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オーストラリアの医学生がへき地で受ける「産婦人科」の教育

  Rural Clinical Schoolの3か月目は、 Broome Hospitalで産婦人科研修である。   ぼくの産婦人科の初日は、 忘れられない経験となった。 (プライバシー保護のため、 登場人物の名前や内容は脚色しています)   ぼくが産婦人科のナースステーションで 自己紹介を終えると、 助産婦のケイティに付いて 一日を過ごすことになった。   ケイティは助産婦としてとても経験豊富な方で、 仕事中にもかかわらず、 医学生のぼくに助産婦のいろはを教えてくれた。   助産婦ケイティはその日、 妊婦Aさんの担当をしていて、 ぼくもその出産の手伝いのチームのメンバーとして 参加させてもらった。   Aさんの妊娠期間は40週間+3日で、 過去に3回の出産歴があり、 1回の帝王切開出産を経験していた。   妊娠期間中は特に大きな問題もなく、 GBS(Group B Streptococcus)検査は陰性、 Rhesus検査は陽性だった。   Aさんは、妊娠期間が40週間を超えているということで、 助産婦のケイティや産婦人科医のペニーと話し合い、 陣痛誘発が行われることになった。   Aさんに胎児心拍陣痛図(Cardiotocography, CTG)が取り付けられ、 子宮口のサイズを図るために膣検査が行われた。   2cmだった。   予定通り、助産婦ケイティは 羊膜フックを使って 人工破水をした。   破水後に、 子宮収縮を開始するために オキシトシンがAさんに静脈注入された。   ぼくは胎児心拍陣痛図を使いながら、 子宮収縮と胎児の心臓活動をモニターした。   30分するほどすると、 子宮収縮が活発化した。 これは予定どおりだったのだが、 子宮収縮と同じタイミングで、 胎児の心拍に普段では見られない変化が 見られるようになった。 遅発一過性徐脈だ。   ぼくはそのことを助産婦ケイティに伝えた。 ケイティはすぐに膣検査をおこなった。 そして、膣の中に手がまだ入った状態で、 産婦人科医ペニーを呼ぶようにぼくに言った。   臍帯脱出だった。   産婦人科医ペニーは 胎児心拍陣痛図を見た。   助産婦ケイティは 臍帯脱出が起きていることを 静かにペニーに伝えた。   産婦人科医ペニーは 速やかにAさんに四つん這いになるように指示し、 緊急帝王切開が必要であることをAさんに伝えた。   Aさんはベッドの上で四つん這いのまま 手術室に運ばれていった。 そのあいだ、 助産婦ケイティは膣内に手を入れたままにし、 臍帯が子宮外に脱出しないようにしていた。   帝王切開が行われた。   手術室には産婦人科のチームだけでなく、 帝王切開後の胎児のために小児科チームも待機していた。   ぼくは帝王切開で生まれてきた胎児を、 小児科チームが待つ小児用ベットに移動させた。   体は真っ青だった。   それでも、帝王切開が迅速に行われたために、 胎児の色は回復し、 自然に泣き出すようになっていた。 気管挿管の必要はなかった。   ビタミンKが注射されると、 さらに大きな声で泣いた。   Aさんにはわからないように、 ふぅ、とみんな静かに息をした。   緊急帝王切開後、 Aさんも胎児も大きな問題もなく退院していった。   ぼくの産婦人科研修はこのようにして始まった。   その後も、 妊娠糖尿病を患う妊婦の帝王切開や 双子の経膣分娩などにもチームとして参加した。 ある時は、深夜3時に起きて出産のお手伝いをしたこともある。 もちろん、出産だけでなく、 妊婦管理クリニックや婦人科の患者さんのケア にも従事させていただいた。   動画は、帝王切開が行われる理由を説明しています。 https://www.youtube.com/watch?v=noNSuCAOz78     出典:babybistro.com.au    

