Tag: 2年生

オーストラリアの医学生が精神科の研修で見た4つ目のケース

  これから精神科で 実際に病歴問診を行った 患者さんについて書いていく。   患者さんとのやり取りを紹介することに 目的のようなものはない。   それよりは、 物語を傍観するような形で ぼくの臨床研修を書いていくことにする。   もちろん、患者さんの描写や病歴は プライバシーを保護するために 脚色が加えられている。 ただ、エッセンスはできるだけ 加工せずそのままにしてある。   (ケース4:男性D、65歳、紳士と怒りと妄想型統合失調症)   Cさんが出て行った後、 ぼくは部屋の隅に置かれていた ウォーター・タンクからカップ半分ぐらいの水を次ぎ、 一気に飲み干した。   Cさんの想像妊娠の話の余韻が 頭に残っていた。   看護師のZさんは その話を知っているのだろうか? そもそも看護師のZさんは実在するのだろうか?   3人の患者さんの問診が終わったところで、 指導医のアンドリューが 入院の簡単な流れを教えてあげるから ナースステーションに行こうと言った。   ぼくと友人はアンドリューのあとについて行きながら、 すごい話が聞けたという驚きを 顔の表情だけでお互いに伝えようとした。   ぼくの顔も友人の顔もカタチ、大きさ、性別は違うけれど、 心が映る鏡があるならば、 そこには同じ顔が浮かんでいたと思う。   Dさんをはじめて目にしたのは、 ナースステーションの外だった。   ナースステーションで 従業員のシフト表などの説明をしていたアンドリューが、 窓口の外で待っているDさんを見て 「ハロー、Dさん、買い物はどうだった?」と話しかけた。   Dさんは愛想よく、 「いい買い物ができました。 サンキュー、ドクター」と 丁寧に答えた。   Dさんは 手に持っていた買い物袋を ナースステーションの窓口に載せ、 中からビタミン剤のボトルを3つ、 そして香水の入った箱を取り出した。   アンドリューに 「これらをわたしの元妻に渡すつもりで買ってきたから、 中身が安全であることを確認してほしい。 危険物と思われて病院が没収することないように、 しっかり確認してほしい。 お願いします、ドクター」と伝えた。   Dさんの口調は、 礼儀ただしい老紳士の原型が しゃべっているようだった。   アンドリューが 「わかりました。それではお預かりします」 と答えると、 「サンキュー、ドクター」 とDさんは言った。   ぼくはDさんの表情や振る舞いを見ながら、 奥さんが入院されているんだなと想像し、 Bさん、Cさんのことを思い浮かべた。 うーん、たぶん違うだろうな、とぼくは思った。   ナースステーションでの説明が終わり、 アンドリューが最後の患者さんを読んでくるから、 さっきの問診部屋で待っていてと言った。   ぼくらは言われたとおり問診部屋に戻り、 最後の患者さんが来るのを待った。   少し待ち時間があったので、 ぼくはまたウォーター・タンクから カップ半分ぐらいの水を次ぎ、 一気に飲み干した。   部屋の窓から中庭を見ると、 ウィリーワグテイルが 芝生の上でオシリを左右に振っていた。   部屋のドアが開いて入ってきた 最後の患者さんは、 Dさんだった。   Dさんは、 深緑色のツバ付きニット帽をかぶり、 あごの周りには白髪のひげを蓄えていた。   病院スタッフのパイナップルに比べれると、 Dさんのひげは綺麗にトリミングされていた。   Dさんはゆっくりと椅子に座り、 「わたしに病歴問診をしたい 医学生さんたちは、あなた達かね? ドクターとお呼びしたほうがいいのかな、 ドクター?」と落ち着いた声で ぼくたちに聞いてきた。   声は少し枯れていて、 その抑揚にはDさんの知的能力の高さが 見受けられた。   これは大変な病歴問診になるな、 とぼくは直感的に思った。   Dさんは35歳のときに イランからオーストラリアに移住してきた。 イランではエンジニアの仕事をしていた。   「なぜオーストラリアに移住してきたのですか?」 とぼくが聞くと、 Dさんは自分がなぜエンジニアになったのか ということから話し始めた。   3、4分ぐらいはその話をしていたのではないだろうか?   「なぜオーストラリアに移住してきたのか という質問に簡単に答えてほしかったのですが・・・」と Dさんの流れるような文章と文章の間に滑り込むと、   「あなたは、わたしを黙らせたいのですか? それとも質問に対する答えを聞きたいのですか? 物事には因果関係があります。 結果を理解してもらうには、 原因を知ってもらわなければいけません。 このロジックを受け入れていただけないのであれば、 ぼくは黙ることしかできませんよ。」とDさんは答えた。   