【豪州医学部受験お悩み相談】海外で医者になりたい高校生1年生

 

以下、読者さんからの了解のもと、質問とその答えを記事にしています。

 

<読者さんからのお便り>

 

ごとうひろみち

「こんにちは。ひろです。」

 

Aさん

「初めまして 高校一年のAと申します。

私はオーストラリアで医師になりたいと考えています。一番はオーストラリアの医学部に進学することですが、オーストラリアの医学部に高校卒業後に入るのは費用の面や学力的な面で現実的ではないと思っています。

なので、自分自身で出来る限り調べて2つのルートを考え出したのでどちらがオーストラリアで医師になるために最適なルートかアドバイスを頂ければと思いメールをさせて頂きました。

1つ目はハンガリーなどの東欧の医学部に進学し卒業後オーストラリアに臨床留学をするかスポンサーを探すということです。ですが、経験がないためビザなどの面でうまくいくかが疑問な点です。

2つ目はオーストラリアの大学の看護学科に進学し卒業後数年働き永住権を得て医学部に進学するという点です。

よろしくお願い致します。」

 

ごとうひろみち

「ご質問ありがとうございます。高校1年生の時点ですでに医者になろうと思っているんですね。すごいです。感心してしまいます。与えられた情報が少ないので適切な答えができるかわかりませんが、「Aさんが日本で生活している日本人の高校生」という仮定をもとに、ぼくなりの答えを書いていきます。Aさんの人生のに一助になれば幸いです。」

 

ごとうひろみちの答え

 

オーストラリアの医学部に通う留学生は、毎年300~400万円の授業料に加え、100~200万円ぐらいの生活費を支払います。つまり、安くても400万円、高ければ600万円という大金を毎年払わなければなりません。もし、高校卒業すぐに医学部へ入学するのであれば、6年間大学に通うことになり、合計で2400万~3600万円の経費が掛かります。ご両親が経済的に安定し裕福であれば問題はないのかもしれませんが、そのような幸運に恵まれている子供の数は多くありません。(アメリカであれば、医学部無料というところもありますが。)

志の高いAさんは、この点をすでに自分で調べて、自分にほかのルートが無いものかと模索をされているのだと想像します。そして、(1)東欧の医学部に進む選択肢、そして(2)オーストラリアへ永住した後に医学部に進む選択肢、にたどり着いたのだと思います。

 

東欧の医学部に進む

 

まずは、ぼくの結論から始めます。ぼくはこの選択肢をお勧めしません(注意:否定ではありませんよ)。

 

その理由は、3つあります。

 

1つ目は、医学部で学ぶ内容は、国によって大きく異なるという事実。

簡単な例を出すと、アメリカの医学部に行けば、Lyme diseaseのことをしっかりと勉強すると思いますが、オーストラリアの医学部ではあまり時間を割きません。同じように、オーストラリアの医学部では Rheumatic heart diseaseの勉強をしっかりしますが、アメリカの医学部ではあまり時間を割かないと思います。

なんでこんなことが起きるのかというと、国や環境によって病気の疾患率が変わってくるからです。アメリカではLyme diseaseは比較的よく見られる病気ですが、オーストラリアではあまり出会う症例ではありません。また、アメリカではあまり目にしないRheumatic heart diseaseですが、オーストラリアでは比較的出くわす病気です。

オーストラリアとアメリカを例に出しましたが、東欧の医学部でも東欧でよく目にする病気を重点的に勉強するはずです。そのため、オーストラリアで医者になることを考えているのであれば、オーストラリアの医学部で学ぶことが時間的なロスを少なくしてくれるような気がします(オーストラリアは移民が多い国なので広い視野を持ったほうがいいと考えることもできますが)

 

2つ目は、医療行為の内容は、国によって大きく異なるという事実という事実。

医療は様々な要因が絡み合った事業です。病院やクリニックの医療ガイドラインといった小さな単位から、国が定める医療に関する法律まで、様々なレベルで医療行為の制限が課されています。また、医療に対する患者さんたちの考え方や知識なども、医療行為の在り方に大きな影響を与えます。

例えば、パースには複数の病院がありますが、同じ病気なのにどう治療するかのガイドラインが微妙に違うことがあります。これが、他州の病院になると、さらに変わってきます。そして、国レベルになると、もっと大きな違いが出てくることが容易に想像できると思います。つまり、東欧で医学を修めて、意気揚々とオーストラリアで医者になろうとしても、東欧で学んだ医療知識がオーストラリアでは使えないケースがあるわけです。

ただ、オーストラリアの医療システムを改善するには、他国の医療従事者の知識と経験が不可欠というのも事実ではあります。Aさんがこのようなビジョンを持っているのであれば、他国で医学を修めて、その知識をオーストラリアの医療システムの改善のために尽力してもらうことは、大変喜ばしいことではあります。

 

3つ目は、医学部はその国や地域に貢献する医者を育てたい、という事実。

これは、投資家のマインドを持っていないと理解できない観点です。ヨーロッパの医学部が比較的安いのは、国が多額の補助金を投資し、優秀な医者を育てて、将来的にその国の医療に貢献してもらいたいと願っているからです。それゆえ、多額なお金を投資した医学生がほかの国に流出することは、その国にとって大きな損失を意味します。

わたしの国の医療に貢献してくださいね、という政府の願いを理解し多額の投資を受け入れる。でも、医学部の教育が終わったら即さようなら~では、倫理的な配慮にかけるのではないかと考えてしまいます。法律違反でなければ何をやってもいいという心貧しい人がいますが、Aさんには広い視野を持った医者になってほしいと願っています。

 

オーストラリアで医者になるなら東欧の医学部はお勧めしないと言いましたが、それでも世界中からたくさんの人が医学を学びに来る環境はとても刺激的なものだと思います。

 

ハンガリー医学部、留年せずに卒業できる学生の割合は33%(つまり66%の学生は留年する)!

