オーストラリア医学部、友だちが撮影してくれた卒業式の風景

 

ぼくは、「オーストラリアで温かい医者になる」という英語ドリームを持っている。

 

この英語ドリームは、実現するまでに長い時間と膨大な努力がかかると予想される。長期的な戦いは苦手なぼくだが、入学した西オーストラリア大学の医学部(大学院コース)を修了させることができ、やっとこさのことで英語ドリームのスタートラインに立つことが出来た。

 

よかった、よかった、と喜ぶのもつかの間、医学部卒業式への出席表を出し忘れていたことが判明し、自分の卒業式に出席できないという悲劇に見舞われた。⇒過去記事「【悲劇】オーストラリア医学部の卒業式に出席できない!!

 

卒業式に出席できないのなら、何かプラスになることに時間を使おうと、ぼくは日本に緊急帰国し、

  • 総務省が「変な人をサポートする」異能vationのイベントに出席(⇒記事
  • ボーダーレス医療アプリUrDocの代表取締役社長さんと対談(⇒記事
  • 大学病院で医療英語セミナーの開催(⇒記事
  • Atsueigoのトークライブへの出席(⇒記事

などを行った。(あと、日本の友人に再会したり、数日間かけて東京の町を練り歩いたもした)

 

ぼくが日本からオーストラリアに帰国すると、医学部の友だちが「ひろ、医学部の卒業式に出れなかっただろ?だから、卒業式の動画をひろのために撮っておいたぜ」とカメラを渡してくれた。

 

医学部の苦楽を共にした友だちの心遣いに、思わず涙が出そうだった。

 

普通であれば、視聴者を楽しませるために、動画に字幕を付けたり、バックグラウンドミュージックを付ける。しかし、ぼくらが過ごしている普段の生活には、字幕もないし、バックグラウンドミュージックもない。そんな素っ気ない世界のほうが、ぼくらが長い時間居座っている「リアル」なのだ。

 

とういうことで、字幕もバックグラウンドミュージックも無い「オーストラリア医学部の卒業式のリアル」を皆様と共有しようと思う。

 

最後に、この記事を読んでいる「あなた」にも、英語で叶えたいドリームがあるはずだ。一回ぽっきりの人生をささげるなら、夢はデカければデカいほどいい。夢は小さくても大きくても、時間と努力が絶対に必要になるし、不安と苦労の質は違えど量はあまり変わらない。どうせ悩むならデカい夢に向かおうぜ。

 

 

 

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オーストラリアの現役医学生が「旅人が最も行ってみたい10の世界の町」に選ばれたフリーマントルをブラブラ散策してみた

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若いころに感じていた自由と生命への渇望

  2017年、あなたにとってどんな年でしたか?   あなたが思い描いているような年だったでしょうか?   これはぼく個人の感想ですが、人は年を重ねるごとに、「今年はこんなことに挑戦しよう」などという考えを持たずに、ただ漫然と日々を過ごすようになります。   気を引き締めていないと、年末にその年を振り返っても何をしたのか思い出せない前認知症状態に陥るんです。これはぼくだけではなく、周りにそう感じているアラサーの人がたくさんいます。   毎日の忙しい生活の砂の中に引きずり込まれて埋没していき、若いころに感じていた自由と生命への渇望から目を背けてしまっているのかもしれません。   若いころに感じるあの渇望は、決して幸福な状態ではありません。しかし、この渇望が満たされないまま心の奥隅に押し込められる状態もまた、幸福ではありません。   2018年は、自分の心の渇望と再び対峙し、自由と生命から逃亡しないこと。それが、カンガルーを眺めながら、ぼくが心に決めた目標です。   それでは、2018年があなたにとって思い描くような年になりますように。   https://youtu.be/2q95k26-eeU  

オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら

  ぼくは2014年からオーストラリアの医学部に通っている。   医学部に通っている間は収入がないので、家賃や生活費をオーストラリア政府の学生補助金Austudyから支払っている。補助金の詳しい内容は、政府のページもしくは拙著『豪州永住権の手引き』をどうぞ(←書籍は無料プレゼント中)。   医学部に通いながらアルバイトする学生もいるが、そのほとんどは生活費を稼ぎだすというよりも、勉強漬けの毎日から精神的に解放されるために、週1、2回パートタイムで働いている感じである。   ぼくも英語コンサルをしたり、翻訳の仕事をこなしてはいるが、Austudyが無ければ生活と学業を両立させることは不可能である。   ぼくは2017年、医学部を休学し日本に帰国した。その間はAustudyの受給を一時的にストップしなければいけなかった(Centrelinkのオフィスに行って、一時停止してくださいと言えばできる)。   在学していないのにAustudyを不正受給すると、政府から訴えられるだけでなく、そのほかの福祉補助金を受けられなくなる可能性があるので厳重注意。   休学期間が過ぎ、ぼくが日本からオーストラリアに戻ってきたのは、2017年の11月である。11月に帰国したのは、12月からのElective Placementの準備をする必要があったからだ。     Austudyの一時停止を解除し、受給を再開するには、Austudyを再度新規申請しなければならない。ぼくはオンライン申請ではなく、わざわざVictorial ParkにあるCentrelinkオフィスに出向いてAustudyを再度申請した。   オンライン申請ではなくオフィスでの申請を選択したのには理由がある。それは、Elective Placementのせいで、ぼくの医学部の勉強が12月から始まる(普通は2月)という変なものだったので、そのことをキチンと説明するためにオフィスに出向いだのだ。   Centrelinkの担当者に、Elective Placementが12月から始まり、これは医学部卒業に必須なフルタイムの科目だということを口頭で説明し、念を押すためにこのことを文書で説明している医学部からの手紙のコピーも提出した。   これだけすれば大丈夫だろう。   ぼくはそう思っていた。   2日後、Centrelinkの自分のページにAustudyに申請していることが表示され、12月9日に申請の結果が出ることが書かれていた。   Elective Placementは12月4日からなんだけどなぁ、と思いながらも、受給が認められれば申請日まで遡って給付金が与えられるので、まぁいいかと思うことにした。     12月9日の申請結果は、Your application is not acceptedだった。数日後送られてきたレターには、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という内容が書かれていた。   恐れていたことが、起こってしまった。   ぼくの医学部はElective Placementがあるために2017年12月から始まるのに、Austudyの審査官が医学部の最終学年のスケジュールだけ見て、2018年2月まで13週間以上あるから申請を拒否してしまったのだ!   おそらくだが、ぼくがCentrelinkで懇切丁寧に説明した2017年12月から始まるElective Placementのことと、医学部からの手紙のコピーには目を通していないはずだ。目を通していれば、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という拒否理由を言えるわけがない!   収入がない上に、Elective PlacementのSir Charles Gairdner Hospitalに毎日通うためにお金がだんだん無くなっていくぼくは、Austudyの拒否理由を見て一瞬怒りを覚え、焦燥した。   ただ、怒っても焦ってもしょうがないので、ぼくはすぐにCentrelinkのオフィスに出向き、Austudyの拒否理由が不当であることを伝え、結果を再審査するようにAppealを行った。     Centrelinkの担当者には、口酸っぱくElective Placementのことを伝え、Austudyの審査官が医学部からの手紙をキチンと読むように指示するように伝えた。   Centrelinkの担当者からは、Appealの審査はクリスマス前後になるだろうと言った。そして、担当者はAppealの結果がダメだった時のために、もう一度Austudyに新規申請したほうがいいと言われた。   分かった、ここで新規申請する、とぼくは伝えたのだが、オフィスはもう閉まってしまうので、自分でオンライン申請してくれと言われた。What the…   クリスマス前に連絡が来ればいいなと思っていたが、ぼくの期待が満たされることはなかった。   クリスマスは、ホストファミリーにプレゼントを買いたかったのだが、本当にお金がなかったので、2018年5~6月にパースで行われるMamma Mia! の舞台へのチケットを後日贈ることにした。     クリスマスは過ぎ、ボクシングデー、ニューイヤーズ・イブ、そして年は2018年を迎えた。Appealの結果の連絡はなかった。   ぼくはCentrelinkのオフィスに行き、どうなっているんだと怒鳴り込んだ(もちろん平身低頭で)。   オフィスの入り口カウンターのおばさんが、パースのオフィスではAustudyの審査を行っていないから、CentrelinkのYouth and Studentに電話してみなさいとアドバイスしてくれた。番号は、132 490だ。   ぼくは昼食の予定があったホストファミリーの家に行き、すぐに電話した。   Centrelinkの自動電話対応の音声が流れた。ご用件は何ですかと聞くので、Appealとぼくがぶっきらぼうに言うと、わかりましたAppealですね?と音声ガイダンスは言った(すげー、AIの技術はこれから仕事をどんどん減らすなぁ)。ぼくがYesと答えると、そのまま担当者につないでくれるとのことだった。   それから約1時間の間、クラシックの音楽が流れた。いつになれば担当者と喋れるのか分からないぼくは、ホストファミリーの庭に水をやりながら時間をつぶした。   そして、電話をしたことすら忘れていたころに、Hello, may...

