A君は13歳の少年で、生まれつき常染色体劣性多発性嚢胞腎(Autosomal Recessive Polycystic Kidney Disease:ARPKD)を患っており、腎臓が正常に機能していなかった。
多発性嚢胞腎のことを詳しく知りたい方はこちらをどうぞ(英語、日本語)
A君は、腎臓の機能である血圧のコントロール、尿の生成、赤血球の生成などが上手くいかず、高血圧、尿路感染症、貧血などに小さい頃から悩まされていた。
不幸中の幸いだったのは、A君のことを誕生の頃から診ていた総合医がこれらの症状を確認したときに、すぐに多発性嚢胞腎を疑い、検査を受けさせ、病気を正しく診断したことである。素早く診断したことで、腎臓移植の手配(遺伝検査や臓器リストなど)を速やかに行うことが可能となった。
それでも、難しいのは、いつ移植を行うべきか、という判断である。最近のデータによると、移植される腎臓は平均で15年ぐらい機能するという。この期間は、免疫抑制治療の発展によりさらに伸びることが予想されるものの、13歳のA君がほかの友だちと同じぐらいの寿命を全うするには、できるだけ移植を伸ばすことが大事な選択肢となる。
しかし、A君は度重なる尿路感染症にかかり、学校に行くこともままらなくなり、A君のお父さんが臓器移植の決断を踏み切ったのだ(お母さんは子宮内膜癌で亡くなられていた)。
Aくんの腎臓移植は、ぼくが普段勤務している病院のすぐお隣にある Perth Children’s Hospital で行われた。ぼくが移植外科医に「オペ手術に参加しますか?」と電話をいただいたのが、夜10時ぐらいだった。シドニーから空輸で送られてくる移植用の腎臓が到着するのが午前1時ぐらいだから、その時間に病院に来てくれと言われた。
腎臓移植の動画(手術映像で気分を悪くされる方はお控えください)
手術チームははじめ、二手に分かれて作業をした。
移植外科医のフェローとレジストラは、A君の腎臓を摘出する作業を行った。
そして、移植外科医のコンサルタントとぼくは、送られてきた移植用腎臓の準備(腎臓を氷水に浸けながら、余計な脂肪を除去したり、血管や尿管を移植に適した形にカット)を行った。
移植外科医の先生は時々、この部位は名称は何ですか?と解剖学のクイズを出した。夜中に呼び出されて眠たそうにしていたぼくを叩き起こす目的があったのかもしれない。
A君から腎臓が摘出され、移植用腎臓の準備が終わったころ、「ヒロ、その腎臓を布にくるんで氷水に浸けたまま、ここに持ってきてくれ」と言われた。
ぼくがいま手の中に持っている腎臓が、A君の腎臓になるのだ。
移植外科医のコンサルタントとフェローが腎臓移植手術のほとんどを行い、ぼくは移植する臓器を乾かさないために冷たい食塩水をかけたり、余分な溶液や流れ出る血液などを吸引する作業を行った。
外科手術にはオペ専用の手術ナースがいるのだが、この手術を担当していた手術ナースはなりたてホヤホヤのようで、ぼそぼそとしゃべる移植外科医のコンサルタントの言っていることが聞こえず、何度も「何の器具ですか?」と気まずそうに尋ねていた。
手術ナースは熟練すると、その瞬間に行われている手術を見るだけで、外科医がつぎに必要とするだろう器具をある程度予測し準備することができる。手術器具の名前を言えるインターン医師は一人もいないのではないか?と思えるぐらい複雑である。
動脈のクランプが外されると移植された腎臓に血液が流れ、灰色だった腎臓が濃い赤に変わっていった。手術が終わったのは午前3時半ぐらいで、建物の外に出ると外は冷えていた。白い息を吐きながら、移植外科医のコンサルタントに手術に参加させてくれたことを感謝し、家路についた。
手のひらには移植された腎臓を守っていた氷水の冷たさがまだかすかに残っていたが、出勤の時間が朝7時であることを考えると、その冷たさは布団の温かさに取って代わられていった。