 

ハンガリーで医学を学ぶ人たち

 

オーストラリアの永住権を取ってから医学部に進む

 

ぼくは、こちらの選択肢をお勧めします

 

オーストラリアの医療システムを理解している看護師さんは、オーストラリアでとても優秀なお医者さんになれるような気がします。(データはありませんが、優秀なお医者の中に過去に看護師をしていたという方が多いと思います)

ただ、現実的な問題も存在します。留学生が支払わなければならない看護科の授業料も高いです。年間250万~300万円の授業料がかかります(情報元>>オーストラリア留学センター)。医学部(年間300~400万円)に比べれば幾分安いのかもしれませんが、それでも多額な教育費です。

看護科を卒業しオーストラリアの永住権を取ったとしても、その後、現地の医学部に通うには、約100万円の学費と100万~200万円の生活費が毎年かかります。オーストラリア政府から経済的な援助を受けられることも確かですが、ある程度の経済的な余裕が無ければ、大変な道のりになると思います。

 

ぼくの場合は、日本で仕事をしながら、永住権を取得し、豪州医学部に合格しました。リーマンショックなどの影響で、永住権取得までに医学部に3回合格するという無駄な時間を使ってしまいましたが、医学部に必要なお金を貯めることが出来たので、それはそれで良しとしています。

 

ごとうひろみち著『豪州医学部受験必勝法』

 

ひろの最後の一言

 

今回の悩み相談は、あなたのお役に立てましたでしょうか?もしそうであれば、他の悩める受験生たちのためにもこのブログの存在を教えてあげてください。

もしオーストラリアの医学部受験を考えるのであれば、ぼくが展開している「日本人の英語をネイティブにする」コミュニティ iTELLian Academy過去の質問を紹介していますので、参考にしてみてください。無料登録すれば質問もできますよ。

それでは、オーストラリアで医者になったAさんに出会える日を心待ちにしています。

 

 

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【検証】林修氏の「幼児に英語教育は不要」は正しいのか?

  林修氏という教育者がいる。知人によれば、「いつやるか?今でしょ!」という有名な文句を持った、東進ハイスクールの予備校講師だという。   東京大学法学部卒の高学歴を持つ林氏の頭脳明晰ぶりは有名なようで、「林先生が驚く初耳学!」という人気テレビ番組の中心人物である。   最近になって、その番組「林先生が驚く初耳学!」で発した、早期英語教育に関する林氏の一言が議論を巻き起こしているという。   その一言とは、「幼児に英語教育は不要」   というものだ。   ぼくは、林氏の「幼児」の定義が分からない。ゆえに、林氏の意見に賛成も反対もできない。ただ、幼児を「小学校以前の子供たち」と一旦定義して林氏の意見を考えてみたいと思う。   第2言語学の習得の臨界期から考えると・・・   第2言語の習得の臨界期(ある年齢を過ぎると言語の完全習得が不可能になる時期)は、様々な意見があるものの、だいたい7歳ぐらいだと言われている。このことは、つまり、小学校1,2年生で英語を始めても完全習得に遅くはないということになり、林氏の意見「幼児に英語教育は不要」は擁護される。   さらに、大人になってから英語を勉強し始めた場合でも、「外国語が日常的に使われる環境に身を置き、高いモチベーションを持って聞き取りや発音のなどの音声的な訓練を長期間行なえば、10%以上の人がネイティブ並みといえる文法・発音能力を習得できる」という研究結果がある(Wikipediaより)。これは、林氏の意見「幼児に英語教育は不要」をさらに擁護するデータである。   ぼくが英語を真剣に勉強し始めたのは18歳からである。それを考えれば、ぼくの第2言語の習得の臨界期はゆうに過ぎていたことになる。しかも高校を中退しているため、ほかの友達よりも学歴の点では劣っている。そのためか知らないが、ぼくの英語の発音はネイティブ並みとはお世辞でも言えない。それでも、英語の質そのものはネイティブのそれを変わらないのではないかと思っている。その「質」の土台となっているものは何か?   それは、思考力である。簡単に言えば、考える力である。   ちなみに、林氏は同番組内で「幼児期は英語よりも思考力を伸ばすべき」と主張している。   ぼくは林氏の意見に賛成はしない。林氏とは違い、ぼくは「英語は思考力と一緒に学ぶことが一番効果的」という考え方を持っている。つまり、林氏の「英語or思考力」という考え方ではなく、「英語and思考力」という考え方を持っている。この考え方こそが、日本政府が長年迷走しながら改革を進めている英語教育の羅針盤になるとぼくは考えている。   「英語and思考力」の教育を具体的にどうやって実現するかは、「なりたい自分に最短でなれる英語勉強法」の後半で触れています。期間限定で無料プレゼント中ですので、ご気軽にどうぞ。   https://www.youtube.com/watch?v=XCViXR2Mysk   ちなみに、第1言語学の習得の臨界期から考えると・・・   英語を第1言語として習得するには3歳前から英語教育をスタートさせるのがベスト、と主張しているのが元イェール大学助教授の斉藤淳氏である。子供に高い英語力を身に付けてもらいたいと思っている親御さんは、斎藤氏の著書『ほんとうに頭がよくなる 世界最高の子ども英語 わが子の語学力のために親ができること全て!』を読まれたい。       出典:毎日放送  
00:03:56

