オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート2:急性疾患医療)

 

急性疾患科は大変忙しい。専門科への入院は必要無いが退院できるほど容態は安定していない患者さんが、急性疾患科に入院する。その多くは、感染症や直腸出血などだが、原因不明の腹痛に苦しむ患者さんが来たり、医療的に不安定な拒食症の患者さんが来たり、緩和ケアの最適化が必要な末期がんの患者さんなども来た。

 

Aさんは20代の女性で、ブラジルからパースに語学留学に来ていた。ぼくは、Aさんに3週間ほど前に「下痢」で急性疾患科に入院していたときに出会っていた。便検査をすると、Campylobacterという細菌の存在が確認され、抗生物質投与後に退院したことを覚えていた。健康的で容姿端麗なAさんの魅力も記憶を助けてくれた。

Beautiful Brazilian Women | Beautiful brazilian women, Beautiful black hair, Most beautiful faces

出典:Pinterest

 

下痢は回復したものの、Aさんは再びSir Charle Gairdner Hospitalにやってきた。今度の症状は「全身の倦怠感」だった。救急科の医師は、Aさんがつい最近まで急性疾患科でケアを受けていた事実を確認したうえで、急性疾患科への入院を申請してきた。

 

しかし、ぼくがAさんを診るために救急科のベッドに行くと、数週間前に出会ったAさんとは何かが違うことを感じた。彼女は全身の倦怠感を訴えたが、慎重に身体検査を行うと彼女の下半身の顕著な弱さ明らかになった。話を聞くと、足>膝>腰の順に弱くなっていたことが分かった。

ぼくは、数週間前のCampylobacterの感染と、今回の下半身の麻痺を合わせて、Guillain-Barre Syndromeと診断し、急性疾患科ではなく神経科へ入院させるようにお願いをした。

 

Guillain-Barre Syndromeを診断した自分に多少の自尊心を覚えたが、その自尊心は数日後虚無となる。Guillain-Barre Syndromeの存在を示唆する神経伝導検査には問題はなかった。Aさんはその後、CT脳・脊髄を受け、Multiple Sclerosisを患っていることが分かった。

Differential diagnosis of multiple sclerosis and other inflammatory CNS diseases - Multiple Sclerosis and Related Disorders

出典:msard-journal.com

 

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オーストラリアのインターン医師になったらやらなければならない6つのこと

