。