オーストラリア(パース)のクリスマス・パレードに行ってきた

  オーストラリアは、いま夏真っ盛り。 オーストラリアの夏と言えば、クリスマス!   https://www.youtube.com/watch?v=R8mEAWQimdE   一般公開されて間もないエリザベスキーをゆったりと散歩した後、   https://www.youtube.com/watch?v=58vD7dWKKSA   パースの市内で行われたパレードに参加してきました。   https://youtu.be/16RR6OsYs_8   皆様のクリスマスが幸せなものでありますように。   Merry X’mas and Happy New Year!  

ぼくが医者を目指すことにした2つのきっかけ

  (1)インド旅行   小さい頃から 医者になりたい という夢は、 ぼくには無かった。   医者になることを考え始めたのは、 2006年のインド旅行が きっかけだった。   ぼくがインドを選んだのは、 マザー・テレサさんがインドで設立した 「死を待つ人々の家」などを含む施設で ボランティアをすることが目的だったからだ。   ニューデリーからコルカタへ 寝台列車に乗って移動したとき、 車内でフランス人の青年と出会った。   彼はコルカタに仕事関係で行くと言っていた。   彼と意気投合し、 一緒にボランティアをすることになった。   「死を待つ人々の家」に到着すると、 施設のリーダーである医師に担当が決められる。   ぼくがお世話させていただいたのは、 体が飢えたヤギのように痩せ細った、 20代後半ぐらいの男性だった。   ぼくは、 薄いマットレスのうえで 横になっている彼に水を飲ませたり、 身の回りの掃除などを行なった。   彼の肌が乾燥して皮膚がカサカサだったので、 体にクリームを塗って 軽くマッサージをしようかと聞くと、 彼はとても弱々しくうなずいた。   彼の体に触れると、 彼の体が高温であることが分かった。   ぼくがクリームを塗って マッサージを終えると、 彼は静かに瞬きと わずかな会釈で感謝をしてくれた。   彼はぼくをじっと見つめていた。   次の日、 「死を待つ人々の家」に戻ると、 男性の姿は無かった。   リーダーの医師に聞いてみると、 「彼は昨夜亡くなったよ。 エイズだったんだ。」 と教えてくれた。   彼は誰かに看取られながら 最後を迎えたのだろうか?   独りで死ぬべき人なんて、 この世にいないのだ。   出典:www.jotipoirier.com   (2)東北地方太平洋沖地震   医者になることを強く決意したのは、 2011年3月11日に起きた 東北地方太平洋沖地震 のボランティアに行ったときだ。   RQ市民災害救援センターが行なっていた 被災者支援のボランティアに 参加させていただいたとき、   自分の存在のあまりの無意味さに打たれ、 すこしでも苦しむ人の 役に立てるような人間になりたい と思うようになった。   人は死の苦しみを選べない。 でも、苦しんでいる人の周りにいる人には 選択の余地がある。     ちなみに、 「愛の反対は憎しみではなく無関心である」 という言葉は、 マザー・テレサさんのものかと思ったら、 ノーベル平和賞受賞者の エリ・ヴィーゼルさんのもののようですね。   知りませんでした。   もうひとつ有名な 「祈りの実りは信仰、信仰の実りは愛、 愛の実りは奉仕、奉仕の実りは平和」 という言葉は、 マザー・テレサさんが 発したもののようです。  

オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら

  ぼくは2014年からオーストラリアの医学部に通っている。   医学部に通っている間は収入がないので、家賃や生活費をオーストラリア政府の学生補助金Austudyから支払っている。補助金の詳しい内容は、政府のページもしくは拙著『豪州永住権の手引き』をどうぞ(←書籍は無料プレゼント中)。   医学部に通いながらアルバイトする学生もいるが、そのほとんどは生活費を稼ぎだすというよりも、勉強漬けの毎日から精神的に解放されるために、週1、2回パートタイムで働いている感じである。   ぼくも英語コンサルをしたり、翻訳の仕事をこなしてはいるが、Austudyが無ければ生活と学業を両立させることは不可能である。   ぼくは2017年、医学部を休学し日本に帰国した。その間はAustudyの受給を一時的にストップしなければいけなかった(Centrelinkのオフィスに行って、一時停止してくださいと言えばできる)。   在学していないのにAustudyを不正受給すると、政府から訴えられるだけでなく、そのほかの福祉補助金を受けられなくなる可能性があるので厳重注意。   休学期間が過ぎ、ぼくが日本からオーストラリアに戻ってきたのは、2017年の11月である。11月に帰国したのは、12月からのElective Placementの準備をする必要があったからだ。     Austudyの一時停止を解除し、受給を再開するには、Austudyを再度新規申請しなければならない。ぼくはオンライン申請ではなく、わざわざVictorial ParkにあるCentrelinkオフィスに出向いてAustudyを再度申請した。   オンライン申請ではなくオフィスでの申請を選択したのには理由がある。それは、Elective Placementのせいで、ぼくの医学部の勉強が12月から始まる(普通は2月)という変なものだったので、そのことをキチンと説明するためにオフィスに出向いだのだ。   Centrelinkの担当者に、Elective Placementが12月から始まり、これは医学部卒業に必須なフルタイムの科目だということを口頭で説明し、念を押すためにこのことを文書で説明している医学部からの手紙のコピーも提出した。   これだけすれば大丈夫だろう。   ぼくはそう思っていた。   2日後、Centrelinkの自分のページにAustudyに申請していることが表示され、12月9日に申請の結果が出ることが書かれていた。   Elective Placementは12月4日からなんだけどなぁ、と思いながらも、受給が認められれば申請日まで遡って給付金が与えられるので、まぁいいかと思うことにした。     12月9日の申請結果は、Your application is not acceptedだった。数日後送られてきたレターには、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という内容が書かれていた。   恐れていたことが、起こってしまった。   ぼくの医学部はElective Placementがあるために2017年12月から始まるのに、Austudyの審査官が医学部の最終学年のスケジュールだけ見て、2018年2月まで13週間以上あるから申請を拒否してしまったのだ!   おそらくだが、ぼくがCentrelinkで懇切丁寧に説明した2017年12月から始まるElective Placementのことと、医学部からの手紙のコピーには目を通していないはずだ。目を通していれば、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という拒否理由を言えるわけがない!   収入がない上に、Elective PlacementのSir Charles Gairdner Hospitalに毎日通うためにお金がだんだん無くなっていくぼくは、Austudyの拒否理由を見て一瞬怒りを覚え、焦燥した。   ただ、怒っても焦ってもしょうがないので、ぼくはすぐにCentrelinkのオフィスに出向き、Austudyの拒否理由が不当であることを伝え、結果を再審査するようにAppealを行った。     Centrelinkの担当者には、口酸っぱくElective Placementのことを伝え、Austudyの審査官が医学部からの手紙をキチンと読むように指示するように伝えた。   Centrelinkの担当者からは、Appealの審査はクリスマス前後になるだろうと言った。そして、担当者はAppealの結果がダメだった時のために、もう一度Austudyに新規申請したほうがいいと言われた。   分かった、ここで新規申請する、とぼくは伝えたのだが、オフィスはもう閉まってしまうので、自分でオンライン申請してくれと言われた。What the…   クリスマス前に連絡が来ればいいなと思っていたが、ぼくの期待が満たされることはなかった。   クリスマスは、ホストファミリーにプレゼントを買いたかったのだが、本当にお金がなかったので、2018年5~6月にパースで行われるMamma Mia! の舞台へのチケットを後日贈ることにした。     クリスマスは過ぎ、ボクシングデー、ニューイヤーズ・イブ、そして年は2018年を迎えた。Appealの結果の連絡はなかった。   ぼくはCentrelinkのオフィスに行き、どうなっているんだと怒鳴り込んだ(もちろん平身低頭で)。   オフィスの入り口カウンターのおばさんが、パースのオフィスではAustudyの審査を行っていないから、CentrelinkのYouth and Studentに電話してみなさいとアドバイスしてくれた。番号は、132 490だ。   ぼくは昼食の予定があったホストファミリーの家に行き、すぐに電話した。   Centrelinkの自動電話対応の音声が流れた。ご用件は何ですかと聞くので、Appealとぼくがぶっきらぼうに言うと、わかりましたAppealですね?と音声ガイダンスは言った(すげー、AIの技術はこれから仕事をどんどん減らすなぁ)。ぼくがYesと答えると、そのまま担当者につないでくれるとのことだった。   それから約1時間の間、クラシックの音楽が流れた。いつになれば担当者と喋れるのか分からないぼくは、ホストファミリーの庭に水をやりながら時間をつぶした。   そして、電話をしたことすら忘れていたころに、Hello, may...

