Tag: 3年生
オーストラリアの医学生がへき地で出会った先住民の話
ブルームにいるRCS(Rural Clinical School)の同級生たちと一緒に、
映画『Bran Nue Dae』を観た。
オーストラリアの先住民である
アボリジニーの少年が主人公の映画である。
話のあらすじは、
ブルーム出身の少年が
地元の女の子に恋をして、
聖職者になるために通っていたパースの学校から脱出し、
彼女に会うためにブルームまで旅をする話である。
https://www.youtube.com/watch?v=RnGRdaX594k
ブルームのケーブル・ビーチ、ローバックホテル、
今年(2016年)で開業100年目を迎える
サン・ピクチャーズ映画館などが登場し、
普段生活している風景が映画の中に出てくる。
また、臨床の50%近くはアボリジナルの患者さんなので、
とても感情移入しやすい映画だった。
出典:mojowire.net.au
オーストラリアの映画の代表作のひとつに数えられても
遜色のないコメディ映画かもしれません。
ぼくはブルームで、
この映画のもとになった
Bran Nue Dae のミュージカル・コンポーザーである
Jimmy Chi さんと実際にお話をさせてもらった。
日本人の血が流れていることを
誇りに思っていると言われていた。
オーストラリアの医学生がへき地で一緒に生活する同級生
2016年は、ブルームで7人の同級生と臨床の勉強をする。
ぼくの大学の西オーストラリア大学の学生がぼくを含め5人、
そしてノートルダム大学フリーマントル校の医学生が3人がいる。
ブルーム病院近くのアパートに、
二人組で部屋を借り共同生活をする。
ぼくのシェアメートは、
バスケットボールが大好きな、
とても明るくて活動的な女の子だ。
朝起きると、下着姿の彼女がキッチンにいて、
ぼくが気を使ってしまうなんてことがある
(彼女はなんとも思っていないし、
ワイルドでハンサムな彼氏もいる)。
RCSの学生たち一緒に、最高の1年を
ブルームで過ごすことができたらいいなと思っている。
オーストラリアの医学生が2900kmをドライブしてへき地に向かった話
医学部2年生を無事に終えたぼくは、
医学部3年生・Rural Clinical Schoolの舞台となる
ブルームまでドライブした。
パースからブルームまで、
できるだけ海岸線の道を選びながら、
約2900キロの道を旅した。
途中ドライブに疲れたら、
目が覚めるように青い海で泳いだり、
水の色が赤茶色の川で全裸で泳いだりした。
特に、Coral Bayのビーチはとても綺麗で、
シュノーケルをしていると
海から様々な生き物たちの音が聞こえてきた
(正直怖かったです)。
Geraldton,
Carnarvon,
South Hedland,
Sandfireなどで宿泊したが、
毎日夕日が美しくとてもラッキーだった。
ブルームに到着する日だけは
空の様相が違っていた。
ぼくが車をブルームに向かって走らせていると、
頭の上の重苦しい真っ黒な雲が、
熱帯地方特有の土砂降り「スコール」を
車の窓にたたきつけてきた。
魔法使いの呪文のような鋭さと重さが、
その雨には内在していた。
20メートル先が見えない道を
車で運転することは初めての経験だった。
制限速度110キロの道を、
ぼくは70キロぐらいで走った。
スコールに慣れているドライバーが
110キロで後ろから追突してきたらどうしようとビクビクしていた
(まぁ、ぼくには何ひとつできないのだが)。
ぼくは、魔法使いの手から逃れる呪文を唱えるかのごとく、
福山雅治の『スコール』を頭の中で歌っていた。
https://www.youtube.com/watch?v=GosmxY04_G0
ブルームの天気情報を見てみると、
ぼくの車を暴力的に叩いていった雨は
スコールでも魔法使いの仕業でもなく、
ストームだということが分かった。
オーストラリアの医学生がへき地で行う課外活動
Rural Clinical School (4)の記事で、
You can do it!というNPO団体と
プロジェクトを遂行する予定だと書いた。
先方からプロジェクトの許可が無事下りたのだが、
プロジェクトの監督となる方がとても忙しい方で、
ぼくが大学の単位を取るために必要な
Assignmentに協力を仰ぐことができずに、
将来を不安視したぼくは
大学にプロジェクトの変更を求めた。
医学部が提案してきたのは、
NPO団体Clontarfのプロジェクトだった。
プロジェクトを簡単に説明すると、
オーストラリア・ルールのフットボールを
先住民アボリジニの男子高校生たちに広めることで、
糖尿病の疾患率を抑えようとする試みである。
プロジェクトでは、
男子高校生たちに健康に関する授業やゲームを行なう。
ぼくが考えているのは、
5人一組のグループを3つ作り、
糖尿病にかんする伝言ゲームを行なうというものだ。
糖尿病の知識が一番正確に伝えられたチームには、
何かしらの商品があたる。
ぼくがなぜ伝言ゲームを選んだかというと、
先住民アボリジニにはものを書いて記録する文化がない。
つまり、先代からの英知は
全て口頭で伝えられているのだ。
このアボリジナルな文化にあったゲームが、
伝言ゲームというわけだ。
このアイデアは、ぼくの発想である。
出典:reqtest.se
1年間のプロジェクト前後で、
プロジェクトに参加していなかった高校生に比べ、
糖尿病に関する知識の変化や
身体的な変化があったかどうかを調べることで、
スポーツと教育のコンボが糖尿病の疾患率に
いい影響を与えられるかを判定できる
(といいなぁ、と弱気なぼくです)。
この研究結果は論文にしやすいと考えている。
実は同じようなプロジェクトが、
先住民アボリジナルな女性の糖尿病疾患率を
下げるのに効果的でことが分かっている。
論文の書き出しとしては、
