Dream Theater、の過去のアルバムを振り返る(その7)

 

Dream Theaterの記事を書いたら、無性に彼らの音楽を聴きたくなった。

 

ということで、Dream Theaterのアルバムをひとつずつ振り返ることにした。

 

Dream Theaterの音楽を語れるほど彼らを研究しているわけではないので、アルバムが出た頃のぼくの思い出を書いてみようと思う。

 

Dream Theaterの7thアルバムは、『Train of Thought』だ。

 

 

 

アルバムが出たのは2003年11月。ぼくは24歳。オーストラリアの大学で卒論を書いている

 

金魚を使った神経再生の研究。卒論が書き終わる間際にハーバード大学から発表された似たような研究。食い違うデータを論理的に口頭発表し最優秀賞をもらったプレゼン。

 

芝生の上でゴロゴロすることからも卒業しなければいけなかった。芝生との別れが一番辛かった。そのせいでぼくの心はVacantに。

 

 

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【豪州医学部受験お悩み相談】海外で医者になりたい高校生1年生

  以下、読者さんからの了解のもと、質問とその答えを記事にしています。   <読者さんからのお便り>   ごとうひろみち 「こんにちは。ひろです。」   Aさん 「初めまして 高校一年のAと申します。 私はオーストラリアで医師になりたいと考えています。一番はオーストラリアの医学部に進学することですが、オーストラリアの医学部に高校卒業後に入るのは費用の面や学力的な面で現実的ではないと思っています。 なので、自分自身で出来る限り調べて2つのルートを考え出したのでどちらがオーストラリアで医師になるために最適なルートかアドバイスを頂ければと思いメールをさせて頂きました。 1つ目はハンガリーなどの東欧の医学部に進学し卒業後オーストラリアに臨床留学をするかスポンサーを探すということです。ですが、経験がないためビザなどの面でうまくいくかが疑問な点です。 2つ目はオーストラリアの大学の看護学科に進学し卒業後数年働き永住権を得て医学部に進学するという点です。 よろしくお願い致します。」   ごとうひろみち 「ご質問ありがとうございます。高校1年生の時点ですでに医者になろうと思っているんですね。すごいです。感心してしまいます。与えられた情報が少ないので適切な答えができるかわかりませんが、「Aさんが日本で生活している日本人の高校生」という仮定をもとに、ぼくなりの答えを書いていきます。Aさんの人生のに一助になれば幸いです。」   ごとうひろみちの答え   オーストラリアの医学部に通う留学生は、毎年300~400万円の授業料に加え、100~200万円ぐらいの生活費を支払います。つまり、安くても400万円、高ければ600万円という大金を毎年払わなければなりません。もし、高校卒業すぐに医学部へ入学するのであれば、6年間大学に通うことになり、合計で2400万~3600万円の経費が掛かります。ご両親が経済的に安定し裕福であれば問題はないのかもしれませんが、そのような幸運に恵まれている子供の数は多くありません。(アメリカであれば、医学部無料というところもありますが。) 志の高いAさんは、この点をすでに自分で調べて、自分にほかのルートが無いものかと模索をされているのだと想像します。そして、(1)東欧の医学部に進む選択肢、そして(2)オーストラリアへ永住した後に医学部に進む選択肢、にたどり着いたのだと思います。   東欧の医学部に進む   まずは、ぼくの結論から始めます。ぼくはこの選択肢をお勧めしません(注意:否定ではありませんよ)。   その理由は、3つあります。   1つ目は、医学部で学ぶ内容は、国によって大きく異なるという事実。 簡単な例を出すと、アメリカの医学部に行けば、Lyme diseaseのことをしっかりと勉強すると思いますが、オーストラリアの医学部ではあまり時間を割きません。同じように、オーストラリアの医学部では Rheumatic heart diseaseの勉強をしっかりしますが、アメリカの医学部ではあまり時間を割かないと思います。 なんでこんなことが起きるのかというと、国や環境によって病気の疾患率が変わってくるからです。アメリカではLyme diseaseは比較的よく見られる病気ですが、オーストラリアではあまり出会う症例ではありません。また、アメリカではあまり目にしないRheumatic heart diseaseですが、オーストラリアでは比較的出くわす病気です。 オーストラリアとアメリカを例に出しましたが、東欧の医学部でも東欧でよく目にする病気を重点的に勉強するはずです。そのため、オーストラリアで医者になることを考えているのであれば、オーストラリアの医学部で学ぶことが時間的なロスを少なくしてくれるような気がします(オーストラリアは移民が多い国なので広い視野を持ったほうがいいと考えることもできますが)   2つ目は、医療行為の内容は、国によって大きく異なるという事実という事実。 医療は様々な要因が絡み合った事業です。病院やクリニックの医療ガイドラインといった小さな単位から、国が定める医療に関する法律まで、様々なレベルで医療行為の制限が課されています。また、医療に対する患者さんたちの考え方や知識なども、医療行為の在り方に大きな影響を与えます。 例えば、パースには複数の病院がありますが、同じ病気なのにどう治療するかのガイドラインが微妙に違うことがあります。これが、他州の病院になると、さらに変わってきます。そして、国レベルになると、もっと大きな違いが出てくることが容易に想像できると思います。つまり、東欧で医学を修めて、意気揚々とオーストラリアで医者になろうとしても、東欧で学んだ医療知識がオーストラリアでは使えないケースがあるわけです。 ただ、オーストラリアの医療システムを改善するには、他国の医療従事者の知識と経験が不可欠というのも事実ではあります。Aさんがこのようなビジョンを持っているのであれば、他国で医学を修めて、その知識をオーストラリアの医療システムの改善のために尽力してもらうことは、大変喜ばしいことではあります。   3つ目は、医学部はその国や地域に貢献する医者を育てたい、という事実。 これは、投資家のマインドを持っていないと理解できない観点です。ヨーロッパの医学部が比較的安いのは、国が多額の補助金を投資し、優秀な医者を育てて、将来的にその国の医療に貢献してもらいたいと願っているからです。それゆえ、多額なお金を投資した医学生がほかの国に流出することは、その国にとって大きな損失を意味します。 わたしの国の医療に貢献してくださいね、という政府の願いを理解し多額の投資を受け入れる。でも、医学部の教育が終わったら即さようなら~では、倫理的な配慮にかけるのではないかと考えてしまいます。法律違反でなければ何をやってもいいという心貧しい人がいますが、Aさんには広い視野を持った医者になってほしいと願っています。   オーストラリアで医者になるなら東欧の医学部はお勧めしないと言いましたが、それでも世界中からたくさんの人が医学を学びに来る環境はとても刺激的なものだと思います。   ハンガリー医学部、留年せずに卒業できる学生の割合は33%(つまり66%の学生は留年する)! https://www.youtube.com/watch?v=1VgmS4KQUIo   ハンガリーで医学を学ぶ人たち https://www.youtube.com/watch?v=XlH1A_JdxvM   オーストラリアの永住権を取ってから医学部に進む   ぼくは、こちらの選択肢をお勧めします。   オーストラリアの医療システムを理解している看護師さんは、オーストラリアでとても優秀なお医者さんになれるような気がします。(データはありませんが、優秀なお医者の中に過去に看護師をしていたという方が多いと思います) ただ、現実的な問題も存在します。留学生が支払わなければならない看護科の授業料も高いです。年間250万~300万円の授業料がかかります(情報元>>オーストラリア留学センター)。医学部(年間300~400万円)に比べれば幾分安いのかもしれませんが、それでも多額な教育費です。 看護科を卒業しオーストラリアの永住権を取ったとしても、その後、現地の医学部に通うには、約100万円の学費と100万~200万円の生活費が毎年かかります。オーストラリア政府から経済的な援助を受けられることも確かですが、ある程度の経済的な余裕が無ければ、大変な道のりになると思います。   ぼくの場合は、日本で仕事をしながら、永住権を取得し、豪州医学部に合格しました。リーマンショックなどの影響で、永住権取得までに医学部に3回合格するという無駄な時間を使ってしまいましたが、医学部に必要なお金を貯めることが出来たので、それはそれで良しとしています。   ごとうひろみち著『豪州医学部受験必勝法』 https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01MTC3YKZ/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B01MTC3YKZ&linkCode=as2&tag=hiromyhero-22&linkId=ea9c0de3da2bfb477ba7323f6953cb25   ひろの最後の一言   今回の悩み相談は、あなたのお役に立てましたでしょうか?もしそうであれば、他の悩める受験生たちのためにもこのブログの存在を教えてあげてください。 もしオーストラリアの医学部受験を考えるのであれば、ぼくが展開している「日本人の英語をネイティブにする」コミュニティ iTELLian Academy で過去の質問を紹介していますので、参考にしてみてください。無料登録すれば質問もできますよ。 それでは、オーストラリアで医者になったAさんに出会える日を心待ちにしています。    
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オーストラリア(パース)のクリスマス・パレードに行ってきた