【ついに決着】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請を拒否されたら

  オーストラリアの大学生(海外留学生は除く)は、Austudyと呼ばれる金銭的補助を政府から受けることが出来る。詳しい条件などはこちらをどうぞ。   ぼくは、2014年から西オーストラリア大学の医学部(大学院コース)に入学し、Austudyを受け取りながら、貧乏医学生として生活を続けていた。2017年には、もうひとつの夢である「日本人の英語を変える」ために、医学部を1年休学した。もちろん、その間は Austudyの受給は一時中断していた。(休学中に受取中断をしておかないと、不正受給者として国から訴えられるので気を付けておこう。)   日本での「日本人の英語を変える運動」を全力で頑張った後、ぼくは2017年の12月から医学部に復学した(神経内科研修編)。そして、復学に伴い、Austudyを再開する申請を行ったことを、これまでのブログ記事で触れてきた。長い戦いだったが、これまでの Austudy再開についてのドタバタを簡単に説明しておくと、次のようになる。   (1)Austudyの1回目の申請は、申請期間外(最大で学校が開始される13か月以内)ということで却下される。Austudyの1回目の再申請は11月に行ったもので、医学部が再開された12月まで4週間しかない。ゆえに、申請却下理由は不当である。そこで、再審査を求め、1回目の Appeal を行う。(詳しい内容は過去記事『オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』) (2)1回目の Appeal の後、再度 Austudy の審査が行われ、預金残高が約1万ドル以上あることを理由に、支払いは2018年の3月以降になることが決まった。しかし、医学部の授業料は、年間約1万ドルである。しかも、学校が始まったのは、2017年の12月だ。生活費がままならない状態で、どうやって医学部を卒業しろと言うのか?ぼくはこの決定に不服を申し立て、2度目の Appeal を行った。(詳しい内容は過去記事『【続】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』) (3)2回目の Appeal の審査を行うものの、審査そのものが3月にならないと始まらないというとんでもない状況に直面する。これはつまり、郵便局に速達物の受け取りを早くしてもらいたいとお願いすると、「わかりました。従来の受取日に荷物が届いたら、手続きを始めましょう」と言われているのと同じことである。(詳しい内容は過去記事『【続続】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』)   そして、3月21日。Austudy再審査はついに行われた。     【ついに決着】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請を拒否されたら   そして、3月21日。Austudy再審査はついに行われた。   結果は、オーストラリア政府のCentrelinkが落ち度を認め、2017年11月から2018年3月までの支給額を支払うことで決着となった。     ほとんどの人は、オーストラリア政府の決断に不服を申し立てない。ぼくは税金という義務を果たしている以上、政府補助金という権利を放棄しなかった。そして、なによりも、ぼくは初めから、オーストラリア政府の不実な決断ととことん戦うことを決めていた。   おそらくどこの国でも同じなのだろうが、政府機関の人間というのは、ひとりの学生が補助金を受け取れずに医学部を中退したとしても、それによって良心を痛めるようなことはない。所詮は、ごまんといる補助金申請者のなかの「アンラッキーなひとり」でしかないのだ。   彼らが認識しなければならないことは、彼らのずさんな審査と決断がその「アンラッキーなひとり」の人生を台無しにしているということである。しかし、そんなことは彼らの頭には全く思い浮かばない。   だから、ぼくは戦ったのだ。国はあなたのために戦う、という妄想はぼくにはなかった。ぼくにあったのは、政府の人間も所詮は人、9割は自己の利益のみを考えながら生きている。自分の許容範囲を超えて、ほかの人のために時間と労力を使う人物はなかなかいない。だから、政府とのやり取りにおいて憶えておかないといけないことは、自分の権利を守るべき存在は自分自身、ということだ。それが、社会・歴史の勉強、そして実体験をを通じて学んだことである。    

パースの日本雑誌Perth Expressに「ごとうひろみち」登場

  パースにいる日本人や日本語を勉強している人が読んでいる Perth Express 誌に「ごとうひろみち」のインタビュー記事が掲載されました。   インタビューを受けたのは、神経外科研修を早めに終えた午後の時間。場所は、Sir Charles Gairdner Hospital のそばにあるカフェでした。インタビュー担当の方は、とても丁寧な方で楽しくインタビューをすることが出来ました。   基本的には、過去のインタビュー動画と内容は同じですが、医学部生活の写真などもアップしているので、楽しんでいただけると思います。興味がある方はどうぞ⇒記事はこちら。   過去のインタビュー動画はこちら。 https://youtu.be/CQ_YIduECOo   高校中退から豪州医学部までの道のりをつづっているのが書籍シリーズ「高校中退から豪州医学部へ」です。期間限定で無料プレゼントしています。興味がある方はこちらをどうぞ。↓↓↓↓↓    

【衝撃】ひろがオーストラリアで家探ししていると、詐欺師に出会った!

  過去の記事『オーストラリアで家を探すために知っておきたい3つの方法』で、ぼくもオーストラリアのパースで家を探していることを報告した。   今回の記事は、オーストラリアで、住む場所を探している人を騙してお金を巻き上げる詐欺師に出会ったことを書こうと思う。ぼくがその詐欺師に出会ったのは、Gumtreeを通じてだ。   2018年は医学部の最終学年ということで、複数の病院に研修することになる。病院は色々な場所に散在しているため、ぼくは中心地のシティに住む場所を探していた。   Gumtreeにはシティの物件が随時更新されているのだが、そのなかでEast Perthにある物件が掲載されていた。シェアアパートの物件だったのだが、その情報の中に You can make some moneyという普通のシェア情報ではお目にしない文章が書かれていた。   お金のない学生のぼくには、シティに住めてお金も稼げるならと思い、この物件を掲載していた人に物件を見たいこと、そしてお金を稼ぐことについて聞いてみたいとメールを送った。   ↓↓続き↓↓     次の日、Hanと名前の人物が返信を送ってきた。そのメールには、物件を見せるから明日シティに来れるか、という内容だった。お金の稼ぎ方は直接会って話すと書かれていた。   後日、ぼくは指定された時間と場所に行った。少し遅れて、半そで短パン姿のアジア人男性が待ち合わせ場所に来た。身長は175センチぐらい、年齢は30代後半ぐらいだろう。左腕には、マオリ族の人がしているようなタトゥーが入っていた。   ぼくはてっきりHanがその家に住んでいて、ビルの入り口から出てくるのかと思っていたが、そうではなかった。彼は別のところに住んでいて、ぼくに紹介したアパートは彼の名義になっているだけだという。ただ、彼は仕事の都合でニューサウスウェールズに引っ越ししないといけないから、賃貸契約を打ち切るのだという。   普段はのんびりしているぼくの頭は、ここでピーンときた。こいつ、アパートを他の人に高い家賃で又貸ししてピンハネしてやがんな、と。   話を聞いてみるとやはりそうだった。彼は3DKのアパートを彼の名前で借り、それぞれの部屋を高い家賃を取って又貸ししていた。からくりの内訳はこうだ。   家賃:週550ドル(賃貸契約上の家賃) 又貸し家賃:週750ドル(250ドルx3) Hanの収入:週200ドル($750-$550=$200)   一見、住宅紹介人として手数料を取っているようにみえるが、Hanが行っている行為は犯罪に当たる。というのも、アパートの賃貸契約は基本的に又貸しを禁じており、また部屋の適正価格を釣り上げて居住者から不当に利益を上げているからだ。   ↓↓続き↓↓     Hanは韓国の男性で、オーストラリアに移住することを夢見ていると言っていた。ぼくもオーストラリア移住に苦労したのでその気持ちがわかるが、犯罪者をオーストラリアに入れたくはない。   次の日、ぼくは彼の犯罪行為を止めさせるためにHanにこんなメールを送った。   I am going to decline the offer to take over the lease, as there are enormous moral and...