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。   ぼくがこの夢を持つまでに約30年ぐらいの時間が人生で経過している。そう、「医者になる」という夢を持ったのはつい最近のことなのだ。過去記事「ぼくが医者を目指すことにした2つのきっかけ」   ぼくは、日本の高校の授業についていけずに1か月ぐらいで高校中退した。そのあと、オーストラリアの語学学校に英語留学をし、オーストラリアとアメリカで大学受験・合格した。「アピールする」ことが苦手なぼくは、芝生の上でゴロゴロしながら勉強できるオーストラリアの大学で神経科学と遺伝学を専攻した。   大学卒業後、日本に帰って大阪市立大学と理化学研究所で研究の仕事をした。サイエンティストとして楽しく働きながらも、「芝生でゴロゴロ」が忘れられず、オーストラリアの医学部を3回受験(&3回合格)し、永住権も自力で取得した。医学部の勉強が始まる直前は、世界のへそとも呼ばれるエアーズロック(現地名ウルル)でツアーガイドとして働いたりもした。   https://www.youtube.com/watch?v=CQ_YIduECOo   オーストラリアの医学部(1年、2年、3年、休学、4年)はとても大変で、これまで勉強したことないぐらい勉強をしていたことを覚えている。それでも、All work but no play makes Jack a dull boy. という先人の知恵を忘れずに、できるだけビーチや芝生の上でゴロゴロすることを心掛けていた。   https://www.youtube.com/watch?v=jeOevu4zC5o   卒業ぎりぎりの成績ではあったが、卒業することが目的だったぼくは、無事に目標達成し、晴れて「オーストラリアで温かい医者になる」という夢のスタートラインに立つことができた。そして、西オーストラリアの病院に就職したぼくは、インターン医師として走り始めた。   西オーストラリア州のインターンシップは3年契約で、1年目は Internというポジションを与えられ、2・3年目は Residentというポジションを与えられる。通常、3年間のインターンシップを終えると、自分が興味を持っている専門分野のトレーニング・プログラムに願書を出して、ほかの医師との競争を勝ち抜いて、その専門分野のRegistrarというポジションを得る。そこから5年ぐらいの研修を終えて試験にパスすると、Fellowとなって、最後に Consultantというポジションに就く。   出典:ama.com.au   自分が興味を持っている専門分野がはっきりしている場合は、1年目のインターンシップを終えた時点で、専門分野のトレーニング・プログラムに願書を出して、選考に勝ち残ればRegistrarになることもできる。(お医者さん同士が競争するんですよ。すごい状況ですよね) どの分野に進むかまだ決まっていない医師は、3年間のインターンシップのなかで様々な分野のローテーションを経験し、自分の方向性を定めてゆく。   ぼくが1年目のインターンシップで研修を行ったのは、一般内科、移植外科、救急医療、急性疾患医療、そして整形外科である。医者という仕事上、患者さんや医療関係者のプライバシーの保護が最重要項目となる。そのため、ぼくが経験した笑いあり涙ありのヒューマンドラマをブログで公開することはできない。ただ、ぼくがインターン医師としてどんな一日を過ごしているのかを説明することで、これからオーストラリアでインターン医師になる人の心の準備にはなればと願っている。     ぼくが医者としての初めて働き始めたのは、ハリウッド私立病院の一般内科だった。   出典:nspm.com.au   毎朝6時ごろ起床し、ベッドからノソノソと出て、ドライフルーツがたくさん入ったシリアルに牛乳をなみなみ注いで、イングリッシュ・ブレックファーストの紅茶と一緒にいただく。出勤直前にバナナも一本平らげて、汗をかいてもいいようにスポーツウェアに着替えたぼくは、スワン川のほとりを自転車で30分ぐらい走らせる。波風の影響で、風を真正面から受けて体が鉛のように重く感じる時もあれば、背中に追い風の力を感じて翼がついているかのように自転車を飛ばすこともあった。   毎日、仮装されているエリザの銅像に「おはよう」と言い、   インスタ映えする写真を撮ろうと朝早くからボート小屋に来ている旅行客の横を颯爽と自転車で走り抜け、病院へ向かった。   朝7時頃に病院に到着し、セキュリティロックがかかった病院関係者専用の自転車置き場に自転車を置く。そのあと、病院内でシャワーを浴び仕事着に着替えて、病棟に向かう。   大体の病棟には医者専用の仕事部屋が用意されている。その部屋に置かれているコンピューターから、自分の上司のお医者さん(Consultantと呼ばれる)が担当している患者さんのリストを印刷する。 患者さんのリストをプリントするのは、毎朝の回診を終えた後に、やらなければいけない仕事を患者さんごとに書いておくためだ。例えば、心不全の患者さんのために心エコーの検査を予約したり、敗血症の患者さんの薬物治療のために感染症学のお医者さんのアドバイスを求めたり、などなどやることはたくさんある。   インターンはやることは多いが、大体は6つの項目に集約される。 (1)先輩のお医者さんと回診を行い、その記録を患者さんのノートに書き込む (2)既存の薬の量や頻度を変えたり、新しい薬を投薬したり、薬を中止したりする (3)X線、CTやMRI、血液の検査などを手配する(結果が出たら上司に報告する) (4)専門のお医者さんにアドバイスを求める (5)カニューレの取り換え、尿道カテーテルの取り換え、血液採取などの作業 (6)退院要約(Discharge summary)と退院後用薬物処方     (1)先輩のお医者さんと回診を行い、その記録を患者さんのノートに書き込む   朝一に行われる回診はとても忙しい。インターン医師はまず、患者さんの医療記録ノートを集めておかなければいけない。医療記録ノートは担当医師だけでなく、看護師、理学療法士、薬剤師、作業療法士、ソーシャルワーカー、栄養士、そして他の医療チームの医師が記録をつける。そのため、医療記録ノートが決められた棚に置かれていることがまずない。インターン医師の仕事の50%ぐらいは、このノートを探し当てることに費やされる。   先輩医師が到着する前にノートを集め、患者さんのリストをプリントしておく。そして、前日もしくは当日の検査結果(特に血液検査とイメージング検査)をプリントに書いておく。インターンシップ初期は、すべての検査結果を記録しようとするが、ある程度訓練を積んでいくと、患者さんが入院している原因に関連したものがわかるようになり、それだけを記録するようになる。また、前日までにほかの医療関係者が書き残していることを確認する。   先輩医師が到着すると、患者さんのノートを荷台に積んで、患者さんのもとへ回診に行く。回診で行われることは、(1)患者さんの様態を確認、(2)観察ノートに記録されているバイタルサイン、尿便、血糖値、体重の確認、(3)患者さんのお薬の確認、(4)患者さんの質問に答える、(5)担当看護師にプランを伝える、ことである。   ちなみに、ほとんどのインターン医師は、上記のことをSOAPという頭文字であらわされるヘディングに基づいて、患者さんノートに回診記録をつける。   出典:wikihow.com   なぜだかわからないが、医師の手書きは汚い。医療関係者のなかでもダントツだ。というか、全く読めないことが多い。解読不能の医師の手書きのせいで医療ミスが起きることもあることはよく知られているが、医師の手書きを読めるように訓練するプログラムを提供する病院はいまのところ世界中のどこにもない。     (2)既存の薬の量や頻度を変えたり、新しい薬を投薬したり、薬を中止したりする   つい最近まで責任がゼロに近かった医学生だった自分がインターン医師になって責任を痛感するようになるのが、投薬・止薬・用量増減の瞬間だ。とくに、一般内科に入院してくる患者さんはたくさんの薬を処方されている。そのため、薬同士の作用などによって、副作用などが現れることがある。   インターン医師は必ず、「医学的理由があって投薬された薬を止めて(減らして、増やして)いいのだろうか?」「これまで投薬されたことがない薬を開始できるほど、この患者さんのことを理解しているのだろうか?」と自問する。この自問こそが医者を育て上げるのだが、最初のうちはどんな小さな決断であっても「この決断でいいのだろうか?」という迷いが頭の中をぐるぐる巡っている。   出典:firstaideforlife.org.uk   インターン医師は早いうちに「すべての問題を解決する必要はない」ということを理解しなければいけない。医師になりたてホヤホヤの時は、法外な期待を自分に課すことが多い。根拠のないプライドなんだろうが、そんなものは捨てて、先輩医師に聞いたり、薬剤師にアドバイスを求めたり、実際に投薬する看護師の意見を聞くことが大事になる。また、薬物ガイドラインなどを調べて「どうすることがいいのか」という答えを自分で導き出す作業が、医者としての成長を促進してくれる。     (3)X線、CTやMRI、血液の検査などを手配する(結果が出たら上司に報告する)   回診が終わると、患者さんの様態によって追加検査が必要になることがある。血液検査は、緊急な場合を除いて、Phlebotomist(採血師)に依頼できる。 大体の病院は、1日2回(午前中と午後)に採血を行っている。依頼時間が遅いと採血してもらえないので、回診が終わったらすぐに予約しなければならない。どんな血液検査が必要なのかも明記しなければならない。   イメージング検査の場合、単純なX線検査であればインターン医師が依頼書に記入し検査を予約することできる。しかし、CTやMRI検査の場合は、放射線医師になぜその検査必要なのかを説明しなければいけない。最初のうちは、検査の必要性をうまく説明できずに、検査が拒否されることもある。そうなると、先輩医師に「すみません。検査が拒否されてしまいました。再度、検査が必要な理由を詳しく教えてください」と言わなければならない。   放射線医師と議論し検査を納得させるプロセスは、とても緊張するが、患者さんのことを理解し、その試験が治療に必要であることをロジカルに説明する訓練になるので、インター医師にとってとても大事である。   出典:macmillan.org.uk     (4)専門のお医者さんにアドバイスを求める   患者さんの様態や併存疾患などによっては、一般内科以外の専門医師にアドバイスを求めること(Referralと呼ばれる)がある。簡単なケースは、がん患者さんが一般内科に入院してきた場合、がんの治療を担当してい腫瘍医に患者さんが入院していることを連絡するときである。そのほかにも、敗血症で入院しているのだがまだ原因となる細菌がわからない場合、感染症学医にアドバイスを求めたりする。   ぼくはこの Referralというプロセスがとても緊張する。患者さんの病状、過去の病歴、既存投薬、などなど様々なことを理解し、そのうえでなぜ専門医のアドバイスが必要なのかを説明しなければいけない。うまく説明ができず苦し紛れに「先輩医師がアドバイスを求めろと言ったから」と電話越しに言って、雷を落とされたこともある。 ぼくはふつうは、患者さんの医療記録ノート、看護師ノート、医療検査の結果、過去の退院要約などを目の前に用意し、どうやって説得するかを頭の中で練習し、深呼吸をひとつして、専門医師に電話する。このプロセスも、医学的な理解を深めるうえでとても有益な訓練である。   出典:cartoonstock.com     (5)カニューレの取り換え、尿道カテーテルの取り換え、血液採取などの作業   カニューレは基本的に72時間ごとに交換しなければならない。そのため、72時間以上の静脈投薬が必要な時は、カニューレを交換しなければならない。医学生がそばにいるときは、「カニューレは自信があるかい?」と尋ね、Yesであれば、お願いをする。Noであれば、インターン医師になるまでに自信をつけておかなければいけないと言って、カニューレをお願いする。最初のうちは監督しなければいけないが、しっかりとしたテクニックを持っている場合は「カニューレ入れといて」と任せることができる。 https://www.youtube.com/watch?v=-t1SCZMO0Gc   尿が出ない患者さんに、尿道カテーテルを挿管したりする。病原菌が膀胱に侵入する原因になるので、しっかり準備し、無菌技術に細心の注意を払わなければならない。 https://www.youtube.com/watch?v=L7lIIYArTX4   採血師に依頼できないときは、自分で採血する。カニューレの時みたいに、医学生にお任せすることもできる。血液が凝結して検査できないこともあるので、最初は監督しなければいけない。 https://www.youtube.com/watch?v=_8ZsqXFqvQM     (6)退院要約(Discharge summary)と退院後用薬物処方   患者さんが退院するにあたって、インターンは退院要約とお薬処方をしなければならない。 退院要約(Discharge Summary)には、入院理由となる第一診断、治療の内容、合併症とその治療、お薬の変更、アレルギー、そのほか社会的な問題、退院後のプランなどを明記する。退院要約を書くのには3つの理由がある。まず、病院で何が行われたかの医学的な記録。2つ目に、患者さんが病院で何が行われたかを理解し、退院後に何をしなければいけないかを明らかにすること。3つ目に、患者さんの総合医(General Practitioner)が入院中にどんな治療と検査が行われ、退院後に何をしなければいけないかを明らかにすること。   オーストラリアは、患者さんの治療に総合医が非常に大事な役割を果たす。手術後の抜糸であったり、お薬の微調整、病院でおこわなれた検査の結果の確認など、様々なことを任される。総合医は患者さんの人生を診ることになるので、患者さんのことを逐一理解しておく必要があるのだ。   退院要約の中にも明記されているように、お薬に変更がある場合(新規、中止、増減)、病院の薬剤師に確認をしてもらい、新規の薬を処方してもらわなければいけない。お薬によっては、PBS Authorityに電話して、認可をもらわなければいけない。初めて電話した時はとても緊張したことを覚えている。Ciprofloxacinだったと思う。     (7)オーストラリアで医者になるあなたへメッセージ   インターン医師として働き始めたぼくは、この動画のような気分だった。 https://www.youtube.com/watch?v=XhJbvlD5D-g   どんな仕事でもそうだが、慣れるまでは「この仕事は自分に向いていないんじゃないか?」と悩んでしまう。それでいい。でも、これだけは覚えていてほしい。医者として働くことは、医学部で勉強しているときよりも何百倍も楽しい。責任があるから頭をフル回転させようと努力するし、なにより「あなたの患者」と向き合うために自分という殻をぶち破り成長せざるをえなくなる。成長は楽しい。成長ジャンキーになることができたら、医者は本当に素晴らしい仕事だと思える。成長を楽しんでほしい。  