【ついに決着】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請を拒否されたら

  オーストラリアの大学生(海外留学生は除く)は、Austudyと呼ばれる金銭的補助を政府から受けることが出来る。詳しい条件などはこちらをどうぞ。   ぼくは、2014年から西オーストラリア大学の医学部(大学院コース)に入学し、Austudyを受け取りながら、貧乏医学生として生活を続けていた。2017年には、もうひとつの夢である「日本人の英語を変える」ために、医学部を1年休学した。もちろん、その間は Austudyの受給は一時中断していた。(休学中に受取中断をしておかないと、不正受給者として国から訴えられるので気を付けておこう。)   日本での「日本人の英語を変える運動」を全力で頑張った後、ぼくは2017年の12月から医学部に復学した(神経内科研修編)。そして、復学に伴い、Austudyを再開する申請を行ったことを、これまでのブログ記事で触れてきた。長い戦いだったが、これまでの Austudy再開についてのドタバタを簡単に説明しておくと、次のようになる。   (1)Austudyの1回目の申請は、申請期間外(最大で学校が開始される13か月以内)ということで却下される。Austudyの1回目の再申請は11月に行ったもので、医学部が再開された12月まで4週間しかない。ゆえに、申請却下理由は不当である。そこで、再審査を求め、1回目の Appeal を行う。(詳しい内容は過去記事『オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』) (2)1回目の Appeal の後、再度 Austudy の審査が行われ、預金残高が約1万ドル以上あることを理由に、支払いは2018年の3月以降になることが決まった。しかし、医学部の授業料は、年間約1万ドルである。しかも、学校が始まったのは、2017年の12月だ。生活費がままならない状態で、どうやって医学部を卒業しろと言うのか?ぼくはこの決定に不服を申し立て、2度目の Appeal を行った。(詳しい内容は過去記事『【続】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』) (3)2回目の Appeal の審査を行うものの、審査そのものが3月にならないと始まらないというとんでもない状況に直面する。これはつまり、郵便局に速達物の受け取りを早くしてもらいたいとお願いすると、「わかりました。従来の受取日に荷物が届いたら、手続きを始めましょう」と言われているのと同じことである。(詳しい内容は過去記事『【続続】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』)   そして、3月21日。Austudy再審査はついに行われた。     【ついに決着】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請を拒否されたら   そして、3月21日。Austudy再審査はついに行われた。   結果は、オーストラリア政府のCentrelinkが落ち度を認め、2017年11月から2018年3月までの支給額を支払うことで決着となった。     ほとんどの人は、オーストラリア政府の決断に不服を申し立てない。ぼくは税金という義務を果たしている以上、政府補助金という権利を放棄しなかった。そして、なによりも、ぼくは初めから、オーストラリア政府の不実な決断ととことん戦うことを決めていた。   おそらくどこの国でも同じなのだろうが、政府機関の人間というのは、ひとりの学生が補助金を受け取れずに医学部を中退したとしても、それによって良心を痛めるようなことはない。所詮は、ごまんといる補助金申請者のなかの「アンラッキーなひとり」でしかないのだ。   彼らが認識しなければならないことは、彼らのずさんな審査と決断がその「アンラッキーなひとり」の人生を台無しにしているということである。しかし、そんなことは彼らの頭には全く思い浮かばない。   だから、ぼくは戦ったのだ。国はあなたのために戦う、という妄想はぼくにはなかった。ぼくにあったのは、政府の人間も所詮は人、9割は自己の利益のみを考えながら生きている。自分の許容範囲を超えて、ほかの人のために時間と労力を使う人物はなかなかいない。だから、政府とのやり取りにおいて憶えておかないといけないことは、自分の権利を守るべき存在は自分自身、ということだ。それが、社会・歴史の勉強、そして実体験をを通じて学んだことである。    

【衝撃】ひろがオーストラリアで家探ししていると、詐欺師に出会った!

  過去の記事『オーストラリアで家を探すために知っておきたい3つの方法』で、ぼくもオーストラリアのパースで家を探していることを報告した。   今回の記事は、オーストラリアで、住む場所を探している人を騙してお金を巻き上げる詐欺師に出会ったことを書こうと思う。ぼくがその詐欺師に出会ったのは、Gumtreeを通じてだ。   2018年は医学部の最終学年ということで、複数の病院に研修することになる。病院は色々な場所に散在しているため、ぼくは中心地のシティに住む場所を探していた。   Gumtreeにはシティの物件が随時更新されているのだが、そのなかでEast Perthにある物件が掲載されていた。シェアアパートの物件だったのだが、その情報の中に You can make some moneyという普通のシェア情報ではお目にしない文章が書かれていた。   お金のない学生のぼくには、シティに住めてお金も稼げるならと思い、この物件を掲載していた人に物件を見たいこと、そしてお金を稼ぐことについて聞いてみたいとメールを送った。   ↓↓続き↓↓     次の日、Hanと名前の人物が返信を送ってきた。そのメールには、物件を見せるから明日シティに来れるか、という内容だった。お金の稼ぎ方は直接会って話すと書かれていた。   後日、ぼくは指定された時間と場所に行った。少し遅れて、半そで短パン姿のアジア人男性が待ち合わせ場所に来た。身長は175センチぐらい、年齢は30代後半ぐらいだろう。左腕には、マオリ族の人がしているようなタトゥーが入っていた。   ぼくはてっきりHanがその家に住んでいて、ビルの入り口から出てくるのかと思っていたが、そうではなかった。彼は別のところに住んでいて、ぼくに紹介したアパートは彼の名義になっているだけだという。ただ、彼は仕事の都合でニューサウスウェールズに引っ越ししないといけないから、賃貸契約を打ち切るのだという。   普段はのんびりしているぼくの頭は、ここでピーンときた。こいつ、アパートを他の人に高い家賃で又貸ししてピンハネしてやがんな、と。   話を聞いてみるとやはりそうだった。彼は3DKのアパートを彼の名前で借り、それぞれの部屋を高い家賃を取って又貸ししていた。からくりの内訳はこうだ。   家賃:週550ドル(賃貸契約上の家賃) 又貸し家賃:週750ドル(250ドルx3) Hanの収入:週200ドル($750-$550=$200)   一見、住宅紹介人として手数料を取っているようにみえるが、Hanが行っている行為は犯罪に当たる。というのも、アパートの賃貸契約は基本的に又貸しを禁じており、また部屋の適正価格を釣り上げて居住者から不当に利益を上げているからだ。   ↓↓続き↓↓     Hanは韓国の男性で、オーストラリアに移住することを夢見ていると言っていた。ぼくもオーストラリア移住に苦労したのでその気持ちがわかるが、犯罪者をオーストラリアに入れたくはない。   次の日、ぼくは彼の犯罪行為を止めさせるためにHanにこんなメールを送った。   I am going to decline the offer to take over the lease, as there are enormous moral and...