オーストラリアの医学生がへき地ブルームで出会った日本人真珠ダイバー

  先住民医療センター(BRAMS)で 出会った患者さんの中に、 日本人のTさんがいた。   Tさんには、 手作りのお寿司をいただいたり、 食事に誘っていただいたり、 本当によくしていただいた。   Tさんのお寿司は、 オーストラリアで食べたお寿司の中で ダントツ旨かった。   そのほかにも、 初めて食べた真珠の帆立が メチャクチャ旨かった!   食べるのに夢中で 写真を撮ることを忘れていたのですが、 こんな感じのサイズです。   https://www.youtube.com/watch?v=NZOAnPRLPq4   Tさんが昔真珠ダイバーをしていたこともあり、 知り合いから新鮮な魚や真珠の帆立が送られてくるらしい。   Tさんから、 真珠ダイバーの仕事の話や、 町でけんかして刑務所に入れられた (でも日本人の素行はよかったので、毎日外出できた)話など、 楽しい話をたくさん聞かせていただいた。   Tさんと奥さんに 「BRAMSでのひろの評判はすこぶる良かったよ。 卒業したら、ブルームに戻ってきてね」 と言っていただいた。 深く感謝。   またお会いできるのを楽しみにしております。   ちなみに、 ブルームで遊ぶときは 綺麗な海が多いです。   https://www.youtube.com/watch?v=dTFhJCuPfTM   出典:slwa.wa.gov.au  

【インターン医師】オーストラリアのインターン医師の給料はいくら?

  えー、下世話な話ですが、とても大事な話をします。それは、お金です。   前回の記事で、オーストラリアでインターン医師になるための応募方法を読んだ読者から「インターン医師の給料はいくらですか?」という質問があったので、隠さずお答えします。   オーストラリアのインターン医師は公募であるため、給料が公開されています(現在の正確な年俸を知りたい方は、こちらのサイトから WA intern で検索すると最新の情報が出てきます)。オーストラリアの州によって給料は変動しますが、今年の西オーストラリアのインターン医師の年俸は $77,319 (税抜き前)です。これプラス、$5,742 ぐらいの引っ越し費用などが追加されるので、合計で$83,061 になると思います。   つまり、月給は$7,000弱になります。週80時間働いたとして、月に約350時間。時給にすると、20ドル弱です。   スーパーマーケット・コールズの荷物運びの友人が時給25ドルと言っていたので、インターン医師の給料は決して高いわけではありません。   ・・・   お金の話から逸れますが、それ以上に大事なことに触れます。オーストラリアでインターン医師になる人は、絶対に忘れてはいけないことです。   それは、インターンの1年を失敗すると、医師としての道が閉ざされるということです。それも永遠に。   医学部であれば留年しても次の年に頑張れば、進級または卒業することが出来ます。つまり、セカンドチャンスが残されているわけです。しかし、インターン医師は、インターン修了の条件をクリアできないと、医師として次のステップに進むことができません。   過去の記事「【医学部卒業後のインターンシップ申請】申請方法の全貌」でも触れましたが、インターン医師に2回なることは出来ません。つまり、インターン医師として失敗してしまった人は、医者としての就職先を失ってしまうということです。   コネがある人はどうにかなるのかもしれませんが、オーストラリアの医者の仕事は公募で選ばれるため、インターン医師として失敗した人は裏口のルートでしか医者の仕事を続けることが出来なくなってしまいます。よって、ほとんどの人にとって、インターン医師は、ファーストチャンスであると同時にラストチャンスなのです。   おぉ、ハイリスク、インターン。   それでもインターン医師になって、ぼくの夢である「温かい医者になる」を実現するために必要なことをやり続けていきますので、影からこそっと応援していただけたら嬉しいです。  
ごとうひろみち
ごとうひろみち
『高校中退⇒豪州で医者』をいつも読んでいただき誠にありがとうございます。著者・ごとうひろみちに興味を持ってくれたあなたのために、詳しい自己紹介を←ここでしていますので、どうぞご覧ください。

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ぼくは高校英語が理解できなかった。そんなぼくがどうやってオーストラリアで医者になれたのか?この物語を読めば、あなたにも英語で夢を叶えるヒントが見つかるかも。