そして、Dさんは左手の親指と人差し指で輪を作り、 右の口元から左の口元へとそれを走らせ、 チャックを閉めるようなしぐさをした。   このような考え方をする人は少なくない。   ぼくも同じような考えにとらわれることがある。 しかし、ロジックは道具であって聖杯ではない、 とぼくは自分の人生で学んできた。   自分が犯した過ち (つまりロジックへの傾倒による感情との断絶) を思い出し、 Dさんにもその傾向があるかを調べてみることにした。   「それは失礼なことをしました。 話を続けてください」とぼくは言った。   Dさんはそれから4,5分ぐらい話をし、 イランで精神科の病院に 入院「させられた」ことを語ってくれた。   「そのときどんな思いでしたか?」 とぼくが聞いてみると、 「あれはイ・ロジカル(非論理的)だ」 と答えが返ってきた。   「なぜオーストラリアに移住してきたのですか?」 と言う質問に対し、 合計で30分ぐらいは話していたと思う。   読者には申し訳ないが、 正直ぼくにはその理由が分からなかった。   話を現在に戻し、 「オーストラリアの精神科に通っている 理由は何だと思われますか?」と聞いてみた。   「そんなことは担当ドクターに聞いてくれ。 ぼくはそこにロジックがあるとは到底思えないんだけどね」 とDさんはすこしムッとして答えた。   この病院に初めてきたときのエピソードを 教えてくださいとお願いすると、 Dさんは時系列に物事を話してくれた (Dさんの話しには、かならず日付が出てきて、 最後にon the Christian calendarと付け加えられた)。   まず、1990年10月25日。 Dさんはオーストラリアで医者になろうと 近所の大学の本屋で参考書を探していた。   その動機を知ったオーストラリア政府は わたしを不当に拘束した。   オーストラリアとイラン政府の陰謀で、 わたしは救急病棟に1日拘束された。   1990年10月26日。 わたしはこの精神病院に連れてこられ、 4日間隔離病棟に閉じ込められた。   「そのときどんな思いがしましたか?」 とぼくが聞いてみると、 Dさんはぼくの頭の左上をにらみつけ、 顔を真っ赤にした。   強く握り締めた右手のこぶしは ぶるぶるとに震えていた。   ぼくはDさんの表情を見つめ 「ぼくが想像もできないほどの怒りが あなたの中にあるようですね」と言った。   その言葉を聞いたDさんは 怒りに満ちた表情と態度を いままでの老紳士のそれへ変化させた。   それは一瞬の出来事だった。   Dさんは 「わたしは怒っていない。 ただ、イ・ロジカル(非論理的)だと言いたいのだ」 と吐き捨てるように言った。   病歴問診中、 Dさんの治療の第一歩は 自分の感情(特にネガティブな怒りや悲しみ)を 認めることにあるのではないかと思っていた。   だから、Dさんがこぶしを震わせて、 憤怒を表現したとき、 ぼくの中にかすかな希望が芽吹いた。   正直 その怒りを表現できるほどの問診をできたことに ぼくはすこし喜びも覚えた。   ただ、Dさんの自我を守るロジックはとても強固だったし、 なによりも感情と思考の断絶の崖は深く、 短時間ではとても越えられるものではなかった。   精神科における治療のゴールが、 「患者自身が自分を愛し 他人を愛するための一歩を踏み出すこと」 にあるのであれば、   感情を受け入れ表現することは 不可欠ではないかと思う。   自分の感情を受け入れないことは、 自分を受け入れないことにつながる。   そして自分を受け入れられないものは 他人を深く受け入れることはできないと思う。   ロジックに傾倒する人は、 「だから何だ?自分を受け入れて何になる? 他人を受け入れて何になる?」と考える(ぼくもそうだった)。   「だから何だ?自分を受け入れて何になる? 他人を受け入れて何になる?」に対する答えは、 多種多様にあるのではないかと思っている。   ただ、ぼく自身が学んだことは、 自分を受け入れ、 他人を受け入れてはじめて 答えが出る問題である。   ロジックに傾倒しすぎると、 「どうせ、すっぱい葡萄さ」 と言ってあきらめた狐のようになり、 実はこの疑問に真に答えていない。   人が何を考え何をするのかは、 個人の自由である。   Dさんが精神科の治療を不当と思い続けるのも 彼の自由である。   ただ、じぶんは同じ事を考え、 同じ事をしながら、 周りだけが変わっていくことを願うことを 「精神異常」 と定義しているひともいたなぁ、 とふと思い出した 2015年2月20日 on the Christian Calendar。   出典:www.comingsoon.net    