オーストラリアの医学生がへき地で受ける「先住民医療」の教育

  Rural Clinical School が始まって 3か月が経った。   最初の1か月目は Broome Hospitalで外科・内科の医療研修。   2か月目は先住民アボリジナル・ピープル専門クリニックである Broome Regional Aboriginal Medical Service (BRAMS)で医療研修 (日本の学校で学ぶ「アボリジニー」という言葉は差別用語にあたる)。   3か月目は、Broome Hospitalに戻り、 産婦人科の研修。   BRAMSでの医療研修は、 BRAMSクリニックがオープンする朝8:30に始まる。 同級生の女の子と一緒にBRAMSへ行き、 患者さんと同じドアからBRAMSの建物に入る。   BRAMSのロビーに入ると、 野球スタジアムに置かれているような 5人掛けの椅子が4列並べられている。   患者さんは、 鏡張りの受付の向こう側にいるスタッフに 診察願いをする。   BRAMSの建物はエアコンがとても効いているため、 手続きをしたらすぐに外に出て 自分の名前が呼ばれるのを待つ患者さんが多い。   20℃(BRAMSの室温)vs 35℃(外の気温)、 あなたならどちらを選びますか?   医学生であるぼくと同級生の女の子は、 忙しそうに受付対応をしているスタッフに笑顔で手を振り、 医療エリアのセキュリティドアを開けてもらう。   スタッフが笑顔でドアを開けてくれたことはない。   BRAMSでの医学生の基本的な1日は以下の流れである。   8:30              BRAMS入り&医学生の出入りノートに記帳する ~12:00       患者さんの問診&総合医(GP)へのハンドオーバー ~12:30       昼食 ~15:30       患者さんの問診&総合医(GP)へのハンドオーバー 15:30           BRAMS入り&医学生の出入りノートに記帳する   BRAMSはとても勉強になるところだった。 これまでの病院医療研修の場合、 ぼくらが患者さんに対面するときはすでに、 医者、看護師、その他の医療スタッフのケアを受け、 診断も治療も行われている状態だった。   BRAMSの研修はそれとは違い、 医者もまだ診ていない患者さんを相手に、 医学生が問診、身体検査、診断試験、診断、治療を行うのだ。   もちろん、診断試験と治療はお医者さんの指導の下で行われるが、 問診と身体検査は医学生が患者さんとマンツーマンでおこなう。   BRAMSは先住民アボリジナル・ピープル専門クリニックであると書いたが、 Broomeに永住している日本人、日系オーストラリア人も診療を受けに来る (なぜ多くの日本人がブルームにいるのかはこちら)。   日本人の名前が患者さんリストにあると、 ナースのレネー(仮名)が 「Hey Hiro, you’ve got a VIP.」と言って、 ぼくを自動的に患者さんの担当にしてくれた。   BRAMSの医療研修のおかげで、 恐る恐るやっていた血液採取は 自信が持てるようになった。   また、刑務所に服役している囚人の問診や身体検査、 先住民学生の身体検査(Form 715)、妊婦管理、人工透析 などにも参加できた。   一番記憶に残っているのは、 患者さんの耳の中にいたゴキブリを取り除く作業である。 先住民の中には、芝生の上で一夜を明かす方が結構いらっしゃるのだ。   BRAMSの医療研修は、 これからぼくがどんな医者になりたいかということに 大きなヒントを与えてくれたような気がする。   患者さんが次から次へと流れていくベルトコンベヤー式の大きな病院よりも、 長い年月をかけて患者さんに密に関わっていく小さな診療所のほうが、 ぼくは幸せなのかもしれない。   ドクター・コトーのことはよく知らないけれど、 たしか僻地の住民と密につながっていくドクターの話ではなかっただろうか。 ぼくは、リアル・ドクター・ゴトーになるのだろうか?   ドラマ   漫画     この記事の写真は、 先住民アボリジナル・ピープルの旗である。 先住民の方は、ぼくらが知っているオーストラリアの旗ではなく、 この旗を国旗としてみている。 旗に使われている3つの色にはそれぞれ意味があるので、 興味のある方はこちらをどうぞ。   出典:https://en.wikipedia.org/    