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日本人が海外医学部で一番苦労する(だろう)こと

  最近、ぼくはブログの中で、異能vationに応募したことや、英語コンサルを行っていること、ビジネスを学んでいることを、心赴くままに綴ってきた。この3つのことはすべて、ぼくが持っている「日本人の英語を変える、ノンネイティブの英語を変える」という英語ドリームを叶えるためである。この夢を叶えるには時間と労力がかかることは理解しているし、一朝一夕に実現できることではない。だからこそ、ぼくは医学部を1年間休学することを選択したのだ。   それでも、時間は、ぼくの人生から無表情に削り取られてゆく。   これまでのように、英語ドリームに時間と労力をかけることはできなくなっている。というのも、ぼくにはもうひとつの夢があるからだ。それはオーストラリアで温かい医者になるという夢だ。2018年には、西オーストラリア大学の医学部に戻り、医学の勉強を再開しなければならない。それも、医学部の最終学年であり、これまでの知識とスキルをしっかりと身に付けて、最終試験をパスしなければならない。   医学の知識とスキルは、使い続けていなければ、一気に頭の中から消えていってしまう。そのスピードたるや、頭の中の消しゴムどころの話ではない。誰かが巨大な業務用掃除機で、ぼくの頭の中にある知識とスキルを、けたたましい轟音とともに吸い取っていくレベルである。   https://www.youtube.com/watch?v=HOhgP4fEx6s   ↓次のページに続く     あなたも学校でこんな経験をしたことが無いだろうか?あなたは学校の試験のためにたくさん勉強する。それでも、試験が終わり会場を後にした瞬間、詰め込んだ知識がふわぁ~と頭から抜けて、もう一回試験を受けたとしてもパスする自信がない、みたいな経験が。ぼくは毎回の試験で経験します。   試験が終わってから数分~数時間しか経っていないのに、詰め込んだ知識が指先からこぼれていく感じがするのに、これが1年間だとどうなるのか?   はい、正直に言います。ヤバいです。留年確実です。何もしなければ。   https://www.youtube.com/watch?v=ZrSH_TsRsec   ということで、ぼくは日本での残された時間を少しずつ、医学の勉強に使い始めようと思っています。それもかなり効果的な戦略を練らないと、1年休学した後遺症のせいで留年が決定してしまうので、日本でできることから始めようと思います。しかも、自分の苦手分野と対峙することにします。   ぼくは医学部で筆記試験を落としたことはない。もちろん、たくさん勉強して四苦八苦するのは事実だが、筆記試験が苦手だと思ったことはない。筆記試験は、医学部が用意しているガイドラインの意図を読み取ることができれば、落とすことはない。高得点は取れないかもしれないが、落とすことはない。と思う。多分。恐らく。     しかし、ぼくには、逃げ出したくなるほど苦手なものがある。それは、医療現場におけるコミュニケーション技能である。コミュニケーション能力は、問診(History-taking)、身体検査(Physical examination)、医療検査(Investigation)、医学的管理(Management)、医療チームへの報告(Presentation)、などにおいて文字通り患者の生死にかかわる重要なスキルである。コミュニケーション能力が低いせいで医療ミスが起こることを、医学生は頭に叩き込まれる(参考文献)。   特に患者さんとのコミュニケーションが大事なことは、尊敬するオリバー・サックス氏だけでなく、医療器具に頼りすぎる若い医師たちを危惧する先輩方の医師が口をそろえて言うことである。   https://www.youtube.com/watch?v=8LZJz7GtJA0 動画でよく出てくるLVADは、Left Ventricular Assist Deviceの略(参照資料)   実は、このコミュニケーション能力が、ぼくが最も苦手とするものである。内向的な性格もひとつの要因ではあるが、苦手意識を作り出している一番の要因が「英語の壁」だと思う。英語ネイティブではない事に対する負い目みたいなものである。しかし、この負い目は、ぼくが頭の中で作り上げている「心理的虚構」にすぎないことにぼくはうすうす気づいている。できなくてもしょうがないという言い訳を作っているようなものではないかと。   もちろん、ネイティブの同級生に比べれば、ぼくは彼らの英語の表現の幅や奥ゆかしさには到底敵わない。しかし、医学において大事なのは、患者さんとコミュニケーションを取ることであって、英語の表現の幅や奥ゆかしさを競い合うものではない。とぼくは自分に言い聞かせることにした。←これが日本でできる一番目のこと。     次に、ぼくは医療現場における英語表現に慣れていないという事実。同じ英語であっても、働く現場によって使われる表現が微妙に変わることは当たり前で、とくにプライバシーや尊厳が重要視される医療現場の英語は、パブや家で話されているものとは違うものだ。この微妙に違う言葉遣いにぼくが慣れていないのだ。だから、医療現場に立つと医者や医療スタッフが何を言っているのか分からないし、何を言えばいいのか分からないのだ。   医療現場の英語表現に慣れるために、日本にいるぼくができることは何か?   いきなり近所の大学病院に押しかけて外国の患者さんに対して英語でコミュニケーションをしてみるというのはどうだろうか?否。ぼくはオーストラリアの医学生であって、日本の医学生ではない。そんなことをしていたら、書類送検でとっ捕まってしまう。   https://www.youtube.com/watch?v=2ue_wRn-Ke8   現場で学ぶことが一番だが、それが無理なら書籍から学ぶしかない。と考えたぼくは、近所のジュンク堂や丸善、紀伊国屋を周り、自分のためになりそうな本を探し回った。     そのなかでも、置かれていた医療英語の書籍をすべて立読みし、そのなかでも自分の学習のためになりそうな9つの書籍を購入した。まだ書籍を読み終わったわけではないので内容には触れないが、それぞれ違った角度から「医療現場で使われる英語」を紹介している。   やさしい英語で外来診療〜聞きもらしのない問診のコツ   CDで学ぶ 外国人患者が来ても困らない 外来診療のための英会話   医師のための診療英会話   医師のための身体診察と検査の英語   医師のための医療面接の英語   CDで学ぶ医師のためのオールラウンド英会話   CD付き 正しく診断するための...