【オーストラリアで働きたいお医者さん】就職に有利な専門医。就職に不利な専門医。

  ブログの質問箱に「オーストラリアで医者として働きたい」というコメントを、日本のお医者さんからよくいただく。   ほとんどの場合は手続きに関する質問であるため、ぼくはオーストラリア医学協会(Australian Medical Association)とオーストラリア医療関係者規制当局(Australian Health Practitioner Regulation Agency)のページを紹介し、自分で調べていただくことにしている。そうすることが一番確実で安全あるからだ。   とは言え、わざわざ質問をしていただいたのに、「自分で調べてください」という返答をする自分はなんだか味気が無いなぁと思っていたので、今回は「オーストラリアで働きたい日本のお医者さん」に耳寄りな情報をお伝えしたいと思います。   オーストラリアの保健省が2019年に発行した文書に「National medical workforce strategy scoping framework 2019」というものがある。その文書の目次の中に、7 Priority workforce issues and contributing factors というセクションがある。   1 Executive summary ... 7 2 About...

オーストラリア医師、レジデンシーを振り返る(パート1:整形外科)

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。ぼくはその夢を叶えるべく、オーストラリアの医学部を卒業し、インターン医師として次の4つの研修を無事修了した。 一般内科 (General Medicine)(リンク) 移植外科 (Transplant Surgery)(リンク) 救急医療 (Emergency Medicine)(リンク) 急性疾患医療 (Medical Assessment Unit)(リンク)   オーストラリアのインターン医師の仕事はハイリスク・ローリターンで、インターンシップ中に医師失格の烙印が押されると、医師として契約が更新できなくなる(つまり、医者として働けなくなる)。その意味では、医学部で留年しても次年チャンスがあるが、インターン中に失敗してしまうとそこでキャリアの道は閉ざされてしまうので、とてもハイリスクである。   ちなみに、オーストラリアのインターンシップの期間は大体2~3年ある。生まれたてホヤホヤ1年目の医師はインターン(aka Junior Medical Officer、JMO)と呼ばれ、2年目以降はレジデント(aka Resident Medical Officer、RMO)と呼ばれる。   レジデント医師はインターン医師に比べ、幅広い臨床ケースや病院の業務システムについて慣れている。それでも、レジデントもインターンと同じ業務をこなす。レジデントとインターンがこなす業務のことは過去記事『オーストラリアのインターン医師になったらやらなければならない6つのこと』に触れたので、詳しいことを知りたい方はこちらを参照ください。   ぼくのオーストラリアにおけるレジデント医師研修は、次の9つのローテーションから構成されていた。 整形外科(Orthopaedic Surgery)(この記事) コードブルーチーム(Charlie's Afterhour...

オーストラリアで総合医になる必勝方法

  ぼくには、「オーストラリアで温かい医者になる」という夢がある。この夢の旅路に就くまでのその道は、控えめに言っても、紆余曲折で満ち溢れていた。   ごとうひろみちの紆余曲折の人生に興味のある方はこちらをどうぞ。 ↓↓↓↓↓↓   オーストラリアの医学部を一年休学した後に卒業し、ぼくは現地の病院に就職した。現在は、医師3年目のペーペー Registrarをやっている。通常、オーストラリアで言うRegistrarは「専門医になるための訓練を受けている医師」を指すのだが、ぼくはいまService registrarという少し変わったポジションで働いている。Service registrarは、特定の専門のトレーニングプログラムに入っているわけではないが、病院側が働き手が一時的に足りていない分野に送り込むRegistrarのことを指す。オーストラリアの医師のハイラルキーに興味がある方は、過去記事『オーストラリアのインターン医師になったらやらなければならない6つのこと』をどうぞ。   インター医師よりも経験はあるが専門をまだ決めかねている医師は、このService registrarとして働くことが多い。そして、Service registrarとしてインターン医師よりは重い責任を負いながら、どの専門に進むかを考えている。どの専門に進むのかを決める要因は千差万別で、流行りの専門を選ぶ医師がいたかと思えば、朝の問診が嫌いだからという理由で救急医療を選ぶ医師がいたりする。色々な思惑と背景を持った医師がいる以上、これさえ押さえておけば専門医トレーニング選びに後悔しない、というものはない。 ちなみに、医学部に入ったときにこんなフローチャートが授業で出てきたが、あながち間違いではないような気がする。専門を迷われている方は参考にするといいかもしれない(が、あまり気にする必要もないと思う)。     オーストラリアのインターン医師は、大きく分けて外科、内科、救急、精神科のローテーションを通じて医師としての一般的なスキルを磨く。3年という限られたインターンシップの期間中に、すべての科を回ることは不可能である。あらかじめ「~科で働きたいなぁ」と思っている医師は、病院側にその科に優先的に回してもらうことをお願いする。また、「~科には興味がない」ということを病院側に伝え、それ以外の科に回してもらうこともできる。   ぼくは医師として以下のローテーションを回ってきた。 1年目 内科(記事) 移植外科(記事) 救急(記事) 急性疾患医療(記事)   2年目 整形外科(記事) コードブルーチーム(記事) 精神科(老年)(記事) 救急科(記事) 神経科(記事) https://www.youtube.com/watch?v=9ctkC_VszlY   3年目 腎臓学(記事) リウマチ科・免疫科(記事) 精神科(記事) リハビリ科(記事) 急性疾患医療(記事)   4年目 1.心疾患集中治療室(記事)   これらのローテーションを通じて、色々な人たち(および医学的症例)に出会い、「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を温めてきた。そして、患者さんに「温かい医者」と感じていただける可能性が一番高い専門医は「総合医」ではないか、と思うようになってきた。また、色々なことに興味があるぼくの頭に刺激を与えてくれるのも「総合医」ではないかとも思うようになってきた(フローチャートを見てみると、I like everythingを選択した人には、Family medicineが勧められているのが分かる)。   今回の記事『【全貌公開】オーストラリアで総合医になるために必要なこと』では、以下の7点を、ぼくが実際に歩いた道のりを紹介しながら解説していこうと思う。 総合医(GP)って何のお医者さん? ...

オーストラリアの医師インターンシップを振り返る(パート3:救急医療)