オーストラリアの医学生が精神科の研修で見た3つ目のケース

  これから精神科で 実際に病歴問診を行った 患者さんについて書いていく。   患者さんとのやり取りを紹介することに 目的のようなものはない。   それよりは、 物語を傍観するような形で ぼくの臨床研修を書いていくことにする。   もちろん、患者さんの描写や病歴は プライバシーを保護するために 脚色が加えられている。 ただ、エッセンスはできるだけ 加工せずそのままにしてある。   (ケース3:女性C、47歳、想像妊娠と妄想型統合失調症)   頭にティアラをつけたCさんが 部屋に入ってきたのは、 Bさんの問診が終わって2,3分後だった。   左手には、ビニールの買い物袋を持っていた。   自己紹介と病歴問診のお願いを試みるも、 Cさんがぼくの言っていることを 理解しているとは思えなかった。   なぜなら、 まばたきひとつせずに、 開いたドアの向こう側を見るように ぼくの目を無表情で見つめていたからだ。   正しくは「見つめていた」とはいえないかもしれない。   目は開いていても その先はCさんの内なる世界が 見えていたのではないかと思う。   ぼくは、 Cさんの買い物袋を手のひらを上にして指差しながら、 今日はどこでショッピングをされたんですか? と聞いてみた。   Cさんは買い物袋を見ることもせず、 ぼくの目をじっと眺めながら、 ネックレスと指輪そして化粧品を買ったの、 と言った。   そして、 自分の頭の上につけていたティアラを触りながら、 これもそうよ。綺麗でしょ、わたし、と言った。   Cさんの体系は 肥満型で年は50台半ばに見えた。   宝石類が好きなことは分かったが、 容姿に全力投球している感じでもなかった。   数日間も洗っていないだろう その髪はぼさぼさになって、 いくつかの束を作っていた。   その束の大きさもまちまちで、 ブラッシングしてないことは 一目瞭然だった。   ティアラをもてあそんでいる その指の爪は、 直角の崖を指だけで登ってきたかのように ぼろぼろで黒く汚れていた。   Cさんに いつごろからこの病院に通院しているのか と聞いてみた。   看護師さんのZさんに出会ってから と微笑みながら言った。   この微笑みもぼくとの間に交わされたものではなく、 Cさんの頭の中のZさんと交わされたもののように感じられた。   看護師のZさんはどんな人ですか? と聞いてみると、 わたしの赤ちゃんのお父さん とCさんは言った。   ぼくは内心ぎょっとしたが、 その心の動きは表に出さずに、 妊娠されてどれぐらいですか とすぐに質問すると、   Cさんは 2年半とゆっくりと答えた。   ぼくの心の動きが より不安定になった同時に、 Cさんへの人間性をもっと理解したい という気持ちもブクブクと湧いてきた瞬間だった。   残念ながら、 病歴問診もあまりできないまま、 Cさんはショッピング帰りで疲れているから と言って、部屋をよたよた出て行ってしまった。   Cさんのカルテを見ると、 隔離病棟を含め この病院には30回ほどの入院歴があった。   彼女の生い立ちが書かれていたが、 担当医師の手書きがあまりにも汚くて解読不可能だった。   それでも、薬物中毒の病歴があることだけは分かった。   ブクブク、ブクブク。   2年生の医学生が出会った精神科の患者さんたち (ケース1:男性A、45歳、薬物と幻聴と統合失調症) (ケース2:女性B、37歳、失禁と夢とうつ病) (ケース3:女性C、47歳、想像妊娠と妄想型統合失調症) (ケース4:男性D、65歳、怒りと妄想型統合失調症)  