高校中退者がオーストラリアで医学生になる

  3度目の正直   ぼくは オーストラリアの医学部に3回合格した 希有の日本人である。   おそらく、 オーストラリア人でも 3回合格した人は あまりいないのではないかと推測する。   日本で働きながら、 オーストラリアの医学部に3度受験したのだが、 永住権が無かったので 入学を辞退せざるを得なかった。   それでも、 2012年に晴れて永住権も取得し、   1年の準備期間中に (医学部が再編成のため)   エアーズロックでツアーガイドの仕事をして、 長年追いかけてきた医学部に無事入学。   これからどんな人生が始まるのか 見当もつきませんが、 My best moment is yet to come. という期待を持って生きていこうと思います。   また、 自分の歩んでいる人生が 他の人のためになればと思い、 ブログもできるだけ 定期的に更新していきたいと思います。   これからも、 末永くよろしくお願いいたします。   ごとうひろみち   出典:www.cumberlandpediatric.org/    

【続続】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請を拒否されたら

  これまで2回の記事(1回目、2回目)にわたり、オーストラリア政府の学生補助金 Austudy の認可が遅れに遅れていることを書いてきた。   これまで、2度の Appeal を行うだけでなく、Centrelinkの対応に対する苦情も出してPriority Groupに入れてもらったのでもう大丈夫だろう、と思っていた。   しかし、Centrelinkからの連絡がない。1か月以上もない。医学部はとうに開始されていて、ぼくは学生補助金が全く無い状態で、毎日着実に減っていく銀行口座の残高に怯えながら生活を続けている。   幸い、こんな状況のぼくを哀れに思ったホストファミリーが、 (1)ぼくがお金を借りることを大嫌いであること (2)これまでに借りたお金は尋常ではないスピードで返してきたこと (3)遅かれ早かれ Centrelink の補助金が認可されること を理由に、お金を貸してくれている。   それでも、ホストファミリーにお金をいち早く返済しようと思っているぼくは、再度 Centrelink に電話をして、Appealがどうなっているのかを尋ねた。   すると、とんでもない返事が戻ってきた。   とんでもない返事とは・・・   認可された Austudy の Appeal審査は、 そのAustudyの支払日が来てから、だという。   はい?   支払日が遅れている自体ことが、ぼくの Appeal の理由なのに?なぜ待たなければいけないのか?   昨年12月に届くはずの荷物が3月になっても届かないから、早く届けてくれとお願いしているのに、3月に届いてから Appeal対応をするという・・・   なぜだ?ぼくには Centrelink のロジックが理解できない。というか、イロジカルとしか表現できない。   中身があまり詰まっていないぼくの頭は混乱した。   近所の子供たちが一斉にぼくの耳から入ってきて、覚えたてのピアノや弦楽器をガンガン練習しているかのような気分だ。   ぼくは怒りと落胆という泥の中に飲み込まれている。   どうすればいいのか?   どうなるのか?   ぼくにできることはあるのだろうか?   ああ、医学部の勉強もたくさんあるし。      
ごとうひろみち
ごとうひろみち
『高校中退⇒豪州で医者』をいつも読んでいただき誠にありがとうございます。著者・ごとうひろみちに興味を持ってくれたあなたのために、詳しい自己紹介を←ここでしていますので、どうぞご覧ください。

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ぼくは高校英語が理解できなかった。そんなぼくがどうやってオーストラリアで医者になれたのか?この物語を読めば、あなたにも英語で夢を叶えるヒントが見つかるかも。

