ぼくの家にはテレビが無かった。学校の友だちは、「ねぇねぇ、昨日のあのギャグおもしろかったよなぁ」とか言いながら笑っているのだが、ぼくは「うん、うん」とうなづくだけで、何の話をしているのか本当は分からなかった。
小さいころのぼくにとっての娯楽はラジオだった。中学校の試験前日なんかは、オールナイトニッポン(または裏のコサキン)を聴きながら勉強をしていたものである。そのせいで成績は良くなかったけれど、ラジオと一緒に過ごした少年時代は、甘酸っぱい思い出もある。好きだった子が同じラジオ番組を聞いていることを知って、ラジオ越しにぼくは(無意味に)ドキドキしていたものである。
ラジオっ子だったぼくが一番好きなのが、落語である。とくにNHKで時々流れていた落語は、三度の飯ぐらい好きだった。子供が落語を聞いているのだから、使われている言葉の意味が分からないことなんか頻繁にある。それでも、そんなことが関係無いと思わせるほど面白いのが落語である。なぜか?そこに聞かせる「物語」があるからである。
「物語」は、英語を勉強している人にとって大事な考え方である。日本人は往々にして「完璧な文章」を話したがる傾向があります。しかし、完璧な文章をつなぎ合わせて出来上がる「物語」が面白い人はほとんどいません。実は、完璧な文章を話すことより、面白い物語を話すことの方が、コミュニケーションには大事なのです。
「物語>文法的に正しい文章」に気づいている日本人はあまりいません。英語力が低くても積極的に話をするヨーロッパの人は、「面白い話」をすることを心がけているような気がします。その違いが、会話力の差を生んでいるのかもしれません。
日本人にも「物語」の重要性を知っている人がいます。ニューヨークで活躍している日本人コメディアンRIO KOIKEさんです。彼の英語はそこそこ(下の動画の場合)だけど、「物語」は素直に面白い。正確に言うと、物語があるから面白いのである。
落語の話をしていたので、テーマを落語に戻します。ぼくはたくさんの落語を聞いていますが、その中でも柳家小三治さんの噺が好きです(人間国宝に選ばれた時の反応も粋です)。特に小三治さんの「ま・く・ら」は、彼の落語に勝るとも劣らないぐらい好きです。
「物語」を語りながら人間国宝にまでなった落語家が話す「英語のま・く・ら」は面白いです。英語を勉強してそれを実際に使ってみたことがある人にしか分からない小確幸がそこにはあります。小さな喜びを積み上げながら「物語」を創ることができる人が成功するんだなぁ、と実感しました。
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