Aさはマレーシアからの旅行者で新婚ハネムーン旅行のためにパースへ来ていた。そんなAさんが Sir Charles Gairdner Hospital に入院してきた理由は、イルカを間近に見ることができるモンキーマイアのビーチで遊んでいるときに、海の底の何かに右足をぶつけて傷を負ったからだった。
Aさんは最初、右足を見て「あぁ、かすり傷ができちゃった」程度のことしか思わず何も心配していなかったという。しかし、数日すると、かすり傷の部分が腫れてより強い痛みを伴うようになり、不思議なことに、かすり傷以外のところにも同じような5ミリ程度の腫れが10か所ほど出現していた。そして、腹痛や発熱などの症状が出てきたので、心配になったフィアンセとともに病院に来ていた。
Aさんは最初、急性疾患科の医師から海洋性バクテリアの感染症と診断され、抗生物質を投与されていた。入院してから数日が立つと、腹痛も発熱も無くなった。朝に体調を聞いてみると、だいぶ回復したという返事が返ってきた。血液培養検査も陰性で、炎症マーカーも改善していた。しかし、Aさんの足を見てみると、紫斑が大きくなっただけでなく、その数も増えていた。足首関節の痛みもあまり改善していなかった。
抗生物質を投与しても引かない腫れと足首関節の痛みがあるということで、急性疾患医療の医師からリウマチ科のほうにアドバイスを求めてきたのだ。ぼくは、Aさんに直接会い、自分の手で足の腫れを押すと若干の痛みがあるようで、皮膚からは熱を感じることができた。やっぱり感染症かな、と思いながらも、足の腫れの生検を採取し、組織学のラボで検査してもらうようにしてもらった。もちろん、Aさんとフィアンセの了解を得て、のことだ。
予定していた抗生物質の投与期間が過ぎ、Aさんは「もう退院できる」と思っていた。周囲の医者や看護師も同じように考えていた。しかし、Aさんの足の腫れは一向に改善するような気配がなかった。Aさんのケアを担当していたコンサルタント医師は、マレーシアに帰っても良くならないようならお医者さんに再度診てもらいなさいとアドバイスをしていた。
Aさんが退院して1週間ぐらい過ぎただろうか。足の腫れの生検の結果が戻ってきた。レポートには、Leucocytoclastic vasculits と書かれていた。Leucocytoclastic vasculitisは、皮膚白血球破砕性血管炎(cutaneous leukocytoclastic angiitis)と呼ばれる、皮膚に限局した小型血管炎にみられる特徴的な病理所見である。
Aさんは新婚ハネムーン旅行を終え、すでにマレーシアに帰国していた。生検の結果が出るころにはAさんは帰国していることを予想していたぼくは、入院中にAさんの連絡先を前もって聞いておいた。そして、その連絡先に生検レポートを送り、「マレーシアでリウマチ科科の先生に診てもらうようにしてください」と添えた。
オーストラリアには様々な国から旅行者が来る。そして、様々な国の人が病院に患者さんとして入院する。退院したらもう帰国して連絡がつかなくなるケースも往々にしてある。患者さんの病気だけでなく、患者さんの生活環境なども理解して柔軟に対応しないと良質の医療ケアは提供できないということを学ばせていただいた。