オーストラリアの医学生が精神科の研修で見た2つ目のケース

  これから精神科で 実際に病歴問診を行った 患者さんについて書いていく。   患者さんとのやり取りを紹介することに 目的のようなものはない。   それよりは、 物語を傍観するような形で ぼくの臨床研修を書いていくことにする。   もちろん、患者さんの描写や病歴は プライバシーを保護するために 脚色が加えられている。 ただ、エッセンスはできるだけ 加工せずそのままにしてある。   (ケース2:女性B、37歳、失禁と夢とうつ病)   Aさんのカルテに目を通し終わる前に、 次の患者Bさんが 指導医アンドリューと部屋に入ってきた。   Bさんの体は肥満体型(BMI=30ぐらいだろうか)で、 服装は古びたTシャツと ひざの下ぐらいあるスウェットパンツを着ていた。   化粧はしておらず、 おしゃれに気を使っている という女性ではないらしい。   Aさんと同じように、 Bさんにも自己紹介をし、 病歴問診をさせてほしいとお願いをした。   Bさんは快くOKしてくれたが、 自分の幼少時代のことは あまりしゃべりたくない とだけ付け加えた。   ぼくはもちろんそれに従うと返答した。   Bさんが部屋に入ってドアを閉めると、 アンモニアの臭いが部屋に漂い始めた。   最初のうちは 意識に上らないぐらいの臭いだったのだが、 問診が進むにつれ、 その臭いはぼくの注意力を奪っていった。   糖尿病患者によくあるケトンの香りはしなかった。   Bさんの生まれは、 西オーストラリア州ではなく ノーザンテリトリー州だった。   Bさんが16歳のときに パースに家族と引っ越してきたようだ。   お父さんは建築者、 お母さんはシェフだと教えてくれた。   どこの高校に行ったの? と聞いてみると、 ぼくが知らない土地の名前が付いた学校名が帰ってきた。   Bさんの病歴を聞くと、 この病院にもう20年近くお世話になっている との事だった。   幼少期に触れないような質問を頭の中で捜していると、 Bさんが突然、昨日の夢の話をしていいかと 少し興奮気味にきいてきた。   夢にはとても大事な意味がこめられている とぼくは信じているので、 ぜひとも詳しく話してほしいと答えた。   以下Bさんの夢。   私は知らない道の上を歩いていました。 道の上には車は走ってなくて、 両サイドの家が建ち並んでいました。   どこかの住宅街だと思いますが、 私はそこに行ったことはありません。   私は少し歩いて、 ある家の前にたどり着きました。   奇妙なことに、 家のまわりの塀には 鏡が張り巡らせれていました。   家のほうを見てみると、 リビングルームで 人のよさそうな老女が手紙を書いていました。   誰に何の手紙を書いていたのか、 私には分かりません。   私はいつ間にかその家の中にいて、 老女と会話をしていました。   スコーンと煎れてくれたお茶が とても美味しかったです。   ずっとそこにいたいなと思ったのですが、 他人の家だからもう行かなきゃいけないとも思いました。   私がそう思った瞬間、 私は地下室につうじる階段を降りていました。   地下室はとても暗く、 湿り気で丸々太ったマリファナの植物が栽培されていました。   マリファナ以外にも、 たくさんのマシンガンが壁に立てかけられていました。   ぼくはBさんの夢の話を聞き終わると、 彼女の家族について聞いてみた。   ご両親はこの病院の近くに住んでいますか? と聞いてみると、 いまはノーザンテリトリー州に戻って 生活をしていると教えてくれた。   お姉さんがひとりいて、 パースで働いているらしかった。   兄弟はいますか? と聞いてみると、 190人以上はいる との答えが返ってきた。   こちらの聴き間違いかと思い 再度質問してみると、 190人以上だと Bさんは言った。   うつむきながら言ったその口元は、 すこしの軽蔑とすこし寂しさが 混じったようなものが浮かんでいた。   夢はときに その人の精神的成長を促すシンボルを教えてくれる、 とぼくは信じている。   ぼくなりにBさんの夢診断をしてみたが、 これはぼく自身の内省的な世界であり、 ここでの紹介は控える。   また、Bさんの治療に役立てるには、 Bさんについての情報が少なすぎることもある。   友人同士であれば、 色々なことが好き勝手に言えるが、 パブリックな世界に公表するには、 ぼくに責任を負うための自信とスキルが無さすぎる。   夢と精神の関係について興味がある人は、 ジクムンド・フロイト、カール・ユング、秋山さと子、 河合隼雄などの本を読んでみてほしい。   2年生の医学生が出会った精神科の患者さんたち (ケース1:男性A、45歳、薬物と幻聴と統合失調症) (ケース2:女性B、37歳、失禁と夢とうつ病) (ケース3:女性C、47歳、想像妊娠と妄想型統合失調症) (ケース4:男性D、65歳、怒りと妄想型統合失調症)   出典:www.counter-currents.com    