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日本人が海外医学部で一番苦労する(だろう)こと

  最近、ぼくはブログの中で、異能vationに応募したことや、英語コンサルを行っていること、ビジネスを学んでいることを、心赴くままに綴ってきた。この3つのことはすべて、ぼくが持っている「日本人の英語を変える、ノンネイティブの英語を変える」という英語ドリームを叶えるためである。この夢を叶えるには時間と労力がかかることは理解しているし、一朝一夕に実現できることではない。だからこそ、ぼくは医学部を1年間休学することを選択したのだ。   それでも、時間は、ぼくの人生から無表情に削り取られてゆく。   これまでのように、英語ドリームに時間と労力をかけることはできなくなっている。というのも、ぼくにはもうひとつの夢があるからだ。それはオーストラリアで温かい医者になるという夢だ。2018年には、西オーストラリア大学の医学部に戻り、医学の勉強を再開しなければならない。それも、医学部の最終学年であり、これまでの知識とスキルをしっかりと身に付けて、最終試験をパスしなければならない。   医学の知識とスキルは、使い続けていなければ、一気に頭の中から消えていってしまう。そのスピードたるや、頭の中の消しゴムどころの話ではない。誰かが巨大な業務用掃除機で、ぼくの頭の中にある知識とスキルを、けたたましい轟音とともに吸い取っていくレベルである。   https://www.youtube.com/watch?v=HOhgP4fEx6s   ↓次のページに続く     あなたも学校でこんな経験をしたことが無いだろうか?あなたは学校の試験のためにたくさん勉強する。それでも、試験が終わり会場を後にした瞬間、詰め込んだ知識がふわぁ~と頭から抜けて、もう一回試験を受けたとしてもパスする自信がない、みたいな経験が。ぼくは毎回の試験で経験します。   試験が終わってから数分~数時間しか経っていないのに、詰め込んだ知識が指先からこぼれていく感じがするのに、これが1年間だとどうなるのか?   はい、正直に言います。ヤバいです。留年確実です。何もしなければ。   https://www.youtube.com/watch?v=ZrSH_TsRsec   ということで、ぼくは日本での残された時間を少しずつ、医学の勉強に使い始めようと思っています。それもかなり効果的な戦略を練らないと、1年休学した後遺症のせいで留年が決定してしまうので、日本でできることから始めようと思います。しかも、自分の苦手分野と対峙することにします。   ぼくは医学部で筆記試験を落としたことはない。もちろん、たくさん勉強して四苦八苦するのは事実だが、筆記試験が苦手だと思ったことはない。筆記試験は、医学部が用意しているガイドラインの意図を読み取ることができれば、落とすことはない。高得点は取れないかもしれないが、落とすことはない。と思う。多分。恐らく。     しかし、ぼくには、逃げ出したくなるほど苦手なものがある。それは、医療現場におけるコミュニケーション技能である。コミュニケーション能力は、問診(History-taking)、身体検査(Physical examination)、医療検査(Investigation)、医学的管理(Management)、医療チームへの報告(Presentation)、などにおいて文字通り患者の生死にかかわる重要なスキルである。コミュニケーション能力が低いせいで医療ミスが起こることを、医学生は頭に叩き込まれる(参考文献)。   特に患者さんとのコミュニケーションが大事なことは、尊敬するオリバー・サックス氏だけでなく、医療器具に頼りすぎる若い医師たちを危惧する先輩方の医師が口をそろえて言うことである。   https://www.youtube.com/watch?v=8LZJz7GtJA0 動画でよく出てくるLVADは、Left Ventricular Assist Deviceの略(参照資料)   実は、このコミュニケーション能力が、ぼくが最も苦手とするものである。内向的な性格もひとつの要因ではあるが、苦手意識を作り出している一番の要因が「英語の壁」だと思う。英語ネイティブではない事に対する負い目みたいなものである。しかし、この負い目は、ぼくが頭の中で作り上げている「心理的虚構」にすぎないことにぼくはうすうす気づいている。できなくてもしょうがないという言い訳を作っているようなものではないかと。   もちろん、ネイティブの同級生に比べれば、ぼくは彼らの英語の表現の幅や奥ゆかしさには到底敵わない。しかし、医学において大事なのは、患者さんとコミュニケーションを取ることであって、英語の表現の幅や奥ゆかしさを競い合うものではない。とぼくは自分に言い聞かせることにした。←これが日本でできる一番目のこと。     次に、ぼくは医療現場における英語表現に慣れていないという事実。同じ英語であっても、働く現場によって使われる表現が微妙に変わることは当たり前で、とくにプライバシーや尊厳が重要視される医療現場の英語は、パブや家で話されているものとは違うものだ。この微妙に違う言葉遣いにぼくが慣れていないのだ。だから、医療現場に立つと医者や医療スタッフが何を言っているのか分からないし、何を言えばいいのか分からないのだ。   医療現場の英語表現に慣れるために、日本にいるぼくができることは何か?   いきなり近所の大学病院に押しかけて外国の患者さんに対して英語でコミュニケーションをしてみるというのはどうだろうか?否。ぼくはオーストラリアの医学生であって、日本の医学生ではない。そんなことをしていたら、書類送検でとっ捕まってしまう。   https://www.youtube.com/watch?v=2ue_wRn-Ke8   現場で学ぶことが一番だが、それが無理なら書籍から学ぶしかない。と考えたぼくは、近所のジュンク堂や丸善、紀伊国屋を周り、自分のためになりそうな本を探し回った。     そのなかでも、置かれていた医療英語の書籍をすべて立読みし、そのなかでも自分の学習のためになりそうな9つの書籍を購入した。まだ書籍を読み終わったわけではないので内容には触れないが、それぞれ違った角度から「医療現場で使われる英語」を紹介している。   やさしい英語で外来診療〜聞きもらしのない問診のコツ   CDで学ぶ 外国人患者が来ても困らない 外来診療のための英会話   医師のための診療英会話   医師のための身体診察と検査の英語   医師のための医療面接の英語   CDで学ぶ医師のためのオールラウンド英会話   CD付き 正しく診断するための...

異能vation、の伊藤穰一さんが面白い

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オーストラリアの医学部に進もうかと考えている日本の女子高生からの悩みに、ごとうひろみちが答えてみた