  オーストラリアは、いま夏真っ盛り。 オーストラリアの夏と言えば、クリスマス!   https://www.youtube.com/watch?v=R8mEAWQimdE   一般公開されて間もないエリザベスキーをゆったりと散歩した後、   https://www.youtube.com/watch?v=58vD7dWKKSA   パースの市内で行われたパレードに参加してきました。   https://youtu.be/16RR6OsYs_8   皆様のクリスマスが幸せなものでありますように。   Merry X’mas and Happy New Year!  

オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら

  ぼくは2014年からオーストラリアの医学部に通っている。   医学部に通っている間は収入がないので、家賃や生活費をオーストラリア政府の学生補助金Austudyから支払っている。補助金の詳しい内容は、政府のページもしくは拙著『豪州永住権の手引き』をどうぞ(←書籍は無料プレゼント中)。   医学部に通いながらアルバイトする学生もいるが、そのほとんどは生活費を稼ぎだすというよりも、勉強漬けの毎日から精神的に解放されるために、週1、2回パートタイムで働いている感じである。   ぼくも英語コンサルをしたり、翻訳の仕事をこなしてはいるが、Austudyが無ければ生活と学業を両立させることは不可能である。   ぼくは2017年、医学部を休学し日本に帰国した。その間はAustudyの受給を一時的にストップしなければいけなかった(Centrelinkのオフィスに行って、一時停止してくださいと言えばできる)。   在学していないのにAustudyを不正受給すると、政府から訴えられるだけでなく、そのほかの福祉補助金を受けられなくなる可能性があるので厳重注意。   休学期間が過ぎ、ぼくが日本からオーストラリアに戻ってきたのは、2017年の11月である。11月に帰国したのは、12月からのElective Placementの準備をする必要があったからだ。     Austudyの一時停止を解除し、受給を再開するには、Austudyを再度新規申請しなければならない。ぼくはオンライン申請ではなく、わざわざVictorial ParkにあるCentrelinkオフィスに出向いてAustudyを再度申請した。   オンライン申請ではなくオフィスでの申請を選択したのには理由がある。それは、Elective Placementのせいで、ぼくの医学部の勉強が12月から始まる(普通は2月)という変なものだったので、そのことをキチンと説明するためにオフィスに出向いだのだ。   Centrelinkの担当者に、Elective Placementが12月から始まり、これは医学部卒業に必須なフルタイムの科目だということを口頭で説明し、念を押すためにこのことを文書で説明している医学部からの手紙のコピーも提出した。   これだけすれば大丈夫だろう。   ぼくはそう思っていた。   2日後、Centrelinkの自分のページにAustudyに申請していることが表示され、12月9日に申請の結果が出ることが書かれていた。   Elective Placementは12月4日からなんだけどなぁ、と思いながらも、受給が認められれば申請日まで遡って給付金が与えられるので、まぁいいかと思うことにした。     12月9日の申請結果は、Your application is not acceptedだった。数日後送られてきたレターには、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という内容が書かれていた。   恐れていたことが、起こってしまった。   ぼくの医学部はElective Placementがあるために2017年12月から始まるのに、Austudyの審査官が医学部の最終学年のスケジュールだけ見て、2018年2月まで13週間以上あるから申請を拒否してしまったのだ!   おそらくだが、ぼくがCentrelinkで懇切丁寧に説明した2017年12月から始まるElective Placementのことと、医学部からの手紙のコピーには目を通していないはずだ。目を通していれば、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という拒否理由を言えるわけがない!   収入がない上に、Elective PlacementのSir Charles Gairdner Hospitalに毎日通うためにお金がだんだん無くなっていくぼくは、Austudyの拒否理由を見て一瞬怒りを覚え、焦燥した。   ただ、怒っても焦ってもしょうがないので、ぼくはすぐにCentrelinkのオフィスに出向き、Austudyの拒否理由が不当であることを伝え、結果を再審査するようにAppealを行った。     Centrelinkの担当者には、口酸っぱくElective Placementのことを伝え、Austudyの審査官が医学部からの手紙をキチンと読むように指示するように伝えた。   Centrelinkの担当者からは、Appealの審査はクリスマス前後になるだろうと言った。そして、担当者はAppealの結果がダメだった時のために、もう一度Austudyに新規申請したほうがいいと言われた。   分かった、ここで新規申請する、とぼくは伝えたのだが、オフィスはもう閉まってしまうので、自分でオンライン申請してくれと言われた。What the…   クリスマス前に連絡が来ればいいなと思っていたが、ぼくの期待が満たされることはなかった。   クリスマスは、ホストファミリーにプレゼントを買いたかったのだが、本当にお金がなかったので、2018年5~6月にパースで行われるMamma Mia! の舞台へのチケットを後日贈ることにした。     クリスマスは過ぎ、ボクシングデー、ニューイヤーズ・イブ、そして年は2018年を迎えた。Appealの結果の連絡はなかった。   ぼくはCentrelinkのオフィスに行き、どうなっているんだと怒鳴り込んだ(もちろん平身低頭で)。   オフィスの入り口カウンターのおばさんが、パースのオフィスではAustudyの審査を行っていないから、CentrelinkのYouth and Studentに電話してみなさいとアドバイスしてくれた。番号は、132 490だ。   ぼくは昼食の予定があったホストファミリーの家に行き、すぐに電話した。   Centrelinkの自動電話対応の音声が流れた。ご用件は何ですかと聞くので、Appealとぼくがぶっきらぼうに言うと、わかりましたAppealですね?と音声ガイダンスは言った(すげー、AIの技術はこれから仕事をどんどん減らすなぁ)。ぼくがYesと答えると、そのまま担当者につないでくれるとのことだった。   それから約1時間の間、クラシックの音楽が流れた。いつになれば担当者と喋れるのか分からないぼくは、ホストファミリーの庭に水をやりながら時間をつぶした。   そして、電話をしたことすら忘れていたころに、Hello, may...