オーストラリアの医学生が精神科の研修で見た1つ目のケース

  これから精神科で 実際に病歴問診を行った 患者さんについて書いていく。   患者さんとのやり取りを紹介することに 目的のようなものはない。   それよりは、 物語を傍観するような形で ぼくの臨床研修を書いていくことにする。   もちろん、患者さんの描写や病歴は プライバシーを保護するために 脚色が加えられている。 ただ、エッセンスはできるだけ 加工せずそのままにしてある。   (ケース1:男性A、45歳、薬物と幻聴と統合失調症)   指導医のアンドリューさんが、 Aさんを連れてきた。   Aさんは白人男性で 小柄、身長が160cmないぐらいだ。   ぼくは、握手をしながら、 自分が医学生でありAさんに 病歴問診をさせてほしいと許可を求めた。   あからさまに嫌な顔はしなかったが、 無駄に作り笑いをすることもなかった。 しぶしぶ病歴問診に協力してくれた、 という感じだ。   Aさんは、 どこかのバスケットのチームのタンクトップと、 右のポケットに穴が開いた 濃い緑色のバギーバンツをはいていた。   頭はすこし禿げあがっていて、 肩まで伸びた後ろ髪を輪ゴムで束ねていた。   両手首には、たくさんのミサンガが巻かれていた。   ぼくはまず、 Aさんになぜ精神科に通っているのかを聞いてみた。   Aさんはモゴモゴと抑揚なく話すので すべては理解できなかった。   ただ、いくつか質問をしていくと、 Aさんが薬物(おもにアンフェタミン)の大量摂取で 急性精神病状態になり、 救急病棟に運び込まれ治療を受けた後、 この精神病院に連れてこられたことが分かった。   問診中、Aさんは、 ここに心あらずという感じだった。   時折遠くのほうを見つめたり、 首を少し動かして口を小さく開けたり閉めたりしていた。 まぶたは凍りついたようじっとしていた。   そんなAさんの行動を見て、 ぼくは単刀直入に 「いまここにはいない誰かの声が聞こえますか?」 と聞いてみた。   Aさんのしぐさと顔の表情がかすかに変化した。 どこがどう変わったのか説明できないが、 Aさんがこの質問に対してcomfortableではないことはわかった。   指導医のアンドリューさんも Aさんのわずかな変化に気づき、 「Aさん疲れているようだね。 今日はこれぐらいにしようか」 と言った。   ぼくも 「Aさん、どうもご協力ありがとうございました」 と握手をし、Aさんが出ていくのを見送った。   Aさんのカルテには、 幻聴・幻覚に悩まされていることが書かれていた。   2年生の医学生が出会った精神科の患者さんたち (ケース1:男性A、45歳、薬物と幻聴と統合失調症) (ケース2:女性B、37歳、失禁と夢とうつ病) (ケース3:女性C、47歳、想像妊娠と妄想型統合失調症) (ケース4:男性D、65歳、怒りと妄想型統合失調症)   出典: www.trendhunter.com    