  ぼくのブログには、オーストラリアで医者になりたいというコメントがたくさん寄せられます。そのほとんどは、具体的なプランが無いなど、どうやって返信をしていいのか分からないものが多いです。 そんな中、オーストラリアの医学部に行くことを真剣に考えている日本の女子高生からお便りをいただきました。丁度、深夜勤務明けのお休みの日にお便りをいただいたこともあり、ぼくも真剣にコメントを返してみました。 以下、高校生からの文章を太字にして、パラグラフごとにぼくなりの返事をしています。   こんにちは、初めまして。 ⇒初めまして。   今回は大学進学について悩んでいたところ、このサイトと出会い、ぜひ助言をいただきたくこの文面を書いています。拙い文章力で申し訳ありませんが、しばらくお付き合いください。 ⇒この時点ですでに文章力の高さを感じます。   私は広島在住の18歳で、将来の夢は小さな頃から医師になること、「人の命を救うこと」でした。昨年高校を卒業し、高校では日本の文部科学省規定の学習ではなくIBディプロマを取得しました。英語でBiologyやChemistryなど、様々な科目を学習してきた私でしたが、自分の英語に日本人の中では話せる方であったとしても、nativeと戦っていけるほどの自信はなかったので、そのまま日本の大学(subject requirementの関係で一校のみ)を受験しました。しかしscoreがrequirementに及ばず不合格に。医師の道を諦めるという選択肢はなかったので、IB生では異例の浪人を決意し、IBの最終試験の再受験のための勉強(自宅にて)とセンター試験のための勉強を一から(予備校にて)並行して行い、無事IB scoreはrequirementを越え、今年はセンター試験の点数も持っていたため、昨年受験した大学を含め三校受験しました。一週間ほど前に開示された結果は全校不合格でした。 ⇒IBディプロマというものがあるんですね。知りませんでした。まずは、IBディプロマ修了おめでとうございます。大学受験は残念でしたが、前に進んでいる(行動している)ので全く問題ありません。今は胸が痛いかもしれませんが、数年後にはこの経験があったからこそ「自分」のアイデンティティが確立されたと思えるようになります。   合否発表前より、全て不合格だった場合にはどうするかを考えており、以下の2つが家族の中でも濃厚な線でした: 1. ハンガリー医科大学時事務局を通じてハンガリー国立大学医学部を受験し、進学。卒業後は日本の医師国家試験を受験(卒業と同時に受験資格は得られる)し日本で医師として働く。 ⇒ハンガリー医科大学事情は詳しく知らないのですが、確か留学生の留年率が50%だったような気がします。つまり、毎年、半分の同級生が留年するというとても大変な道のりです。このことを考えると、日本で浪人をして日本の医学部に行くほうが時間的・金銭的にベターかも、という可能性も見えてきます。 追記:留年率は66%でした。過去記事を参照。   2. オーストラリアの大学に進学し(昨年の段階で合格はもらっていたため)、学士をとった上で帰国、日本の国立大学医学部へ学士編入し、日本で医師として働く。元来私は日本で医師になることを目標にしていたので、このどちらかを考えていました。しかし、高校の先輩で今オーストラリア・ブリスベンで看護師として働く方と話す機会があり、とても生き生きと自分の夢に向かって走っている彼女の話を聞くと、この先輩のようになりたい、オーストラリアに進学したいという気持ちが強くなりました。 ⇒オーストラリアの大学合格おめでとうございます。パチパチ!素晴らしいです。オーストラリアで学士を取った後、日本の医学部に編入する選択肢も現実的です。おそらくですが、オーストラリアで学士を取ると、そのままオーストラリアの医学部(大学院コース)に進みたくなるかもしれません。これも、選択肢の中に入れておいてください。   両親も私が医師になる夢はずっと応援してくれているので、日本での進学の道がほとんど閉ざされてしまった今、オーストラリアへの進学を前向きに考えてくれています。 ⇒両親が応援してくれるのは、すごくプラスです。ぼくは、誰からも応援されることなく医学部受験をしたので、両親が応援してくれたら、もっと高い点数を取ることができたかもしれません。   ただ、master courseの学費の高さや、(学費を安くするための)永住権取得の難しさ、そしてオーストラリアで日本人が医師になることの現実性など、本格的に考えれば考えるほど、実際に医師として働けるなど夢のまた夢のように思えてしまっています。 ⇒学費の高さは、とても重要なポイントです。最近では、クラウドファンディングなどで学費を捻出する強者もいるようですが、ほとんどの人は高い学費が払うことができずに医学部に行くことを断念します。ぼくもその例にもれず、医学部を3度受験し3回合格したにもかかわらず、永住権が無かったために2回入学を辞退しています。ここをどうクリアするかは、経済事情によりますので、ご両親とよく議論されることをお勧めします。オーストラリアで日本人が医師になることの夢のまた夢と表現されていますが、オーストラリアで働く日本人医師はちらほらいます。例が少ないために、「無理なんだ」と思い込んでいるだけだと思いますよ。前例が無ければ自分が最初の例になればいいだけのことです。   一番の夢が「人の命を救うこと」である以上、医師になれる確率が高い道、という考えで進学先を決めるとすると、上記のようにハンガリー -> 日本、もしくは学士編入が良いのでは、という考えが両親の中では強いようです(医師として働けるようになるまでの年月も踏まえて)。 ⇒日本で医師になることを前提にハンガリーへ留学する人が多いことは認知しています。詳しいことは知らないのですが、ハンガリーの医学部には日本の医師国家試験の勉強もしている医学生が周りにいるらしいです。この点において、オーストラリアよりもハンガリーのほうが有利かもしれません。というのも、オーストラリアの医学部には日本人の医学生はゼロですし(いるのかなぁ?)、周りに日本の医師国家試験の勉強する人はいません。アメリカのUSMLEを受験する人は少ないですが存在します。   私の一番の希望は、オーストラリアでbachelorをとり、その後永住権をとった上でmasterに進む、という道ですが、masterへの進学が叶いそうにない(永住権を取れそうにない)場合は、bachelorだけでもオーストラリアで取得し、そこからハンガリー/日本の医学部へ進学/編入したいと考えています。*bachelorに関してはメルボルン大学またはUQのbachelor of...

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