異能vation、の伊藤穰一さんが面白い

  変な人を日本政府がサポートするプログラム「異能vation」の2次面接の戦略と戦術を考えている。   記事「異能vation、の2次面接の練習を始めます」で触れたが、もしぼくの「破壊的な挑戦」の申請書が1次選考を通過すると、2次面接で3分間の面接・プレゼンを求められる(かもしれない)。面接・プレゼンを楽しむためにTED Talksやスティーブ・ジョブズ氏関連の書籍を参考にしながら、自分のプレゼンを組み立てている。   プレゼンの練習に疲れたので、何か別のことをしようと思い、近所のジュンク堂に行くことにした。家を出て上を見上げると、真っ青な湖面に白色の積乱雲が漂っている。こんな日は、この歌が自然に頭に流れてくる。   https://www.youtube.com/watch?v=PQXMU1A8CjI   書店に行く目的は、異能vationの方向性を決めているプログラムアドバイザーが日頃どんなことを考えているかを理解するためである。プログラムアドバイザーが異能vationの具体的な方向性に言及している書籍は無い(と思う)。しかし、プログラムアドバイザーがどんな思想を持って活動しているのかは著作を通して知ることができる。総務省はこの思想に魅力を感じてプログラムアドバイザーに選んでいるはずなので、プログラムアドバイザーの思想を知れば、異能vationの選考条件が自然に浮かんでくる(とぼくは青空を目で聞きながら夢想している)。   伊藤穰一(じょういち)さんの紹介   プログラムアドバイザーのリストに最初に来ている人物は、伊藤穰一(じょういち)(愛称はJoi)さんである。伊藤穰一さんのことはTEDを通じて存在を知っていたが、どんな思想・経歴をお持ちなのかぼくは全く知らなかった。   https://www.youtube.com/watch?v=LN6Vn-aqgFs   伊藤さんの経歴をWikipediaで調べてみると、おもわず笑ってしまった。     大学中退の学歴で、MITのメディアラボ所長になるって!現在は、博士号も取り、現実的な処世術としてMIT教授にもなっている(その時の話は、彼のブログ記事「教授になります」が面白い)(追記:現在、伊藤さんはジェフリー・エプスタイン関係の事件が原因でMITのメディアラボ所長を退職されています)   経歴の面白味は、それだけじゃないです。伊藤さんは、過去に六本木でナイトクラブを経営したり、DJだったり、IT会社を複数起業していたり、大企業の取締役をしていたり、赤ちゃん企業にスタートアップ投資するエンジェル投資家の顔も持っています。かと思えば、スキューバー・ダイビングの先生であったり、著名人を写真に収める写真家であったりもします(そのほかにも突っ込みどころが満載なのでWikipediaとその脚注・外部リンクの情報を読んでみてください。面白いに尽きます)   https://www.youtube.com/watch?v=Fbqib311QgA   伊藤穰一さんって、変な人でしょ?異能vationの最終選考者の竹内さんが、伊藤さんを「Joi = 神」と表現している理由がなんとなくわかったような気がします。   UCアーバイン校で人類学教授をしている伊藤瑞子さん(穰一さんの妹)との対談を聞いていると、穰一さんの異能ぶりを家族の視点から知ることもできます。   https://www.youtube.com/watch?v=P0CxCR9Uj60   伊藤穰一(じょういち)さんの書籍   伊藤穰一さんにHookedされてしまったぼくは、ジュンク堂におかれている彼の書籍をすべて買って読んでみた。           そのなかでも、異能vationの面接に役立ちそうな切り口を与えてくれたが、著書『9プリンシプルズ』である。書籍の内容は学術的であるため、ターゲット読者はおそらく知識人であると考えられるが、メッセージはシンプルである。書籍に書かれているメッセージとは、これからのネット時代においてイノベーションを起こしながら生き残るには9つのマインドセットが必要であるということだ。   1.権威より創発 2.プッシュよりプル 3.地図よりコンパス 4.安全よりリスク 5.従うより不服従 6.理論より実践 ...

