Aちゃんが、お父さんに連れられてPerth Children’s Hospitalの救急病棟に来たのは、平日のお昼頃だった。Aちゃんはお昼の休み時間に校庭で友達と鬼ごっこをして遊んでいた。鬼だったAちゃんに追いかけられた友達は、逃げるために一本の木に登った。高いところが苦手なAちゃんは、木に登る友達を下から見上げていた。友達が木の枝に座った瞬間、Aちゃんの右目に激痛が走ったという。目の中に何かが入ったと思った学校の先生は、Aちゃんの目を水で洗ってゴミを取り除こうとした。
Aちゃんが救急病棟に来たのはもちろん、何度洗っても目の痛みが取れなかったからだ。Aちゃんのそばには、普段なら会社で働いているであろう、ビジネスマン風のお父さんが座っていた。
ぼくはAちゃんとお父さんに、「長い時間お待たせしてしまい申し訳ありませんでした」と言った。普段、Perth Children’s Hospitalの救急病棟での診察までにかかる時間は2~3時間なのだが、その日は緊急の診察を要する子供たちが多く、Aちゃんにたどりつくまでに4時間近くの時間が経過していた。
Aちゃんもお父さんも周りにいた子供たちの状況を察していたようで、「いえ、時間がかかるのは予想しておりました。でも先生に診ていただける時間が来たようでホッとしました」と理解を優しく示してくれた。
ぼくは、Aちゃんとお父さんを待合スペースから、個室に案内し、医学部で学んだように、
- S= Site
- O = Onset
- C = Character
- R = Radiation
- A = Associated symptoms
- T = Timing
- E = Exacerbating / Easing factors
- S = Severity
のHistory-takingをした後、
- Past Medical/Surgical History
- Medications
- Allergy
- Social history
- Family History
などを聞いた。
上瞼の裏にゴロゴロした感覚があってひどい痛みがあること以外、特筆すべきことはなかった。Aちゃんは質問を答えている間、ずっと右目をつむったままだった。
ぼくはAちゃんに目のごみが取れれば痛みは良くなると思うよと伝えた。そして、Aちゃんに
1.瞼をひっくり返してゴミを取り除く
2.角膜に蛍光性の染色液をつけて傷がないか確認する
3.Slit lampで角膜の中にゴミが残っていないか確認する
必要があると伝えた。
Aちゃんに痛み止めは必要かどうか聞いたが、ゴミが取れたら良くなると思うので必要ないです、とAちゃんは落ち着いて言った。
Aちゃんにベットの上で横になってもらい、ぼくは綿棒を使って右目の瞼をひっくり返した。右目は真っ赤に充血していた。ぼくは手持ちの虫眼鏡と明るいライトを使って、瞼の裏を丁寧に観察した。そして、瞼の真ん中ぐらいに1ミリぐらいの石ころのような物があることが確認できた。ぼくはもう一本の綿棒を使って、目とは反対の方向に向かってその異物をゆっくりと掻き出した。もう一度瞼を丁寧に観察し、異物がないことを確認した後、綿棒を取り除いて瞼を元の位置に戻した。
ぼくはAちゃんに「痛みが怖いかもしれないけど、一度眼球を動かしてみてください」とお願いした。Aちゃんはそれを聞いて、目をつむったまま右目の眼球を動かした。今度は、Aちゃんは右目を開けて眼球を上下左右に動かした。そして一言、「目の痛みがなくなりました!ゴロゴロする感覚もなくなりました!!」と嬉しそうに言った。Aちゃんは信じられないという顔をしていた。
ぼくは良かったねぇと微笑みながら、角膜の傷と異物の検査をした。幸い、何も問題が無かった。正直、Slit lampを使って、角膜の異物を取り除いた経験がないぼくは心からホッとした。
ぼくは、目の痛みが再発したり、充血が引かなかったり、目から膿のようなものがでてきたら再度救急に来てくださいと伝え、先輩医師の指示に従い抗生物質を処方してAちゃんとお父さんに「お大事に」と伝えた。
そして、Aちゃんとお父さんが一言、Thank you so much. と言った。何でもない言葉なのかもしれないが、この言葉には心がこもっていた。Aちゃんだけでなくお父さんの心がその言葉に込められていたし、Aちゃんとお父さんのまっすぐ見つめる表情にもそれが現れていた。
医師になって数年経つが、患者さんの心から湧き上がる感謝の言葉を聞いたのは初めての経験だった。Aちゃんとお父さんのあの言葉に生かされて、ぼくは今も医師の険しい道を歩み続けることができる。本当にありがとうございます。
出店:Getty Images