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。ぼくはその夢を叶えるべく、オーストラリアの医学部を卒業し、インターン医師として働いている。 オーストラリアのインターン医師がやることは、研修先の専門のうんぬんにかかわらず、大体同じような仕事をこなす。このことは過去記事『オーストラリアのインターン医師になったらやらなければならない6つのこと』に触れたので、詳しいこと知りたい方はこちらを読んでみてください。   ぼくのオーストラリアにおける医師インターンシップは、次の4つのローテーションから構成されている。 一般内科 (General Medicine)(リンク) 移植外科 (Transplant Surgery)(リンク) 救急医療 (Emergency Medicine)(この記事) 急性疾患医療 (Medical Assessment Unit)(リンク)   医者という仕事上、患者さんや医療関係者のプライバシーを保護することが最重要事項となる。そのため、ぼくがインターン医師として経験した笑いあり涙ありのヒューマンドラマをブログで一般公開するわけにはいかない。それでも、ドラマの端々を恣意的に加工してプライバシーを保護することで、ぼくの記憶の中に残っている「インターン医師のレッスン」を皆様とシェアすることは可能かと思う。 それでは、ぼくがオーストラリアのインターン医師として経験した「救急医療のレッスン」をお話ししよう。     Aさんが救急医療センターに来たのは、「医者にしか言えないこと」があるからだ。   その夜はたくさんの患者さんが来ていて、救急医療センターは蜂の巣をつついたような状態になっていた。   Aさんは30代後半の女性でTシャツと灰色のジーンズを履いていた。救急医療センターの順番待ちをしている間、椅子に座って両耳を手で押さえながら前後に体をゆすっていた。 Aさんの順番が来たとき、センターのベッドはすべて埋め尽くされており、ぼくは廊下に椅子を置いて、そこにAさんに座ってもらった。   「こんばんは。ヒロと申します。医師です。今夜はどうなさいましたか?」 「恐ろしい声が頭の中から消えないんです」とAさんは顔をこわばらせていた。見つめる目も虚ろだった。 「どんな声ですか?」 「息子にクンニをさせて自分が快感を得ろ!と大声で命令する声です」 「この声が聞こえ始めたのは今日が初めてですか?それとも長い間あるものですか?」 「3か月ぐらいです」 「3か月の間、息子さんに実際に何かをしましたか?」 「いいえ。でも、妄想の中で息子に暴力を振るって体が血まみれになっている姿を何度か見ました」 「妄想の中で、と言われましたが、実際に暴力をふるってはいないんですね?」 「はい。息子は私の妹のところに住んでいるので、私が暴力を振るうことはできないはずです」 「なぜ息子さんはあなたのところではなく、妹さんと一緒に住んでいるんですか?」 「私がヘロインやコカインなどの薬物をやっているからです」 「最後にそれらの薬物を使用したのはいつですか?」 「2か月ぐらい前です。それからやっていません」 「お酒は飲まれていますか?」 「いいえ、お酒も2か月前ぐらいから飲んでいません」   Aさんは、自分の息子に性的・身体的虐待をしようとしている自分を責めており、「自殺したい」とぼくに打ち明けてきた。 ぼくは精神科の医師に、Aさんが妄想と自殺願望が理由で救急医療センターにいることを伝えた。もちろん、非合法薬物使用歴があること、子供に身の危険の可能性があることも伝えた。 その夜は本当に忙しくて、ぼくは精神科の先生に電話をした後、別の患者さんを診なければいけなかった。どれぐらいの時間が経ったのかわからない。でも、ぼくは思い出したようにAさんの状態を確かめに廊下に戻った。Aさんの姿はそこにはなかった。 精神科の先生がどこかの部屋に連れて行って診ているのだろうと思い、ぼくはまた救急医療センターの渦の中に巻き込まれていった。   救急医療センターの先輩医師が、Aさんはどうなった?と聞いてきた。精神科の先生に診てもらっていると思いますが、とぼくは答えた。先輩医師は、先に来ていた精神病の患者さんがまだ精神科の先生に診てもらってないから、Aさんはまだ診てもらってないはずだ、といった。 ぼくの中で嫌な予感がした。 ぼくは救急センターのビデオカメラを確認した。廊下の椅子に座って前後に体を動かしていたAさんがゆっくりと立ち上がり、そのまま救急医療センターの出口からふら~と出ていく姿が映し出されていた。 やばい。自殺願望がある人を外に出してしまった。   ぼくはすぐにこのことを上司に伝えた。そして警察に電話をして、Aさんがその辺をうろついているかもしれないから見つけたら連れ戻してほしいと伝えた。 ぼくはAさんと一緒に住んでいる母親に電話をかけた。午前2時ぐらいなのでもちろん電話にはすぐにでなかった。それでも緊急事態だったので、ぼくは電話をかけ続けた。5分ぐらいすると、Aさんの母親が電話に出てくれた。 ぼくはAさんが病院からいなくなったことを母親に伝えた。すると、「娘は家に戻っていますよ」と言った。よかった、まだ生きてる。 相手が母親であったとしても、患者さんのプライバシーは守らなければならない。ぼくは医者ー患者の関係を崩さない範囲で事情を説明し、母親にAさんを病院に連れ戻してくれるようにお願いをした。 「娘はもう眠っています。今起こすと癇癪をおこすかもしれないから、明日でもいいかしら?」 「いいえ、娘さんは精神科の先生に早急に診てもらう必要があります」とぼくは答えた。   救急医療センターに戻ってきたとき、Aさんは機嫌がすこぶる悪かった。いろんなことを言われたけど、Aさんが無事に戻ってきてくれたので、ぼくは安心した。Aさんが挿管したカニューレをぼくの目の前で引っこ抜いて血まみれになったが、それでもぼくはAさんが病院にいることに心をほっとさせた。 まもなく、精神科の先生が問診に来てくれて、Aさんはそのまま精神病棟に入院となった。    

オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート5:リハビリ科)

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オーストラリア医師、レジデンシーを振り返る(パート10:小児救急科)

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オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート3:心臓病科・心疾患集中治療室)

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。ぼくはその夢を叶えるべく、オーストラリアの医学部を卒業し、インターン医師として次の4つの研修を無事修了した。 一般内科 (General Medicine)(リンク) 移植外科 (Transplant Surgery)(リンク) 救急医療 (Emergency Medicine)(リンク) 急性疾患医療 (Medical Assessment Unit)(リンク)   レジデント医師(生まれたてホヤホヤ1年目の医師はインターン(aka Junior Medical Officer、JMO)と呼ばれ、2年目以降はレジデント(aka Resident Medical Officer、RMO)と呼ばれる)として働き始めたぼくは、次の9つのローテーションを修了した。 整形外科(Orthopaedic Surgery)(記事) コードブルーチーム(Charlie's Afterhour...