Dream Theater in 広島、からのハンガリー女性との出会い

  ドリームシアターが25年前に発表した、名盤中の名盤『Images and Words』を完全再現するツアーをおこなった。(ライブで演奏された曲リストは後で紹介) ライブは、日本でももちろん行われ、 東京(日本武道館、東京国際フォーラム) 名古屋(豊田市民文化会館) 大阪(大阪国際会議場) 広島(広島文化学園HBGホール) で行われた。 https://www.youtube.com/watch?v=condDYqAgZI 追加公演が東京で行われるにもかかわらず、ぼくの地元・福岡にドリームシアターが来ないことに対し腹を立てながらも(⇒記事『Dream Theater、何で福岡に来んとか?』)、こんな機会にはもう2度と巡り合うことは無いと、ぼくはすごすごと広島へと足を運んだ。 当初は、青春18きっぷで福岡から広島に行こうと思っていたのだが、異能vationの結果発表や英語コンサルなどが重なり、自由にできる時間があまりなく、現地広島に足を踏み入れたのは、ライブ当日(9月10日)の13時ごろだった。使った移動手段は、広福ライナーだ。所要時間は約4時間30分ぐらいだった。 ライブの開場が16時だったため、ぼくは原爆ドームに行き、そして日差しを浴びながら元安川のほとりを南へと歩いた。スナック喫茶ドバイ―でドバイ焼きを食べるためだ。 コーヒー喫茶ドバイ―のドアは開いたままになっており、ぼくがお店に入ると、70代の男性と、同じく70代の女性が椅子に座って話をされていた。ぼくがお店に入ったことに気づくと、女性(以下、お母さん)はキッチンへ、そして男性(以下、お父さん)はお水をコップに注ぐ用意をした。 ぼくは、「こんにちは」と挨拶をし、店の真ん中のテーブルに腰を掛け、テーブルの上のメニューを眺めながら、何を食べるかを少し考えた。 店の中にはお客さんはおらず、テレビの画面には、小熊と母熊の生存する姿を映したネイチャー番組が流れていた。お父さんが、お水をぼくの前に置いた。 ドバイーには、80種類近いメニューがある。中には、どんなメニューか分からない「花子さん」 や「太郎くん」などがある。お父さんによると、このメニューの多さは、お父さんとお母さんだけでなく、子供さんたちと一緒に考えて作り上げたものだという。 ぼくはお腹が空いていたので、戦前の広島お好み焼きを再現している「ドバイ焼き」にアツアツのチーズとハンバーグが乗っている「ドバイ焼きヤング風」を注文した。 お母さんがキッチンでドバイ焼きを作っている間、ぼくはお父さんにお店の名前「ドバイー」の由来を尋ねた。 お父さんは、コーヒー喫茶「ドバイ―」が創業された前の年に、「ドバイ日航機ハイジャック事件」があり、そのインパクトが大きかったことがひとつの理由だという。そして、ドバイには、砂漠が多いにもかかわらず人が集まるオアシスのイメージもあるということで、「ドバイ―」にしたという。 https://www.youtube.com/watch?v=SU_rLp6nho0 喫茶店のオーナであるお母さんは創業から43年間(!)、お母さんの母から教えられた「古き良き広島風お好み焼き」をぼくらに焼き続けている。喫茶店ドバイ―は、43年間変わらない、食欲をそそる香りを外に運びながら、広島市民を虜にし続けている。 お父さん(皿洗いの役目らしい)とは、たくさんのお話をさせていただき、野球球団広島の樽(たる)募金の話、戦後にマツダのオート三輪が活躍した話、針の生産は広島が全体の90%以上を占める話、という一般的な話だけでなく、お父さんとお母さんのなれ初め、お父さん自身も原爆の被爆者であること、そして、原爆で手と腕の皮膚がただれ落ちて亡くなったお兄ちゃんの話など、プライベートな話もしていただいた。 https://www.youtube.com/watch?v=8Fl_Pj9Bt20 お父さんは、核兵器禁止条約に批准しない日本政府の方針を広島は受け入れられないということも強く語っていた。この話は、感情的なものではなく、政治的・経済的な要因を冷静に考慮してもなお受け入れられないという「静かなる拒絶」であった。 はたして、「ドバイ―焼きヤング風」はどんなものなのか。 百聞は一見にしかず。 まず、あまりのボリュームに「やばい、食べきれんかもしれん」と思った。ぼくは、1日の中でまともな食事を食べるのは1回しかない(朝と夜は、果物をたくさん入れたシリアルとかで済ますことが多い)。 ドバイ焼きの量は、ぼくが一日で食べる総重量を軽く超えていた。それでも、ぼくはまずサラダを食べて胃に防御網を張り、勇敢にドバイ焼きに箸を入れた。 熱い⇒うまい⇒多い というサイクルを何度も繰り返しながら、ぼくはドバイ焼きに立ち向かった。 大食いをすると気づくが、食べている途中で「食べきれない」という感情が無くなり、無心で食べ続けられる時間が10分ぐらい訪れる。幸い、ぼくは、この10分間の間に、ドバイ焼きを完食することができた。 テレビ画面はいつしか、熊の親子のドキュメンタリーから大相撲の中継へと変わっていた。 コーヒー喫茶「ドバイ―」のお父さんとお母さんの優しい人柄に心が温まり、戦前の広島お好み焼きを再現したヤング焼きでお腹が満たされたぼくは、元安川のほとりを北上し、ドリームシアターのライブ「Images, Words and Beyond」が行われる広島文化学園HBGホールへと足を運んだ。 ドバイ焼きを食べてお腹が一杯だったが、おなかを壊すこともなく、夕方に吹く少し温かい風を感じながら、川沿いを歩いた。 広島文化学園HBGホールに着くと、ドリームシアターのTシャツを着た人が並んでいる。数は多くないが、外国の方も列に並んでいた。 これはあくまで個人的な感想なのだが、ドリームシアターのTシャツはクールじゃない。ライブ前にドリームシアターのTシャツを買って、それを着てライブに行こうと思っていたのだが、クールなものがない。 ぼくはしょうがなく、持っていたピンクフロイドのTシャツを着て、広島市民球場に応援に行く阪神ファンのようにひとり浮いた状態で、ライブ会場の入場列に並んだ。 ぼくが来ていたTシャツは、アイルランドの友人からもらったTシャツで、この柄とはすこし違うが、まぁこんな感じの奴です。会場にいた人は、分かると思います。 列が動くたびに、ドリームシアターのTシャツを着ている人たちを見て、「ああ、やっぱりダサいなぁ。CDのジャケットだとカッコいいのになんでだろう?」とひとり頭の中で考えていた。 会場に入るときに、自分のカバンの中身を見せなければいけないのだが、警備の質は最悪である。ただ、カバンを開けておけばよく、カバンが一杯であれば、中を見せる必要はないし、ほかのポケットを確認することもない。日本はまだテロ行為に免疫が付いていないのかもしれないが、もしこれが一般的な警備レベルであるとすれば、オリンピックまでに多くの犠牲者が出ることが予想される。予防に敵うものはないので、利用者に批判されようとも、ぜひとも警備の質を上げてもらいと思う。 ライブ会場の中に入ると、うすく雲がかっている。ドライアイスだと思う。特定することはできないが、メタリックな香りがドライアイスの中にすこし交じっている。 ぼくの買ったチケットは、1階17列33番で、舞台の真正面ではあるが、列としては後ろの方だった。 指定の席に行ってみると、40~50代の男性が同じ列の席に座っているのが見えた。「お独りですか?」と尋ねたが、その人がイヤホンを付けていることに気づかず、無視されたような形になり、なんだか居心地が悪かった。 そのあと、左隣に空いていた席に30~40代の女性が一人来て、「お独りですか?」と聞くと、「そうです。北海道から来ました」という答え。「えっ、東京の方が近いんじゃないですか?」と聞くと、「武道館は行ったことがあるので」という答え。すげー、強者のファンのようだ。 ぼくは、ライブが始まるまでの時間、1Fと2Fの開場をぐるーっと見て回った。コンサートホールの造りを理解できる知識があるわけではないが、なんとなくその構造を理解しようと努めてみた。 2Fの開場の外に置いてあった、腰掛のない平長椅子に腰を掛けていると、40代の男性がぼくの隣に座った。 「お独りですか?」と聞いてみると、「そうです」。「広島の方ですか?」と聞くと、「地元は熊本なんですが、いまは広島のマツダで働いています」とのこと。近い世代の男性ということもあり、音楽やライブなどの話に花が咲き、ライブ開始時間の直前まで楽しい時間を過ごすことができた。 ライブが始まる。ぼくは、胸をドキドキを感じながら、1Fの指定席へと向かい、ライブの開始を手に汗握り待った。 ライブ開始の合図がなると、なぜだかわからないがNeil DiamondのSweet Carolineが流れ始めた。そして、曲が終わると、会場は暗転した。 https://www.youtube.com/watch?v=1vhFnTjia_I そして・・・ライブが始まった。 https://www.youtube.com/playlist?list=PLf4Xi7iEROltBFJRao2pnOek6_6WlS-xx ライブで演奏された曲の一覧 <前半> 1.The Dark Eternal Night 2.The Bigger Picture 3.Hell's Kitchen 4.The Gift of Music 5.Our New World 6.Portrait of Tracy 7.As I...