【世紀の一戦】ごとうひろみち 対 Atsueigo

  えー、巷では名須川天心対フロイドメイウェザーの世紀の一戦がもっぱらの話題です。英語の世界も負けてられん、と【世紀の一戦】ごとうひろみち 対 Atsueigo を(一方的に)実現させました。それでは、前置きを含めてどうぞ。   ☆★☆★☆★☆★   オーストラリアの医学部を卒業した後、日本に一時帰国し、総務省の異能vationのイベントに参加したり、Urdocアプリの創始者と対談したり、日本の医学生に臨床英語のセミナーを開いたり、東大で先生をしている友人にサインをもらったり、1日5~8時間ぐらい東京の町を当てもなく歩いたりした。   オーストラリアにとんぼ返りする直前にAtsueigoさんの東京トークライブに参加してきた。今回の記事では、トークライブでのAtsueigoさんの印象や、Atsueigoさんがこれから挑戦しなければならない問題を提起していく。記事の流れはこうなっている。   Atsueigoとは誰なのか? ごとうひろみちとは誰なのか? Atsueigoのトークライブと彼の英語力 Atsueigoに挑戦状を叩きつける 挑戦状の先にあるもの   まずは、自己紹介から。Atsueigoさんを知らない方のために、彼のことを簡単に紹介しておく。   Atsueigoとは誰なのか? 以下、Atsueigoページより抜粋。   ...

【期間限定】アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』無料プレゼント中!(前半戦)

  アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』前半戦を期間限定プレゼント(無料)!     いまなら期間限定で、アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』の前半戦の感想をコメントするだけで、アマゾン書籍【後半戦】を無料ゲットできます!     このページの一番下に感想コメントすると、アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』の後半戦のページに移動することができます。 ↓↓↓↓↓↓

オーストラリアの医学部に進もうかと考えている日本の女子高生からの悩みに、ごとうひろみちが答えてみた

  ぼくのブログには、オーストラリアで医者になりたいというコメントがたくさん寄せられます。そのほとんどは、具体的なプランが無いなど、どうやって返信をしていいのか分からないものが多いです。 そんな中、オーストラリアの医学部に行くことを真剣に考えている日本の女子高生からお便りをいただきました。丁度、深夜勤務明けのお休みの日にお便りをいただいたこともあり、ぼくも真剣にコメントを返してみました。 以下、高校生からの文章を太字にして、パラグラフごとにぼくなりの返事をしています。   こんにちは、初めまして。 ⇒初めまして。   今回は大学進学について悩んでいたところ、このサイトと出会い、ぜひ助言をいただきたくこの文面を書いています。拙い文章力で申し訳ありませんが、しばらくお付き合いください。 ⇒この時点ですでに文章力の高さを感じます。   私は広島在住の18歳で、将来の夢は小さな頃から医師になること、「人の命を救うこと」でした。昨年高校を卒業し、高校では日本の文部科学省規定の学習ではなくIBディプロマを取得しました。英語でBiologyやChemistryなど、様々な科目を学習してきた私でしたが、自分の英語に日本人の中では話せる方であったとしても、nativeと戦っていけるほどの自信はなかったので、そのまま日本の大学(subject requirementの関係で一校のみ)を受験しました。しかしscoreがrequirementに及ばず不合格に。医師の道を諦めるという選択肢はなかったので、IB生では異例の浪人を決意し、IBの最終試験の再受験のための勉強(自宅にて)とセンター試験のための勉強を一から(予備校にて)並行して行い、無事IB scoreはrequirementを越え、今年はセンター試験の点数も持っていたため、昨年受験した大学を含め三校受験しました。一週間ほど前に開示された結果は全校不合格でした。 ⇒IBディプロマというものがあるんですね。知りませんでした。まずは、IBディプロマ修了おめでとうございます。大学受験は残念でしたが、前に進んでいる(行動している)ので全く問題ありません。今は胸が痛いかもしれませんが、数年後にはこの経験があったからこそ「自分」のアイデンティティが確立されたと思えるようになります。   合否発表前より、全て不合格だった場合にはどうするかを考えており、以下の2つが家族の中でも濃厚な線でした: 1. ハンガリー医科大学時事務局を通じてハンガリー国立大学医学部を受験し、進学。卒業後は日本の医師国家試験を受験(卒業と同時に受験資格は得られる)し日本で医師として働く。 ⇒ハンガリー医科大学事情は詳しく知らないのですが、確か留学生の留年率が50%だったような気がします。つまり、毎年、半分の同級生が留年するというとても大変な道のりです。このことを考えると、日本で浪人をして日本の医学部に行くほうが時間的・金銭的にベターかも、という可能性も見えてきます。 追記:留年率は66%でした。過去記事を参照。   2. オーストラリアの大学に進学し(昨年の段階で合格はもらっていたため)、学士をとった上で帰国、日本の国立大学医学部へ学士編入し、日本で医師として働く。元来私は日本で医師になることを目標にしていたので、このどちらかを考えていました。しかし、高校の先輩で今オーストラリア・ブリスベンで看護師として働く方と話す機会があり、とても生き生きと自分の夢に向かって走っている彼女の話を聞くと、この先輩のようになりたい、オーストラリアに進学したいという気持ちが強くなりました。 ⇒オーストラリアの大学合格おめでとうございます。パチパチ!素晴らしいです。オーストラリアで学士を取った後、日本の医学部に編入する選択肢も現実的です。おそらくですが、オーストラリアで学士を取ると、そのままオーストラリアの医学部(大学院コース)に進みたくなるかもしれません。これも、選択肢の中に入れておいてください。   両親も私が医師になる夢はずっと応援してくれているので、日本での進学の道がほとんど閉ざされてしまった今、オーストラリアへの進学を前向きに考えてくれています。 ⇒両親が応援してくれるのは、すごくプラスです。ぼくは、誰からも応援されることなく医学部受験をしたので、両親が応援してくれたら、もっと高い点数を取ることができたかもしれません。   ただ、master courseの学費の高さや、(学費を安くするための)永住権取得の難しさ、そしてオーストラリアで日本人が医師になることの現実性など、本格的に考えれば考えるほど、実際に医師として働けるなど夢のまた夢のように思えてしまっています。 ⇒学費の高さは、とても重要なポイントです。最近では、クラウドファンディングなどで学費を捻出する強者もいるようですが、ほとんどの人は高い学費が払うことができずに医学部に行くことを断念します。ぼくもその例にもれず、医学部を3度受験し3回合格したにもかかわらず、永住権が無かったために2回入学を辞退しています。ここをどうクリアするかは、経済事情によりますので、ご両親とよく議論されることをお勧めします。オーストラリアで日本人が医師になることの夢のまた夢と表現されていますが、オーストラリアで働く日本人医師はちらほらいます。例が少ないために、「無理なんだ」と思い込んでいるだけだと思いますよ。前例が無ければ自分が最初の例になればいいだけのことです。   一番の夢が「人の命を救うこと」である以上、医師になれる確率が高い道、という考えで進学先を決めるとすると、上記のようにハンガリー -> 日本、もしくは学士編入が良いのでは、という考えが両親の中では強いようです(医師として働けるようになるまでの年月も踏まえて)。 ⇒日本で医師になることを前提にハンガリーへ留学する人が多いことは認知しています。詳しいことは知らないのですが、ハンガリーの医学部には日本の医師国家試験の勉強もしている医学生が周りにいるらしいです。この点において、オーストラリアよりもハンガリーのほうが有利かもしれません。というのも、オーストラリアの医学部には日本人の医学生はゼロですし(いるのかなぁ?)、周りに日本の医師国家試験の勉強する人はいません。アメリカのUSMLEを受験する人は少ないですが存在します。   私の一番の希望は、オーストラリアでbachelorをとり、その後永住権をとった上でmasterに進む、という道ですが、masterへの進学が叶いそうにない(永住権を取れそうにない)場合は、bachelorだけでもオーストラリアで取得し、そこからハンガリー/日本の医学部へ進学/編入したいと考えています。*bachelorに関してはメルボルン大学またはUQのbachelor of...