オーストラリアの医師インターンシップを振り返る(パート2:移植外科)

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。ぼくはその夢を叶えるべく、オーストラリアの医学部を卒業し、インターン医師として働いている。 オーストラリアのインターン医師がやることは、研修先の専門のうんぬんにかかわらず、大体同じような仕事をこなす。このことは過去記事『オーストラリアのインターン医師になったらやらなければならない6つのこと』に触れたので、詳しいこと知りたい方はこちらを読んでみてください。   ぼくのオーストラリアにおける医師インターンシップは、次の4つのローテーションから構成されている。 一般内科 (General Medicine)(リンク) 移植外科 (Transplant Surgery)(この記事) 救急医療 (Emergency Medicine)(リンク) 急性疾患医療 (Medical Assessment Unit)(リンク)   医者という仕事上、患者さんや医療関係者のプライバシーを保護することが最重要事項となる。そのため、ぼくがインターン医師として経験した笑いあり涙ありのヒューマンドラマをブログで一般公開するわけにはいかない。それでも、ドラマの端々を恣意的に加工してプライバシーを保護することで、ぼくの記憶の中に残っている「インターン医師のレッスン」を皆様とシェアすることは可能かと思う。 それでは、ぼくがオーストラリアのインターン医師として経験した「移植外科のレッスン」をお話ししよう。     A君は13歳の少年で、生まれつき常染色体劣性多発性嚢胞腎(Autosomal Recessive Polycystic Kidney Disease:ARPKD)を患っており、腎臓が正常に機能していなかった。 多発性嚢胞腎のことを詳しく知りたい方はこちらをどうぞ(英語、日本語)   出典:theconversation.com   A君は、腎臓の機能である血圧のコントロール、尿の生成、赤血球の生成などが上手くいかず、高血圧、尿路感染症、貧血などに小さい頃から悩まされていた。   出典:slideshare.net   不幸中の幸いだったのは、A君のことを誕生の頃から診ていた総合医がこれらの症状を確認したときに、すぐに多発性嚢胞腎を疑い、検査を受けさせ、病気を正しく診断したことである。素早く診断したことで、腎臓移植の手配(遺伝検査や臓器リストなど)を速やかに行うことが可能となった。 それでも、難しいのは、いつ移植を行うべきか、という判断である。最近のデータによると、移植される腎臓は平均で15年ぐらい機能するという。この期間は、免疫抑制治療の発展によりさらに伸びることが予想されるものの、13歳のA君がほかの友だちと同じぐらいの寿命を全うするには、できるだけ移植を伸ばすことが大事な選択肢となる。 しかし、A君は度重なる尿路感染症にかかり、学校に行くこともままらなくなり、A君のお父さんが臓器移植の決断を踏み切ったのだ(お母さんは子宮内膜癌で亡くなられていた)。   Aくんの腎臓移植は、ぼくが普段勤務している病院のすぐお隣にある Perth Children's Hospital で行われた。ぼくが移植外科医に「オペ手術に参加しますか?」と電話をいただいたのが、夜10時ぐらいだった。シドニーから空輸で送られてくる移植用の腎臓が到着するのが午前1時ぐらいだから、その時間に病院に来てくれと言われた。   腎臓移植の動画(手術映像で気分を悪くされる方はお控えください) https://www.youtube.com/watch?v=pke1WhLNoHc   手術チームははじめ、二手に分かれて作業をした。 移植外科医のフェローとレジストラは、A君の腎臓を摘出する作業を行った。 そして、移植外科医のコンサルタントとぼくは、送られてきた移植用腎臓の準備(腎臓を氷水に浸けながら、余計な脂肪を除去したり、血管や尿管を移植に適した形にカット)を行った。 移植外科医の先生は時々、この部位は名称は何ですか?と解剖学のクイズを出した。夜中に呼び出されて眠たそうにしていたぼくを叩き起こす目的があったのかもしれない。   A君から腎臓が摘出され、移植用腎臓の準備が終わったころ、「ヒロ、その腎臓を布にくるんで氷水に浸けたまま、ここに持ってきてくれ」と言われた。   ぼくがいま手の中に持っている腎臓が、A君の腎臓になるのだ。   移植外科医のコンサルタントとフェローが腎臓移植手術のほとんどを行い、ぼくは移植する臓器を乾かさないために冷たい食塩水をかけたり、余分な溶液や流れ出る血液などを吸引する作業を行った。 外科手術にはオペ専用の手術ナースがいるのだが、この手術を担当していた手術ナースはなりたてホヤホヤのようで、ぼそぼそとしゃべる移植外科医のコンサルタントの言っていることが聞こえず、何度も「何の器具ですか?」と気まずそうに尋ねていた。 手術ナースは熟練すると、その瞬間に行われている手術を見るだけで、外科医がつぎに必要とするだろう器具をある程度予測し準備することができる。手術器具の名前を言えるインターン医師は一人もいないのではないか?と思えるぐらい複雑である。   出典:eyeopener.accutome.com   動脈のクランプが外されると移植された腎臓に血液が流れ、灰色だった腎臓が濃い赤に変わっていった。手術が終わったのは午前3時半ぐらいで、建物の外に出ると外は冷えていた。白い息を吐きながら、移植外科医のコンサルタントに手術に参加させてくれたことを感謝し、家路についた。 手のひらには移植された腎臓を守っていた氷水の冷たさがまだかすかに残っていたが、出勤の時間が朝7時であることを考えると、その冷たさは布団の温かさに取って代わられていった。  
ごとうひろみち
ごとうひろみち
『高校中退⇒豪州で医者』をいつも読んでいただき誠にありがとうございます。著者・ごとうひろみちに興味を持ってくれたあなたのために、詳しい自己紹介を←ここでしていますので、どうぞご覧ください。

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ぼくは高校英語が理解できなかった。そんなぼくがどうやってオーストラリアで医者になれたのか?この物語を読めば、あなたにも英語で夢を叶えるヒントが見つかるかも。