オーストラリアの医学生が精神科の研修で見た4つのケース

  学校の臨床研修で精神科に行ってきた。 午前中は臨床実技のクラスがあったので、 クラスのあと、友人と待ち合わせをして、 友人の車に乗せてもらい 精神科のある病院へと向かった。   その友人はすこし変り者で、 Satanic Metalの音楽をかけながら 車を運転していた。   (サタンメタル? 日本ではなんて訳されているのだろう? Black metalなのかと思ったが、友人に言わせると、 Black metalとSatan metalは別物らしい)   医者になる人が この系統の音楽を聴いていることに 不安を覚える人もいるかもしれない。   それは、健常な心配だと思う。   ただ、この友人から危険な匂いがしないので、 10代の頃の反抗期が いまだに体に染みついているのかなぁ、 程度の印象しかぼくは持っていない。   良くも悪くも、 若いころは宗教的な意味よりも、 確立された社会のルールに反抗するためのツールとして、 この系統の音楽を聴くことがあるのだ (ぼくもその一人だ)。   友人が駐車場を見つけるために病院を一周した。 どこの駐車場も有料だったので、 近所の空き地に車をとめた (学生はお金を少しでもセーブしたいのだ)。   車のドアを開けると、 真夏の日差しが腕時計の表面を白く照り付けた。 病院に着くころには、 友人の背中が汗でにじんでいた。   病院の受付の看護婦さんに UWAの医学生ですが、と話しかけると、 ここにサインしてこっちにおいでと言われた。   サインしたのは、 病院職員の入出表だった。   ぼくが記入した上の欄に 医学部の友人の名前が書いてあった。 前日の研修で来たみたいだ。   看護婦さんは40~50歳ぐらいの方で、 右手に金色の縁取りをした懐中時計を持っていた。   ぼくたちが通されたのは、 職員の休憩室だった。   部屋の隅には 従業員の冷蔵庫と そのそばには流し台があり、 洗われたばかりのコーヒーカップが 逆さまに置かれていた。   部屋の中には 楕円形のテーブルと その周りに椅子がおかれていた。   その椅子の一つに、 アボリジニ系の女性が ひとりポツンと座っていた。   居心地が悪そうに座っていたので、 研修に参加している同級生だとすぐに分かった。   同級生は約220人もいるので、 挨拶もしたことがない人が多くいる。   それでも、キャンパスで目が合うと、 瞼を少し上に持ち上げて 挨拶の一歩手前のようなことはする。   ただ、このアボリジニ系の女性には 一度もあったことがなかった。   彼女のほうはぼくのことを知っているみたいだった (日本人はぼく一人だけだから結構有名になるみたいだ)。   ぼくは、 頭の中の床の間まで調べてみたが、 彼女の顔は浮かんでいなかった。   場所不案内な医学部生3人が肩を寄せ合って、 テーブルを囲んで待っていると、 4人目の医学生が みぞれのような汗を額にかかえて休憩室に入ってきた。   この女性は知り合いで、 とても精力的なインド系の女性だ。   彼女が汗を乾かそうと エアコンの下に歩き出したとき、 長いひげを生やした男性が部屋に入ってきた。   彼のひげは、 逆さまにしたパイナップルの葉のように、 いろんな方向を向いていた。   パイナップルの葉っぱが上下に開き、 「UWAの学生さんたちかい?」 と優しい声が漏れてきた。   4人とも口を開かずに頷いた。 「これから病院の案内していく 先生に会わせてあげるからから 付いておいで」と言われた。   パイナップルは担当の先生ではないらしい。   担当の先生は、 30代後半もしくは40代前半ぐらいの インド系の女性だった。   パイナップルは、 その女性に二言三言喋ると、 いたずらっ気のあるウィンクをして どこかに行ってしまった。   担当の先生は、 ぼくら学生4人を引き連れて、 隔離病棟を見せてくれた。   隔離病棟に入る直前、 ぼくの頭の中には映画『羊たちの沈黙』で 特別な檻に隔離された レクター教授の姿が思い浮かんでいた。   厳重な2重扉をクリアして中に入ると、 職員がナースステーションで昼ご飯を食べていた。   残念ながら、 患者さんの姿はひとりも見られなかった。   外で運動をしているらしかった。   緊急時以外はできるだけ 隔離病棟から出てもらう努力をしているようだ。   隔離病棟を離れ となりの外来病棟に着くと、 インド系の担当の先生は、 ぼくら学生4人グループを二つに分け、 また別の医者にぼくらを引き渡した。   インド系の彼女も、 パイナップルと同じような いたずらっ気のあるウィンクをして どこかに行ってしまった。   ぼくは、 いまだに額に大汗をかいていた友人と一組となり、 インターンの男性(20代後半ぐらい)の後をついていった。   このインターンは正直、 精神科に興味がある医者ではなかった。   どちらかといえば インターンシップの一環だからしょうがなく精神科にいるんだ という印象の人だった。   それでも彼は、 ぼくら学生ふたりを小さな部屋で待つように指示し、 病棟の中を歩き回り患者さんを見つけてきてくれた。   2年生の医学生が出会った精神科の患者さんたち   これから 精神科で実際に病歴問診を行った 患者さん4名について書いていく。   患者さんとのやり取りを紹介することに 目的のようなものはない。   それよりは、物語を傍観するような形で ぼくの臨床研修を書いていくことにする。   もちろん、 患者さんの描写や病歴は プライバシーを保護するために 脚色が加えられている。 ただ、エッセンスはできるだけ 加工せずそのままにしてある。   (ケース1:男性A、45歳、薬物と幻聴と統合失調症) (ケース2:女性B、37歳、失禁と夢とうつ病) (ケース3:女性C、47歳、想像妊娠と妄想型統合失調症) (ケース4:男性D、65歳、怒りと妄想型統合失調症)   サルバトーレ・ダリの絵に魅せられた人はこちらの書籍をどうぞ。     出典:en.wikipedia.org    