「スポーツと教育のコンボは、
先住民アボリジナルな女性の糖尿病の疾患率を
下げるのに効果的であることが分かっている。
しかし、このコンボが、
先住民アボリジナルな若い男性に
効果的かどうかは分かっていなかった。
この論文ではそれを明らかにした」といった感じになる。
ぼくは、
オーストラリアン・フットボールをプレーしたことがない。
男子高校生に教えてもらいながら、
怪我をしないようにプロジェクトの完遂をめざす予定である。
オーストラリアン・フットボールの動画はこちらをどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=wfOd3EC8tug
出典:www.onlinecasino.com.au
オーストラリアの医学生が奨学金をもらったために進路変更をした話
2016年は、パースを離れ、
ブルームで1年間勉強することになった
(留年しないことが前提)。
ぼくは最後まで、
ブルームに行くか、
パースでiPS細胞の研究を選択するか、
近所のカフェでコーヒーを飲みながら迷っていた。
コーヒーはぼくの朝ごはんなのだ。
店には、Astrud Gilberto & Stan Getz の
"The Girl From Ipanema" がかかっていた。
https://www.youtube.com/watch?v=_1uEy-n4IsU
最終的には、
学生時代は今までやったことの無いこと
(つまり不安が多いほう)に挑戦するべきだと思い、
ブルームに行くこと決めた。
ぼくはコーヒーを一口を飲んだ。
ブルームに行く決断を、
iPS細胞の指導教官になるはずだった先生に連絡すると、
「ブルームかい。そりゃいいね。
私もそっちを取るよ、ハハハ。
でも、パースに帰ってきて、
iPD細胞の研究に携わりたいときは
必ず連絡しなさいよ。
やることは沢山あるからね。」と言ってくれた。
さて、ブルームに行くから研究に携わらなくなるわけではない。
うちの大学の医学生は2年次の後期から卒業まで、
Research、Service Learning、Course Workの
どれかひとつを選択しなければいけない。
Researchの目標は、研究成果を学会で発表したり、科学雑誌に論文を掲載することである。
Service Learningの目標は、学者が立てた仮説に基づいて活動しているNGOグループに参加し成果をあげることである。
Course workは、医学部卒業証書のほかに、Master of Education、Master of Public Health、Master of Business Administration (通称MBA)などの学位を取得することが目的である。
ぼくは研究が大好きなのでResearchを選択するつもりだった。
でも、ブルームにはあまり面白そうな研究が無かった。
自分で研究プランを立てても良かったのだが
(例:ブルームに移り住んだ日本系オーストラリア人は、
その他のオーストラリア人に比べてどのような疫学的違いがあるのか?)、
なんせ知り合い(コネクション)が現地にいない。
その上、ブルームにいるのは1年間。
研究以外にも、学校の授業や研修などもあるため、
この選択は非現実的だと判断した。
ぼくは、最終的に、
ResearchからService Learningに方向転換する決断をした。
この時、ぼくの目の前には、
飲みかけのコーヒーと、
半分ぐらい食べられて牛の角のような形になった
クロワッサンがあった。
Service...
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オーストラリアの医学部を一年休学した後に卒業し、ぼくは現地の病院に就職した。現在は、医師3年目のペーペー Registrarをやっている。通常、オーストラリアで言うRegistrarは「専門医になるための訓練を受けている医師」を指すのだが、ぼくはいまService registrarという少し変わったポジションで働いている。Service registrarは、特定の専門のトレーニングプログラムに入っているわけではないが、病院側が働き手が一時的に足りていない分野に送り込むRegistrarのことを指す。オーストラリアの医師のハイラルキーに興味がある方は、過去記事『オーストラリアのインターン医師になったらやらなければならない6つのこと』をどうぞ。
インター医師よりも経験はあるが専門をまだ決めかねている医師は、このService registrarとして働くことが多い。そして、Service registrarとしてインターン医師よりは重い責任を負いながら、どの専門に進むかを考えている。どの専門に進むのかを決める要因は千差万別で、流行りの専門を選ぶ医師がいたかと思えば、朝の問診が嫌いだからという理由で救急医療を選ぶ医師がいたりする。色々な思惑と背景を持った医師がいる以上、これさえ押さえておけば専門医トレーニング選びに後悔しない、というものはない。
ちなみに、医学部に入ったときにこんなフローチャートが授業で出てきたが、あながち間違いではないような気がする。専門を迷われている方は参考にするといいかもしれない(が、あまり気にする必要もないと思う)。
オーストラリアのインターン医師は、大きく分けて外科、内科、救急、精神科のローテーションを通じて医師としての一般的なスキルを磨く。3年という限られたインターンシップの期間中に、すべての科を回ることは不可能である。あらかじめ「~科で働きたいなぁ」と思っている医師は、病院側にその科に優先的に回してもらうことをお願いする。また、「~科には興味がない」ということを病院側に伝え、それ以外の科に回してもらうこともできる。
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