「英語力」。
英語を勉強している人の中に、この言葉を目にしたことが無い人はいないのではないだろうか?でも、あなたは「英語力とはなんですか?」と聞かれて、「英語力とは、・・・です」と明確な定義を持っているだろうか?
ぼくは、「英語力とは、・・・です」という定義を持っている人に会ったことが無い。仮に会っていた(目にした)としても、それは決して納得いく定義ではなく、ぼくの記憶には残っていない。
ぼくは20年以上英語を勉強しているが、「英語力」を伸ばそうと考えたことはほとんどない。ほとんどないと書いたのは、語学留学をした最初の1年ぐらいは、「英語力を伸ばす」ことに全力を傾けていたような記憶があるからだ。それでも、明確な定義が無い「英語力」を付けようとしても、その能力が伸びているのかどうか確認できないから挫折すると考え、「英語力を伸ばす」ことを止めてしまった。
それでは、一般的な「英語力=英語試験の成績」という公式が正しいかと言われれば、それは誤りであると言わざるを得ない。いま日本には、TOEIC,TOEFL、IELTS、ケンブリッジ英検、英検で満点(もしくは満点に近い点数)を取っている人が少なからずいる。周りの人から見れば、この人たちの英語力は高い、のかもしれない。しかし、英語試験で高得点を取っている人の中に、「ぼく・わたしの英語力は高い」と声高らかに言える人はどれぐらいいるだろうか?
確かに、ぼく(ごとうひろみち)は、英語試験を受ければ高得点を取ることができる。それだけでなく、オーストラリアに永住しているし、現地の医学部にも通っている。これだけを見てみると、「高い英語力を持っている」ように見える。(ぼくの勉強法に興味がある方はこちらをどうぞ)
それでも、ぼくは自分の英語力が高いとは思っていない。謙遜ではなく、日ごろのコミュニケーションにおいて四苦八苦をしている自分を客観視すると、どうしても「ぼくの英語力は高い」と胸張って言えないのだ。(内向的な性格が起因しているのは事実だが、それだけで説明できるほど単純な問題ではない)
話は変わるが、最近、近所のブックオフで、鳥飼玖美子著の『本物の英語力』という本を立読みをしていた。もちろん、ぼくが興味があったのは「本物の英語力」の定義である。結論を先に言うと、この書籍の中に「本物の英語力とは、・・・である」という明確な定義は書かれていなかった。それでも、この書籍の中に、「これが英語力の定義なのでは?」と思えるモノが書かれていた。それが何なのか、は自分の目と頭で確かめることをお勧めします。自分の足・手・頭を動かすことが大事です。
ぼくには「日本人の英語を変える、ノンネイティブの英語を変える」という夢がある。その夢を実現するためには、「英語力」を明確に定義しなければならないと考えている。この夢を叶えるために応募した異能vationの結果次第で、その定義をいつ公開するかは変わってくるが、いずれぼくが考える「英語力の定義」が主流になると考えている。
その日が来るまで、自分がいま持っている定義をより洗練させるべく、大阪で行われる第5回 GC&T主催セミナー「次世代型英語教育へのチャレンジ―グローバル化と英語教育改革が進むなか、身に付けるべき真の英語力とは?」に参加しようと思っている。
定員があるので、さっそく申し込みを済ませておいた。このセミナーを通じて、日本の英語教育を変えるネットワークを積極的に創っていこうと思います(憶えてもらうために、ちょっと、アク強めで)。
大阪かぁ。青春18きっぷを使って、福岡から鈍行電車に揺られて、時々駅弁(中国地方、四国地方、関西地方)を食べるために寄り道しながら、外の景色に飽きたらうつらうつら寝て、大阪に向かおうと思います。お好み焼き、たこ焼き、ちりとり鍋、待ってろよ~!
そして、セミナーが終わったら、広島に寄ってドリームシアターのライブだ!!