【ついに決着】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請を拒否されたら

  オーストラリアの大学生(海外留学生は除く)は、Austudyと呼ばれる金銭的補助を政府から受けることが出来る。詳しい条件などはこちらをどうぞ。   ぼくは、2014年から西オーストラリア大学の医学部(大学院コース)に入学し、Austudyを受け取りながら、貧乏医学生として生活を続けていた。2017年には、もうひとつの夢である「日本人の英語を変える」ために、医学部を1年休学した。もちろん、その間は Austudyの受給は一時中断していた。(休学中に受取中断をしておかないと、不正受給者として国から訴えられるので気を付けておこう。)   日本での「日本人の英語を変える運動」を全力で頑張った後、ぼくは2017年の12月から医学部に復学した(神経内科研修編)。そして、復学に伴い、Austudyを再開する申請を行ったことを、これまでのブログ記事で触れてきた。長い戦いだったが、これまでの Austudy再開についてのドタバタを簡単に説明しておくと、次のようになる。   (1)Austudyの1回目の申請は、申請期間外(最大で学校が開始される13か月以内)ということで却下される。Austudyの1回目の再申請は11月に行ったもので、医学部が再開された12月まで4週間しかない。ゆえに、申請却下理由は不当である。そこで、再審査を求め、1回目の Appeal を行う。(詳しい内容は過去記事『オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』) (2)1回目の Appeal の後、再度 Austudy の審査が行われ、預金残高が約1万ドル以上あることを理由に、支払いは2018年の3月以降になることが決まった。しかし、医学部の授業料は、年間約1万ドルである。しかも、学校が始まったのは、2017年の12月だ。生活費がままならない状態で、どうやって医学部を卒業しろと言うのか?ぼくはこの決定に不服を申し立て、2度目の Appeal を行った。(詳しい内容は過去記事『【続】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』) (3)2回目の Appeal の審査を行うものの、審査そのものが3月にならないと始まらないというとんでもない状況に直面する。これはつまり、郵便局に速達物の受け取りを早くしてもらいたいとお願いすると、「わかりました。従来の受取日に荷物が届いたら、手続きを始めましょう」と言われているのと同じことである。(詳しい内容は過去記事『【続続】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら』)   そして、3月21日。Austudy再審査はついに行われた。     【ついに決着】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請を拒否されたら   そして、3月21日。Austudy再審査はついに行われた。   結果は、オーストラリア政府のCentrelinkが落ち度を認め、2017年11月から2018年3月までの支給額を支払うことで決着となった。     ほとんどの人は、オーストラリア政府の決断に不服を申し立てない。ぼくは税金という義務を果たしている以上、政府補助金という権利を放棄しなかった。そして、なによりも、ぼくは初めから、オーストラリア政府の不実な決断ととことん戦うことを決めていた。   おそらくどこの国でも同じなのだろうが、政府機関の人間というのは、ひとりの学生が補助金を受け取れずに医学部を中退したとしても、それによって良心を痛めるようなことはない。所詮は、ごまんといる補助金申請者のなかの「アンラッキーなひとり」でしかないのだ。   彼らが認識しなければならないことは、彼らのずさんな審査と決断がその「アンラッキーなひとり」の人生を台無しにしているということである。しかし、そんなことは彼らの頭には全く思い浮かばない。   だから、ぼくは戦ったのだ。国はあなたのために戦う、という妄想はぼくにはなかった。ぼくにあったのは、政府の人間も所詮は人、9割は自己の利益のみを考えながら生きている。自分の許容範囲を超えて、ほかの人のために時間と労力を使う人物はなかなかいない。だから、政府とのやり取りにおいて憶えておかないといけないことは、自分の権利を守るべき存在は自分自身、ということだ。それが、社会・歴史の勉強、そして実体験をを通じて学んだことである。    