最新のブログ記事

丹精込めて書きました

オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート5:リハビリ科)

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。ぼくはその夢を叶えるべく、オーストラリアの医学部を卒業し、インターン医師として次の4つの研修を無事修了した。 一般内科 (General Medicine)(リンク) 移植外科 (Transplant Surgery)(リンク) 救急医療 (Emergency...

オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート4:コロナウイルス病棟)

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オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート3:心臓病科・心疾患集中治療室)

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オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート2:急性疾患医療)

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オーストラリアで総合医になる必勝方法

  ぼくには、「オーストラリアで温かい医者になる」という夢がある。この夢の旅路に就くまでのその道は、控えめに言っても、紆余曲折で満ち溢れていた。   ごとうひろみちの紆余曲折の人生に興味のある方はこちらをどうぞ。 ↓↓↓↓↓↓   オーストラリアの医学部を一年休学した後に卒業し、ぼくは現地の病院に就職した。現在は、医師3年目のペーペー Registrarをやっている。通常、オーストラリアで言うRegistrarは「専門医になるための訓練を受けている医師」を指すのだが、ぼくはいまService registrarという少し変わったポジションで働いている。Service registrarは、特定の専門のトレーニングプログラムに入っているわけではないが、病院側が働き手が一時的に足りていない分野に送り込むRegistrarのことを指す。オーストラリアの医師のハイラルキーに興味がある方は、過去記事『オーストラリアのインターン医師になったらやらなければならない6つのこと』をどうぞ。   インター医師よりも経験はあるが専門をまだ決めかねている医師は、このService registrarとして働くことが多い。そして、Service registrarとしてインターン医師よりは重い責任を負いながら、どの専門に進むかを考えている。どの専門に進むのかを決める要因は千差万別で、流行りの専門を選ぶ医師がいたかと思えば、朝の問診が嫌いだからという理由で救急医療を選ぶ医師がいたりする。色々な思惑と背景を持った医師がいる以上、これさえ押さえておけば専門医トレーニング選びに後悔しない、というものはない。 ちなみに、医学部に入ったときにこんなフローチャートが授業で出てきたが、あながち間違いではないような気がする。専門を迷われている方は参考にするといいかもしれない(が、あまり気にする必要もないと思う)。     オーストラリアのインターン医師は、大きく分けて外科、内科、救急、精神科のローテーションを通じて医師としての一般的なスキルを磨く。3年という限られたインターンシップの期間中に、すべての科を回ることは不可能である。あらかじめ「~科で働きたいなぁ」と思っている医師は、病院側にその科に優先的に回してもらうことをお願いする。また、「~科には興味がない」ということを病院側に伝え、それ以外の科に回してもらうこともできる。   ぼくは医師として以下のローテーションを回ってきた。 1年目 内科(記事) 移植外科(記事) 救急(記事) ...

オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート1:リハビリ科)

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