最新の記事

オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート5:リハビリ科)

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。ぼくはその夢を叶えるべく、オーストラリアの医学部を卒業し、インターン医師として次の4つの研修を無事修了した。 一般内科 (General Medicine)(リンク) 移植外科 (Transplant Surgery)(リンク) 救急医療 (Emergency...

オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート4:コロナウイルス病棟)

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。ぼくはその夢を叶えるべく、オーストラリアの医学部を卒業し、インターン医師として次の4つの研修を無事修了した。 一般内科 (General Medicine)(リンク) 移植外科 (Transplant Surgery)(リンク) 救急医療 (Emergency...

オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート3:心臓病科・心疾患集中治療室)

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。ぼくはその夢を叶えるべく、オーストラリアの医学部を卒業し、インターン医師として次の4つの研修を無事修了した。 一般内科 (General Medicine)(リンク) 移植外科 (Transplant Surgery)(リンク) 救急医療 (Emergency...

オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート2:急性疾患医療)

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。ぼくはその夢を叶えるべく、オーストラリアの医学部を卒業し、インターン医師として次の4つの研修を無事修了した。 一般内科 (General Medicine)(リンク) 移植外科 (Transplant Surgery)(リンク) 救急医療 (Emergency...

オーストラリアで総合医になる必勝方法

  ぼくには、「オーストラリアで温かい医者になる」という夢がある。この夢の旅路に就くまでのその道は、控えめに言っても、紆余曲折で満ち溢れていた。   ごとうひろみちの紆余曲折の人生に興味のある方はこちらをどうぞ。 ↓↓↓↓↓↓   オーストラリアの医学部を一年休学した後に卒業し、ぼくは現地の病院に就職した。現在は、医師3年目のペーペー Registrarをやっている。通常、オーストラリアで言うRegistrarは「専門医になるための訓練を受けている医師」を指すのだが、ぼくはいまService registrarという少し変わったポジションで働いている。Service registrarは、特定の専門のトレーニングプログラムに入っているわけではないが、病院側が働き手が一時的に足りていない分野に送り込むRegistrarのことを指す。オーストラリアの医師のハイラルキーに興味がある方は、過去記事『オーストラリアのインターン医師になったらやらなければならない6つのこと』をどうぞ。   インター医師よりも経験はあるが専門をまだ決めかねている医師は、このService registrarとして働くことが多い。そして、Service registrarとしてインターン医師よりは重い責任を負いながら、どの専門に進むかを考えている。どの専門に進むのかを決める要因は千差万別で、流行りの専門を選ぶ医師がいたかと思えば、朝の問診が嫌いだからという理由で救急医療を選ぶ医師がいたりする。色々な思惑と背景を持った医師がいる以上、これさえ押さえておけば専門医トレーニング選びに後悔しない、というものはない。 ちなみに、医学部に入ったときにこんなフローチャートが授業で出てきたが、あながち間違いではないような気がする。専門を迷われている方は参考にするといいかもしれない(が、あまり気にする必要もないと思う)。     オーストラリアのインターン医師は、大きく分けて外科、内科、救急、精神科のローテーションを通じて医師としての一般的なスキルを磨く。3年という限られたインターンシップの期間中に、すべての科を回ることは不可能である。あらかじめ「~科で働きたいなぁ」と思っている医師は、病院側にその科に優先的に回してもらうことをお願いする。また、「~科には興味がない」ということを病院側に伝え、それ以外の科に回してもらうこともできる。   ぼくは医師として以下のローテーションを回ってきた。 1年目 内科(記事) 移植外科(記事) 救急(記事) ...