【衝撃】ひろがオーストラリアで家探ししていると、詐欺師に出会った!

  過去の記事『オーストラリアで家を探すために知っておきたい3つの方法』で、ぼくもオーストラリアのパースで家を探していることを報告した。   今回の記事は、オーストラリアで、住む場所を探している人を騙してお金を巻き上げる詐欺師に出会ったことを書こうと思う。ぼくがその詐欺師に出会ったのは、Gumtreeを通じてだ。   2018年は医学部の最終学年ということで、複数の病院に研修することになる。病院は色々な場所に散在しているため、ぼくは中心地のシティに住む場所を探していた。   Gumtreeにはシティの物件が随時更新されているのだが、そのなかでEast Perthにある物件が掲載されていた。シェアアパートの物件だったのだが、その情報の中に You can make some moneyという普通のシェア情報ではお目にしない文章が書かれていた。   お金のない学生のぼくには、シティに住めてお金も稼げるならと思い、この物件を掲載していた人に物件を見たいこと、そしてお金を稼ぐことについて聞いてみたいとメールを送った。   ↓↓続き↓↓     次の日、Hanと名前の人物が返信を送ってきた。そのメールには、物件を見せるから明日シティに来れるか、という内容だった。お金の稼ぎ方は直接会って話すと書かれていた。   後日、ぼくは指定された時間と場所に行った。少し遅れて、半そで短パン姿のアジア人男性が待ち合わせ場所に来た。身長は175センチぐらい、年齢は30代後半ぐらいだろう。左腕には、マオリ族の人がしているようなタトゥーが入っていた。   ぼくはてっきりHanがその家に住んでいて、ビルの入り口から出てくるのかと思っていたが、そうではなかった。彼は別のところに住んでいて、ぼくに紹介したアパートは彼の名義になっているだけだという。ただ、彼は仕事の都合でニューサウスウェールズに引っ越ししないといけないから、賃貸契約を打ち切るのだという。   普段はのんびりしているぼくの頭は、ここでピーンときた。こいつ、アパートを他の人に高い家賃で又貸ししてピンハネしてやがんな、と。   話を聞いてみるとやはりそうだった。彼は3DKのアパートを彼の名前で借り、それぞれの部屋を高い家賃を取って又貸ししていた。からくりの内訳はこうだ。   家賃:週550ドル(賃貸契約上の家賃) 又貸し家賃:週750ドル(250ドルx3) Hanの収入:週200ドル($750-$550=$200)   一見、住宅紹介人として手数料を取っているようにみえるが、Hanが行っている行為は犯罪に当たる。というのも、アパートの賃貸契約は基本的に又貸しを禁じており、また部屋の適正価格を釣り上げて居住者から不当に利益を上げているからだ。   ↓↓続き↓↓     Hanは韓国の男性で、オーストラリアに移住することを夢見ていると言っていた。ぼくもオーストラリア移住に苦労したのでその気持ちがわかるが、犯罪者をオーストラリアに入れたくはない。   次の日、ぼくは彼の犯罪行為を止めさせるためにHanにこんなメールを送った。   I am going to decline the offer to take over the lease, as there are enormous moral and...

【続続】オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請を拒否されたら

  これまで2回の記事(1回目、2回目)にわたり、オーストラリア政府の学生補助金 Austudy の認可が遅れに遅れていることを書いてきた。   これまで、2度の Appeal を行うだけでなく、Centrelinkの対応に対する苦情も出してPriority Groupに入れてもらったのでもう大丈夫だろう、と思っていた。   しかし、Centrelinkからの連絡がない。1か月以上もない。医学部はとうに開始されていて、ぼくは学生補助金が全く無い状態で、毎日着実に減っていく銀行口座の残高に怯えながら生活を続けている。   幸い、こんな状況のぼくを哀れに思ったホストファミリーが、 (1)ぼくがお金を借りることを大嫌いであること (2)これまでに借りたお金は尋常ではないスピードで返してきたこと (3)遅かれ早かれ Centrelink の補助金が認可されること を理由に、お金を貸してくれている。   それでも、ホストファミリーにお金をいち早く返済しようと思っているぼくは、再度 Centrelink に電話をして、Appealがどうなっているのかを尋ねた。   すると、とんでもない返事が戻ってきた。   とんでもない返事とは・・・   認可された Austudy の Appeal審査は、 そのAustudyの支払日が来てから、だという。   はい?   支払日が遅れている自体ことが、ぼくの Appeal の理由なのに?なぜ待たなければいけないのか?   昨年12月に届くはずの荷物が3月になっても届かないから、早く届けてくれとお願いしているのに、3月に届いてから Appeal対応をするという・・・   なぜだ?ぼくには Centrelink のロジックが理解できない。というか、イロジカルとしか表現できない。   中身があまり詰まっていないぼくの頭は混乱した。   近所の子供たちが一斉にぼくの耳から入ってきて、覚えたてのピアノや弦楽器をガンガン練習しているかのような気分だ。   ぼくは怒りと落胆という泥の中に飲み込まれている。   どうすればいいのか?   どうなるのか?   ぼくにできることはあるのだろうか?   ああ、医学部の勉強もたくさんあるし。      