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日本人が海外医学部で一番苦労する(だろう)こと

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異能vation、の伊藤穰一さんが面白い

  変な人を日本政府がサポートするプログラム「異能vation」の2次面接の戦略と戦術を考えている。   記事「異能vation、の2次面接の練習を始めます」で触れたが、もしぼくの「破壊的な挑戦」の申請書が1次選考を通過すると、2次面接で3分間の面接・プレゼンを求められる(かもしれない)。面接・プレゼンを楽しむためにTED Talksやスティーブ・ジョブズ氏関連の書籍を参考にしながら、自分のプレゼンを組み立てている。   プレゼンの練習に疲れたので、何か別のことをしようと思い、近所のジュンク堂に行くことにした。家を出て上を見上げると、真っ青な湖面に白色の積乱雲が漂っている。こんな日は、この歌が自然に頭に流れてくる。   https://www.youtube.com/watch?v=PQXMU1A8CjI   書店に行く目的は、異能vationの方向性を決めているプログラムアドバイザーが日頃どんなことを考えているかを理解するためである。プログラムアドバイザーが異能vationの具体的な方向性に言及している書籍は無い(と思う)。しかし、プログラムアドバイザーがどんな思想を持って活動しているのかは著作を通して知ることができる。総務省はこの思想に魅力を感じてプログラムアドバイザーに選んでいるはずなので、プログラムアドバイザーの思想を知れば、異能vationの選考条件が自然に浮かんでくる(とぼくは青空を目で聞きながら夢想している)。   伊藤穰一(じょういち)さんの紹介   プログラムアドバイザーのリストに最初に来ている人物は、伊藤穰一(じょういち)(愛称はJoi)さんである。伊藤穰一さんのことはTEDを通じて存在を知っていたが、どんな思想・経歴をお持ちなのかぼくは全く知らなかった。   https://www.youtube.com/watch?v=LN6Vn-aqgFs   伊藤さんの経歴をWikipediaで調べてみると、おもわず笑ってしまった。     大学中退の学歴で、MITのメディアラボ所長になるって!現在は、博士号も取り、現実的な処世術としてMIT教授にもなっている(その時の話は、彼のブログ記事「教授になります」が面白い)(追記:現在、伊藤さんはジェフリー・エプスタイン関係の事件が原因でMITのメディアラボ所長を退職されています)   経歴の面白味は、それだけじゃないです。伊藤さんは、過去に六本木でナイトクラブを経営したり、DJだったり、IT会社を複数起業していたり、大企業の取締役をしていたり、赤ちゃん企業にスタートアップ投資するエンジェル投資家の顔も持っています。かと思えば、スキューバー・ダイビングの先生であったり、著名人を写真に収める写真家であったりもします(そのほかにも突っ込みどころが満載なのでWikipediaとその脚注・外部リンクの情報を読んでみてください。面白いに尽きます)   https://www.youtube.com/watch?v=Fbqib311QgA   伊藤穰一さんって、変な人でしょ?異能vationの最終選考者の竹内さんが、伊藤さんを「Joi = 神」と表現している理由がなんとなくわかったような気がします。   UCアーバイン校で人類学教授をしている伊藤瑞子さん(穰一さんの妹)との対談を聞いていると、穰一さんの異能ぶりを家族の視点から知ることもできます。   https://www.youtube.com/watch?v=P0CxCR9Uj60   伊藤穰一(じょういち)さんの書籍   伊藤穰一さんにHookedされてしまったぼくは、ジュンク堂におかれている彼の書籍をすべて買って読んでみた。           そのなかでも、異能vationの面接に役立ちそうな切り口を与えてくれたが、著書『9プリンシプルズ』である。書籍の内容は学術的であるため、ターゲット読者はおそらく知識人であると考えられるが、メッセージはシンプルである。書籍に書かれているメッセージとは、これからのネット時代においてイノベーションを起こしながら生き残るには9つのマインドセットが必要であるということだ。   1.権威より創発 2.プッシュよりプル 3.地図よりコンパス 4.安全よりリスク 5.従うより不服従 6.理論より実践 ...

【世紀の一戦】ごとうひろみち 対 Atsueigo

  えー、巷では名須川天心対フロイドメイウェザーの世紀の一戦がもっぱらの話題です。英語の世界も負けてられん、と【世紀の一戦】ごとうひろみち 対 Atsueigo を(一方的に)実現させました。それでは、前置きを含めてどうぞ。   ☆★☆★☆★☆★   オーストラリアの医学部を卒業した後、日本に一時帰国し、総務省の異能vationのイベントに参加したり、Urdocアプリの創始者と対談したり、日本の医学生に臨床英語のセミナーを開いたり、東大で先生をしている友人にサインをもらったり、1日5~8時間ぐらい東京の町を当てもなく歩いたりした。   オーストラリアにとんぼ返りする直前にAtsueigoさんの東京トークライブに参加してきた。今回の記事では、トークライブでのAtsueigoさんの印象や、Atsueigoさんがこれから挑戦しなければならない問題を提起していく。記事の流れはこうなっている。   Atsueigoとは誰なのか? ごとうひろみちとは誰なのか? Atsueigoのトークライブと彼の英語力 Atsueigoに挑戦状を叩きつける 挑戦状の先にあるもの   まずは、自己紹介から。Atsueigoさんを知らない方のために、彼のことを簡単に紹介しておく。   Atsueigoとは誰なのか? 以下、Atsueigoページより抜粋。   ...