オーストラリアの医学生が小型セスナ機に乗って「空飛ぶ医学生」になった話

  オーストラリアの中でも、 へき地中のへき地にある小さな町のひとつ、 Bidyadangaの町へ医療活動に行ってきた。 ブルームの小さな空港から 35分ぐらい南下にフライトしたところに Bidyadangaはある。 ぼくは、小さなセスナ機に乗り、 わけのわからないメーターが沢山ついた 副操縦士の席に座り、空に旅立った。 「空飛ぶお医者さん」の一歩手前である 「空飛ぶ医学生」になれただけでも、 空の旅は満足のいくものだった。 ブルームを空から眺めると、 町の規模がとても小さいことが分かる。 そのことを強く感じたのは、 ぼくが同級生と共同生活をしているアパートを 空からいとも簡単に見つけることができた時である。 駐車場に置いてあるぼくの車も、 当たり前のようにいつもの場所にあった。 Bidyadangaの空港は、 原始的といっていいほど、何もない。 税関や管制塔もない。 従業員もいない。 さら地に、滑走路とセスナ機を入れる車庫が置かれている。 そして、風の速度と方角を目測で図るための 鯉のぼりが置いてあるだけである。 実際の着陸シーン(音楽:Lowlands by Trent Humphrey) https://youtu.be/wCatk7gbD-0 Bidyadanga Community Clinic は、 町のスーパーマーケットのとなりにある。 食料品や日用雑貨品などが置かれているが、 値段はブルームの2~3倍ぐらいする。 とても高い。 そのうえ、食品の鮮度は、 控えめに言っても Questionableとしか表現のしようがなかった。 ここで暮らしている先住民の方々は、 どうやって高収入を得ているのだろうと調べてみると、 ガビンジ(GubingeもしくはKakadu plum)と呼ばれる フルーツ類で最もビタミンCを含んでいるといわれる 果実を栽培していることが分かった。 日本人にはなじみがないと思うが、 実はすでに日本企業とロシア企業が その販売権を争っていると ナースが教えてくれた。 GubingeもしくはKakadu plum 出典:https://theplanthunter.com.au Bidyadangaで出会った患者さんは すべて先住民の方で、 老若男女問わず、 様々な症例に触れる機会を与えていただいた。 ぼくが男性であるというとことで問診を断った10代の女の子を除き、 すべての患者さんに対して問診・身体検査・診断・治療に関わることができた。 もちろん、お医者さんの指導の下で。 初日のクリニックが午後5時ぐらいに終わると、 ぼくはビーチに向かった。 途中、町のバスケットコートで遊んでいる小学生たちに、 ビーチまでの行き方を尋ねた。 アジア人をあまり見たことのない子供たちは、 好奇心と恐れのはざまですこしたじろいでいた。 それでも、好奇心と親切心と勇気が優位に立ち、ビーチまでの道を教えてくれた。 ぼくがひとりでビーチまでの道を歩いていると、 ふたりの男の子が後ろから追いかけてきた。 「ビーチまでの道を案内してあげるよ」と言った。 名前は、カヤとタイといった。 カヤはプロバスケット選手になることが夢で、 タイはプロの写真家になることが夢だといった。 ビーチまでの道は20分ぐらいあり、 4WD自動車が作ったあぜ道の上を、 ぼくはサンダルで、男の子たちは裸足で歩いた。 道の途中、 赤い砂の上に 様々な動物の足跡があることを カヤが教えてくれた。 その中には、 Blue tongue lizardもいれば、 カンガルーもいた。 そして、猛毒蛇のKing Brownの通った跡もあった。 その日は、海が干潮で、 海水はビーチから約2キロぐらいところまで引いていた。 海は、先住民の子供たちのように、 アジア人のぼくに少しびっくりしたのかもしれない。 カヤとタイは「蟹を見せてあげる」と言って、 ぼくの手を引いて、まだ乾いていない海の底をドンドンはだしで歩いて行った。 途中、牡蠣などがむき出しになっているのに、 それもお構いなしで歩いて行った。 もしかしたら、柔らい牡蠣なのかもしれないと思ったぼくは サンダルを脱いで恐る恐る足をのせてみたが、 牡蠣の硬さはぼくが知っているあの硬さと同じだった。 先住民の人たちは 穴の中に住んでいる蟹を 銛で突いて捕まえる。 子供たちも同じように 木の枝を折って即席の銛を作って狩りをしていた。 捕まえることはできなかったが、 何も知らないぼくに狩りのことを教えてくれた男の子たちの顔は とても誇らしげだった。 ひとは、自分の知識をほかの人に伝えながら 成長してゆく生き物なのだ。 カヤとタイとは、 その後もバスケットや オーストラリアンフットボールなど いろいろな試合に招待してくれて、 楽しい時間を共有した。 子供たちと遊んでいるアジア人がいるらしいぜ、 ということで町中の女の子や大人たちも見物に来てくれた。 ぼくをMateと呼んだり、 Sirと呼んだりする人もいたし、 Hiroと恥ずかしそうに呼んでくれる人もいた。 ある少年が、 バスケットの試合中に、 薬指を大きく脱臼した。 医者でもないぼくのもとにみんなが集まり、 どうすればいいのかとしきりに聞いてきた。 ぼくはもちろん、 RICE(Rest, Ice, Compression(軽度), Elevation)の応急処置をして 「クリニックに連れて行こう」といった。 翌日、少年はX線検査のためにブルームに連れていかれた。 子供たちとスポーツで遊んだあとは、 ドクター専用の家に帰り、 シャワーと夕食を食べて、 先生たちと世間話をした。 消灯をして部屋のブラインドを開けると、 空には南十字星とポインターズが輝いていた。 出典:nightinfocus.wordpress.com Bidyadanga以外にも、 Mulan、Billiruna、Balgoなどの へき地医療にも従事させていただいた。 https://youtu.be/tCA4fWbOGwo