日本最高峰・東京大学が贈る、アカデミック英語を伸ばす無料オンラインコース

  科学者の成功には、英語力が必要不可欠である。   実験に使用する機材や用品の取扱説明書は英語で書かれてあるし、自分の研究の方向性を決める論文は英語で書かれている。   自分の研究の結果を世の中に発信する場合も、英語で論文を執筆しなければならない。   学会に出席すると、海外の研究者と英語でコミュニケーションをとることになるので、リスニングとスピーキングの能力が必要となる。   サイエンティストの研究はとても時間がかかる作業で、毎日カタツムリがあくびをしながらノロノロ歩いているかのようなスピードでしか進まない。長期的なプロジェクトではあるものの、科学者たちには毎日やることが沢山あって、めまいがするような状態で研究を行っている。   そんな忙しい科学者たちがスキマ時間を使ってアカデミック英語を身に付けられるようにと、日本最高峰・東京大学が無料英語コースを開講している。   その名も、English Academia である。   対象は、 英語でのコミュニケーションに 苦手意識がある大学院生学術的な交流の輪を 国際的に広げたい大学院生研究者を目指す大学院生 となっているが、一般の方も登録すれば受講することが出来る(無料)。   現在、English Academiaには2つのコースが設けられている。   English Academia① アカデミックなコミュニケーションが交わされる研究室、学会、授業での基礎知識を学ぶことができる。 https://www.youtube.com/watch?v=TXqxp7GMZUw   English Academia② プレゼンテーションやディベート、メールや電話、就職面接など実践的かつ発展的な英語表現を学ぶことができる。 https://www.youtube.com/watch?v=JiA5RsQ5Mg8   コースを終わらせると、東京大学から修了証書がもらえる。日本最高峰・東京大学から単位を取得できた気分になれる。修了証明書をあなたの履歴書に中に書いておくというのも、決して悪い選択ではないはずだ。   出典:いつもの匠  

Dream Theater、の過去のアルバムを振り返る(その11)

  Dream Theaterの記事を書いたら、無性に彼らの音楽を聴きたくなった。   ということで、Dream Theaterのアルバムをひとつずつ振り返ることにした。   Dream Theaterの音楽を語れるほど彼らを研究しているわけではないので、アルバムが出た頃のぼくの思い出を書いてみようと思う。   Dream Theaterの11thアルバムは、『A Dramatic Turn of Events』だ。     https://www.youtube.com/watch?v=8k9XiYku5Ck   アルバムが出たのは2011年9月。ぼくは32歳。オーストラリアの医学部の2度目の受験し、オーストラリアの永住権はまだ取れていない。   深く暗い沼の中に沈みながらOutcryするぼくの心。君と一緒に歌えた時間はとても大切だった。    
ごとうひろみち
ごとうひろみち
『高校中退⇒豪州で医者』をいつも読んでいただき誠にありがとうございます。著者・ごとうひろみちに興味を持ってくれたあなたのために、詳しい自己紹介を←ここでしていますので、どうぞご覧ください。

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ぼくは高校英語が理解できなかった。そんなぼくがどうやってオーストラリアで医者になれたのか?この物語を読めば、あなたにも英語で夢を叶えるヒントが見つかるかも。

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【翻訳】英語で知っておきたい、20の自然の名言

英語で知っておきたい自然の名言を、翻訳家・ごとうひろみちが20個厳選しました   まえがき:ここで紹介している英語の名言は、英語を勉強している人、名言を知りたい人、何かのヒントを探している人など、たくさんの方の役に立ててもらえたらと思い、ごとうひろみちが翻訳をしたものです(ぼくは翻訳会社ulatusのフリーランサー翻訳家です)。名言を読んだ瞬間に心を揺り動かし、あなたを突き動かしてくれる、そんな英語の名言に出会えるといいですね。高校中退者のぼくでもプロ翻訳家になれた英語勉強法に興味がある方はこちらをどうぞ。   Look deep into nature, and then you will understand...