【期間限定】アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』無料プレゼント中!(前半戦)

  アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』前半戦を期間限定プレゼント(無料)!     いまなら期間限定で、アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』の前半戦の感想をコメントするだけで、アマゾン書籍【後半戦】を無料ゲットできます!     このページの一番下に感想コメントすると、アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』の後半戦のページに移動することができます。 ↓↓↓↓↓↓

オーストラリアの医学部に進もうかと考えている日本の女子高生からの悩みに、ごとうひろみちが答えてみた

  ぼくのブログには、オーストラリアで医者になりたいというコメントがたくさん寄せられます。そのほとんどは、具体的なプランが無いなど、どうやって返信をしていいのか分からないものが多いです。 そんな中、オーストラリアの医学部に行くことを真剣に考えている日本の女子高生からお便りをいただきました。丁度、深夜勤務明けのお休みの日にお便りをいただいたこともあり、ぼくも真剣にコメントを返してみました。 以下、高校生からの文章を太字にして、パラグラフごとにぼくなりの返事をしています。   こんにちは、初めまして。 ⇒初めまして。   今回は大学進学について悩んでいたところ、このサイトと出会い、ぜひ助言をいただきたくこの文面を書いています。拙い文章力で申し訳ありませんが、しばらくお付き合いください。 ⇒この時点ですでに文章力の高さを感じます。   私は広島在住の18歳で、将来の夢は小さな頃から医師になること、「人の命を救うこと」でした。昨年高校を卒業し、高校では日本の文部科学省規定の学習ではなくIBディプロマを取得しました。英語でBiologyやChemistryなど、様々な科目を学習してきた私でしたが、自分の英語に日本人の中では話せる方であったとしても、nativeと戦っていけるほどの自信はなかったので、そのまま日本の大学(subject requirementの関係で一校のみ)を受験しました。しかしscoreがrequirementに及ばず不合格に。医師の道を諦めるという選択肢はなかったので、IB生では異例の浪人を決意し、IBの最終試験の再受験のための勉強(自宅にて)とセンター試験のための勉強を一から(予備校にて)並行して行い、無事IB scoreはrequirementを越え、今年はセンター試験の点数も持っていたため、昨年受験した大学を含め三校受験しました。一週間ほど前に開示された結果は全校不合格でした。 ⇒IBディプロマというものがあるんですね。知りませんでした。まずは、IBディプロマ修了おめでとうございます。大学受験は残念でしたが、前に進んでいる(行動している)ので全く問題ありません。今は胸が痛いかもしれませんが、数年後にはこの経験があったからこそ「自分」のアイデンティティが確立されたと思えるようになります。   合否発表前より、全て不合格だった場合にはどうするかを考えており、以下の2つが家族の中でも濃厚な線でした: 1. ハンガリー医科大学時事務局を通じてハンガリー国立大学医学部を受験し、進学。卒業後は日本の医師国家試験を受験(卒業と同時に受験資格は得られる)し日本で医師として働く。 ⇒ハンガリー医科大学事情は詳しく知らないのですが、確か留学生の留年率が50%だったような気がします。つまり、毎年、半分の同級生が留年するというとても大変な道のりです。このことを考えると、日本で浪人をして日本の医学部に行くほうが時間的・金銭的にベターかも、という可能性も見えてきます。 追記:留年率は66%でした。過去記事を参照。   2. オーストラリアの大学に進学し(昨年の段階で合格はもらっていたため)、学士をとった上で帰国、日本の国立大学医学部へ学士編入し、日本で医師として働く。元来私は日本で医師になることを目標にしていたので、このどちらかを考えていました。しかし、高校の先輩で今オーストラリア・ブリスベンで看護師として働く方と話す機会があり、とても生き生きと自分の夢に向かって走っている彼女の話を聞くと、この先輩のようになりたい、オーストラリアに進学したいという気持ちが強くなりました。 ⇒オーストラリアの大学合格おめでとうございます。パチパチ!素晴らしいです。オーストラリアで学士を取った後、日本の医学部に編入する選択肢も現実的です。おそらくですが、オーストラリアで学士を取ると、そのままオーストラリアの医学部(大学院コース)に進みたくなるかもしれません。これも、選択肢の中に入れておいてください。   両親も私が医師になる夢はずっと応援してくれているので、日本での進学の道がほとんど閉ざされてしまった今、オーストラリアへの進学を前向きに考えてくれています。 ⇒両親が応援してくれるのは、すごくプラスです。ぼくは、誰からも応援されることなく医学部受験をしたので、両親が応援してくれたら、もっと高い点数を取ることができたかもしれません。   ただ、master courseの学費の高さや、(学費を安くするための)永住権取得の難しさ、そしてオーストラリアで日本人が医師になることの現実性など、本格的に考えれば考えるほど、実際に医師として働けるなど夢のまた夢のように思えてしまっています。 ⇒学費の高さは、とても重要なポイントです。最近では、クラウドファンディングなどで学費を捻出する強者もいるようですが、ほとんどの人は高い学費が払うことができずに医学部に行くことを断念します。ぼくもその例にもれず、医学部を3度受験し3回合格したにもかかわらず、永住権が無かったために2回入学を辞退しています。ここをどうクリアするかは、経済事情によりますので、ご両親とよく議論されることをお勧めします。オーストラリアで日本人が医師になることの夢のまた夢と表現されていますが、オーストラリアで働く日本人医師はちらほらいます。例が少ないために、「無理なんだ」と思い込んでいるだけだと思いますよ。前例が無ければ自分が最初の例になればいいだけのことです。   一番の夢が「人の命を救うこと」である以上、医師になれる確率が高い道、という考えで進学先を決めるとすると、上記のようにハンガリー -> 日本、もしくは学士編入が良いのでは、という考えが両親の中では強いようです(医師として働けるようになるまでの年月も踏まえて)。 ⇒日本で医師になることを前提にハンガリーへ留学する人が多いことは認知しています。詳しいことは知らないのですが、ハンガリーの医学部には日本の医師国家試験の勉強もしている医学生が周りにいるらしいです。この点において、オーストラリアよりもハンガリーのほうが有利かもしれません。というのも、オーストラリアの医学部には日本人の医学生はゼロですし(いるのかなぁ?)、周りに日本の医師国家試験の勉強する人はいません。アメリカのUSMLEを受験する人は少ないですが存在します。   私の一番の希望は、オーストラリアでbachelorをとり、その後永住権をとった上でmasterに進む、という道ですが、masterへの進学が叶いそうにない(永住権を取れそうにない)場合は、bachelorだけでもオーストラリアで取得し、そこからハンガリー/日本の医学部へ進学/編入したいと考えています。*bachelorに関してはメルボルン大学またはUQのbachelor of...

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