オーストラリアの医学生がへき地でカラオケに行った話

  Broomeから約220キロ離れたDerbyで 臨床スキルのWorkshopがあった。   医学部が所有するトヨタの4WD自動車を借りて、 学生8人でブルームから約2時間30分かけて移動した。   Workshopは2.5日間あり、 朝8時から午後5時30分までしっかりと勉強をする。   とても長い間だが、45分・1ブロックのセッションが終わると、 別の部屋に移り次のセッションを開始する。 部屋を変えることでマンネリを防ぐことができる。 また内容が濃いので、 一日のWorkshopはあっと言う間に終わってしまう。   このWorkshopでわかったことがある。 ぼくは学術的なコミュニケーションにはある程度慣れている。 でも、緊迫した場面でのコミュニケーション能力が決定的に欠けている、 ということだ。   腹部左側に鉄の棒が貫通した患者さん(マネキン)に 救急手当てをするWorkshopがあったのだが、 DRS. ABCDE(救急のときに使われるMnemonic)が 緊張のせいで頭に浮かばなかった。   頭に浮かんだとしても、 チームリーダーとしてまわりにうまく指示できなかった。 救急手当ての知識とリーダーシップの欠如のせいで、 マネキンの患者さんを救うことができなかった。   https://www.youtube.com/watch?v=sFdzkhk2Gzk   「シャイな日本人」というイメージに甘んじることなく、 もっと、もっと、口を開いてコミュニケーションしなければいけない、 と肝に銘じたWorkshopだった。   夜は、滞在していたDerby Lodgeの目の前にある パブでカラオケを歌った。   アメリカンスタイルのカラオケで、 友達以外のお客さんにも歌う姿を観られていた。 ぼくが歌ったのは Backstreet Boys の "I want it that way" だった。   なんか、みんなに笑われていたような気もしないでもないが・・・。   本当なら、Pink Floyd の Wish you were here とか しっとりと歌いあげたかったんだけど・・・。 世代のギャップを埋めようとしたのが、 失敗だったのかもしれない。   https://www.youtube.com/watch?v=4fndeDfaWCg   https://www.youtube.com/watch?v=3j8mr-gcgoI        

オーストラリアの医学生がへき地の新聞の一面を飾った話

  ブルームの新聞に載ってしまった。   それも、一面記事に、写真付きで。 英語が読める方はこちらをどうぞ。   ぼくは、医学部の3年生を ブルームという田舎町で過ごしている。   2年生の時に Rural Clinical School と呼ばれるプログラムに運良く合格し、 家賃無料プラス週110ドルのお小遣いをもらいながら、 ぼくを含む8人の同級生と一緒に生活をしている。   時間が経つのは早いもので、 最初の内科・外科・精神科のロテーションが もうすでに終わってしまった。   次は、原住民アボリジナル・ピープル専用のクリニックである Broome Regional Aboriginal Medical Service (BRAMS) にて5週間の研修を行う。   さらに、3月21日には、 ぼくが小学生の時に教科書に載っていた 「空飛ぶお医者さん」と一緒に、 Bidyadanga と呼ばれるアボリジナル集落に お邪魔させていただき、医療活動に従事する。   おそらく、ぼくは、 問診、身体検査、鑑別診断、採血、尿検査などを 患者さんとマンツーマンで行い (女性患者さんであれば Chaperone の看護師さんについてもらいながら)、 そのあとに診断と治療について お医者さんのアドバイスを仰ぐことになると思う。   Royal Flying Doctor Service (RFDS) https://www.youtube.com/watch?v=1Tz4dCLrdTA   話は脱線してしまったが、 ブルームに来た同級生8人の写真が 新聞に載ってしまったことで、 「もう Roebuck Bay Hotel の Wet T-Shirt Contest に行けなくなってしまったね」と みんながっかりした表情をしている。   ブルームは、小さい町で Everyone knows...

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