日本人が海外医学部で一番苦労する(だろう)こと

  最近、ぼくはブログの中で、異能vationに応募したことや、英語コンサルを行っていること、ビジネスを学んでいることを、心赴くままに綴ってきた。この3つのことはすべて、ぼくが持っている「日本人の英語を変える、ノンネイティブの英語を変える」という英語ドリームを叶えるためである。この夢を叶えるには時間と労力がかかることは理解しているし、一朝一夕に実現できることではない。だからこそ、ぼくは医学部を1年間休学することを選択したのだ。   それでも、時間は、ぼくの人生から無表情に削り取られてゆく。   これまでのように、英語ドリームに時間と労力をかけることはできなくなっている。というのも、ぼくにはもうひとつの夢があるからだ。それはオーストラリアで温かい医者になるという夢だ。2018年には、西オーストラリア大学の医学部に戻り、医学の勉強を再開しなければならない。それも、医学部の最終学年であり、これまでの知識とスキルをしっかりと身に付けて、最終試験をパスしなければならない。   医学の知識とスキルは、使い続けていなければ、一気に頭の中から消えていってしまう。そのスピードたるや、頭の中の消しゴムどころの話ではない。誰かが巨大な業務用掃除機で、ぼくの頭の中にある知識とスキルを、けたたましい轟音とともに吸い取っていくレベルである。   https://www.youtube.com/watch?v=HOhgP4fEx6s   ↓次のページに続く     あなたも学校でこんな経験をしたことが無いだろうか?あなたは学校の試験のためにたくさん勉強する。それでも、試験が終わり会場を後にした瞬間、詰め込んだ知識がふわぁ~と頭から抜けて、もう一回試験を受けたとしてもパスする自信がない、みたいな経験が。ぼくは毎回の試験で経験します。   試験が終わってから数分~数時間しか経っていないのに、詰め込んだ知識が指先からこぼれていく感じがするのに、これが1年間だとどうなるのか?   はい、正直に言います。ヤバいです。留年確実です。何もしなければ。   https://www.youtube.com/watch?v=ZrSH_TsRsec   ということで、ぼくは日本での残された時間を少しずつ、医学の勉強に使い始めようと思っています。それもかなり効果的な戦略を練らないと、1年休学した後遺症のせいで留年が決定してしまうので、日本でできることから始めようと思います。しかも、自分の苦手分野と対峙することにします。   ぼくは医学部で筆記試験を落としたことはない。もちろん、たくさん勉強して四苦八苦するのは事実だが、筆記試験が苦手だと思ったことはない。筆記試験は、医学部が用意しているガイドラインの意図を読み取ることができれば、落とすことはない。高得点は取れないかもしれないが、落とすことはない。と思う。多分。恐らく。     しかし、ぼくには、逃げ出したくなるほど苦手なものがある。それは、医療現場におけるコミュニケーション技能である。コミュニケーション能力は、問診(History-taking)、身体検査(Physical examination)、医療検査(Investigation)、医学的管理(Management)、医療チームへの報告(Presentation)、などにおいて文字通り患者の生死にかかわる重要なスキルである。コミュニケーション能力が低いせいで医療ミスが起こることを、医学生は頭に叩き込まれる(参考文献)。   特に患者さんとのコミュニケーションが大事なことは、尊敬するオリバー・サックス氏だけでなく、医療器具に頼りすぎる若い医師たちを危惧する先輩方の医師が口をそろえて言うことである。   https://www.youtube.com/watch?v=8LZJz7GtJA0 動画でよく出てくるLVADは、Left Ventricular Assist Deviceの略(参照資料)   実は、このコミュニケーション能力が、ぼくが最も苦手とするものである。内向的な性格もひとつの要因ではあるが、苦手意識を作り出している一番の要因が「英語の壁」だと思う。英語ネイティブではない事に対する負い目みたいなものである。しかし、この負い目は、ぼくが頭の中で作り上げている「心理的虚構」にすぎないことにぼくはうすうす気づいている。できなくてもしょうがないという言い訳を作っているようなものではないかと。   もちろん、ネイティブの同級生に比べれば、ぼくは彼らの英語の表現の幅や奥ゆかしさには到底敵わない。しかし、医学において大事なのは、患者さんとコミュニケーションを取ることであって、英語の表現の幅や奥ゆかしさを競い合うものではない。とぼくは自分に言い聞かせることにした。←これが日本でできる一番目のこと。     次に、ぼくは医療現場における英語表現に慣れていないという事実。同じ英語であっても、働く現場によって使われる表現が微妙に変わることは当たり前で、とくにプライバシーや尊厳が重要視される医療現場の英語は、パブや家で話されているものとは違うものだ。この微妙に違う言葉遣いにぼくが慣れていないのだ。だから、医療現場に立つと医者や医療スタッフが何を言っているのか分からないし、何を言えばいいのか分からないのだ。   医療現場の英語表現に慣れるために、日本にいるぼくができることは何か?   いきなり近所の大学病院に押しかけて外国の患者さんに対して英語でコミュニケーションをしてみるというのはどうだろうか?否。ぼくはオーストラリアの医学生であって、日本の医学生ではない。そんなことをしていたら、書類送検でとっ捕まってしまう。   https://www.youtube.com/watch?v=2ue_wRn-Ke8   現場で学ぶことが一番だが、それが無理なら書籍から学ぶしかない。と考えたぼくは、近所のジュンク堂や丸善、紀伊国屋を周り、自分のためになりそうな本を探し回った。     そのなかでも、置かれていた医療英語の書籍をすべて立読みし、そのなかでも自分の学習のためになりそうな9つの書籍を購入した。まだ書籍を読み終わったわけではないので内容には触れないが、それぞれ違った角度から「医療現場で使われる英語」を紹介している。   やさしい英語で外来診療〜聞きもらしのない問診のコツ   CDで学ぶ 外国人患者が来ても困らない 外来診療のための英会話   医師のための診療英会話   医師のための身体診察と検査の英語   医師のための医療面接の英語   CDで学ぶ医師のためのオールラウンド英会話   CD付き 正しく診断するための...

異能vation、の伊藤穰一さんが面白い

  変な人を日本政府がサポートするプログラム「異能vation」の2次面接の戦略と戦術を考えている。   記事「異能vation、の2次面接の練習を始めます」で触れたが、もしぼくの「破壊的な挑戦」の申請書が1次選考を通過すると、2次面接で3分間の面接・プレゼンを求められる(かもしれない)。面接・プレゼンを楽しむためにTED Talksやスティーブ・ジョブズ氏関連の書籍を参考にしながら、自分のプレゼンを組み立てている。   プレゼンの練習に疲れたので、何か別のことをしようと思い、近所のジュンク堂に行くことにした。家を出て上を見上げると、真っ青な湖面に白色の積乱雲が漂っている。こんな日は、この歌が自然に頭に流れてくる。   https://www.youtube.com/watch?v=PQXMU1A8CjI   書店に行く目的は、異能vationの方向性を決めているプログラムアドバイザーが日頃どんなことを考えているかを理解するためである。プログラムアドバイザーが異能vationの具体的な方向性に言及している書籍は無い(と思う)。しかし、プログラムアドバイザーがどんな思想を持って活動しているのかは著作を通して知ることができる。総務省はこの思想に魅力を感じてプログラムアドバイザーに選んでいるはずなので、プログラムアドバイザーの思想を知れば、異能vationの選考条件が自然に浮かんでくる(とぼくは青空を目で聞きながら夢想している)。   伊藤穰一(じょういち)さんの紹介   プログラムアドバイザーのリストに最初に来ている人物は、伊藤穰一(じょういち)(愛称はJoi)さんである。伊藤穰一さんのことはTEDを通じて存在を知っていたが、どんな思想・経歴をお持ちなのかぼくは全く知らなかった。   https://www.youtube.com/watch?v=LN6Vn-aqgFs   伊藤さんの経歴をWikipediaで調べてみると、おもわず笑ってしまった。     大学中退の学歴で、MITのメディアラボ所長になるって!現在は、博士号も取り、現実的な処世術としてMIT教授にもなっている(その時の話は、彼のブログ記事「教授になります」が面白い)(追記:現在、伊藤さんはジェフリー・エプスタイン関係の事件が原因でMITのメディアラボ所長を退職されています)   経歴の面白味は、それだけじゃないです。伊藤さんは、過去に六本木でナイトクラブを経営したり、DJだったり、IT会社を複数起業していたり、大企業の取締役をしていたり、赤ちゃん企業にスタートアップ投資するエンジェル投資家の顔も持っています。かと思えば、スキューバー・ダイビングの先生であったり、著名人を写真に収める写真家であったりもします(そのほかにも突っ込みどころが満載なのでWikipediaとその脚注・外部リンクの情報を読んでみてください。面白いに尽きます)   https://www.youtube.com/watch?v=Fbqib311QgA   伊藤穰一さんって、変な人でしょ?異能vationの最終選考者の竹内さんが、伊藤さんを「Joi = 神」と表現している理由がなんとなくわかったような気がします。   UCアーバイン校で人類学教授をしている伊藤瑞子さん(穰一さんの妹)との対談を聞いていると、穰一さんの異能ぶりを家族の視点から知ることもできます。   https://www.youtube.com/watch?v=P0CxCR9Uj60   伊藤穰一(じょういち)さんの書籍   伊藤穰一さんにHookedされてしまったぼくは、ジュンク堂におかれている彼の書籍をすべて買って読んでみた。           そのなかでも、異能vationの面接に役立ちそうな切り口を与えてくれたが、著書『9プリンシプルズ』である。書籍の内容は学術的であるため、ターゲット読者はおそらく知識人であると考えられるが、メッセージはシンプルである。書籍に書かれているメッセージとは、これからのネット時代においてイノベーションを起こしながら生き残るには9つのマインドセットが必要であるということだ。   1.権威より創発 2.プッシュよりプル 3.地図よりコンパス 4.安全よりリスク 5.従うより不服従 6.理論より実践 ...

【世紀の一戦】ごとうひろみち 対 Atsueigo

  えー、巷では名須川天心対フロイドメイウェザーの世紀の一戦がもっぱらの話題です。英語の世界も負けてられん、と【世紀の一戦】ごとうひろみち 対 Atsueigo を(一方的に)実現させました。それでは、前置きを含めてどうぞ。   ☆★☆★☆★☆★   オーストラリアの医学部を卒業した後、日本に一時帰国し、総務省の異能vationのイベントに参加したり、Urdocアプリの創始者と対談したり、日本の医学生に臨床英語のセミナーを開いたり、東大で先生をしている友人にサインをもらったり、1日5~8時間ぐらい東京の町を当てもなく歩いたりした。   オーストラリアにとんぼ返りする直前にAtsueigoさんの東京トークライブに参加してきた。今回の記事では、トークライブでのAtsueigoさんの印象や、Atsueigoさんがこれから挑戦しなければならない問題を提起していく。記事の流れはこうなっている。   Atsueigoとは誰なのか? ごとうひろみちとは誰なのか? Atsueigoのトークライブと彼の英語力 Atsueigoに挑戦状を叩きつける 挑戦状の先にあるもの   まずは、自己紹介から。Atsueigoさんを知らない方のために、彼のことを簡単に紹介しておく。   Atsueigoとは誰なのか? 以下、Atsueigoページより抜粋。   ...

【期間限定】アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』無料プレゼント中!(前半戦)

  アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』前半戦を期間限定プレゼント(無料)!     いまなら期間限定で、アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』の前半戦の感想をコメントするだけで、アマゾン書籍【後半戦】を無料ゲットできます!     このページの一番下に感想コメントすると、アマゾン書籍『高校中退から豪州医学部へ』の後半戦のページに移動することができます。 ↓↓↓↓↓↓

オーストラリアの医学部に進もうかと考えている日本の女子高生からの悩みに、ごとうひろみちが答えてみた

  ぼくのブログには、オーストラリアで医者になりたいというコメントがたくさん寄せられます。そのほとんどは、具体的なプランが無いなど、どうやって返信をしていいのか分からないものが多いです。 そんな中、オーストラリアの医学部に行くことを真剣に考えている日本の女子高生からお便りをいただきました。丁度、深夜勤務明けのお休みの日にお便りをいただいたこともあり、ぼくも真剣にコメントを返してみました。 以下、高校生からの文章を太字にして、パラグラフごとにぼくなりの返事をしています。   こんにちは、初めまして。 ⇒初めまして。   今回は大学進学について悩んでいたところ、このサイトと出会い、ぜひ助言をいただきたくこの文面を書いています。拙い文章力で申し訳ありませんが、しばらくお付き合いください。 ⇒この時点ですでに文章力の高さを感じます。   私は広島在住の18歳で、将来の夢は小さな頃から医師になること、「人の命を救うこと」でした。昨年高校を卒業し、高校では日本の文部科学省規定の学習ではなくIBディプロマを取得しました。英語でBiologyやChemistryなど、様々な科目を学習してきた私でしたが、自分の英語に日本人の中では話せる方であったとしても、nativeと戦っていけるほどの自信はなかったので、そのまま日本の大学(subject requirementの関係で一校のみ)を受験しました。しかしscoreがrequirementに及ばず不合格に。医師の道を諦めるという選択肢はなかったので、IB生では異例の浪人を決意し、IBの最終試験の再受験のための勉強(自宅にて)とセンター試験のための勉強を一から(予備校にて)並行して行い、無事IB scoreはrequirementを越え、今年はセンター試験の点数も持っていたため、昨年受験した大学を含め三校受験しました。一週間ほど前に開示された結果は全校不合格でした。 ⇒IBディプロマというものがあるんですね。知りませんでした。まずは、IBディプロマ修了おめでとうございます。大学受験は残念でしたが、前に進んでいる(行動している)ので全く問題ありません。今は胸が痛いかもしれませんが、数年後にはこの経験があったからこそ「自分」のアイデンティティが確立されたと思えるようになります。   合否発表前より、全て不合格だった場合にはどうするかを考えており、以下の2つが家族の中でも濃厚な線でした: 1. ハンガリー医科大学時事務局を通じてハンガリー国立大学医学部を受験し、進学。卒業後は日本の医師国家試験を受験(卒業と同時に受験資格は得られる)し日本で医師として働く。 ⇒ハンガリー医科大学事情は詳しく知らないのですが、確か留学生の留年率が50%だったような気がします。つまり、毎年、半分の同級生が留年するというとても大変な道のりです。このことを考えると、日本で浪人をして日本の医学部に行くほうが時間的・金銭的にベターかも、という可能性も見えてきます。 追記:留年率は66%でした。過去記事を参照。   2. オーストラリアの大学に進学し(昨年の段階で合格はもらっていたため)、学士をとった上で帰国、日本の国立大学医学部へ学士編入し、日本で医師として働く。元来私は日本で医師になることを目標にしていたので、このどちらかを考えていました。しかし、高校の先輩で今オーストラリア・ブリスベンで看護師として働く方と話す機会があり、とても生き生きと自分の夢に向かって走っている彼女の話を聞くと、この先輩のようになりたい、オーストラリアに進学したいという気持ちが強くなりました。 ⇒オーストラリアの大学合格おめでとうございます。パチパチ!素晴らしいです。オーストラリアで学士を取った後、日本の医学部に編入する選択肢も現実的です。おそらくですが、オーストラリアで学士を取ると、そのままオーストラリアの医学部(大学院コース)に進みたくなるかもしれません。これも、選択肢の中に入れておいてください。   両親も私が医師になる夢はずっと応援してくれているので、日本での進学の道がほとんど閉ざされてしまった今、オーストラリアへの進学を前向きに考えてくれています。 ⇒両親が応援してくれるのは、すごくプラスです。ぼくは、誰からも応援されることなく医学部受験をしたので、両親が応援してくれたら、もっと高い点数を取ることができたかもしれません。   ただ、master courseの学費の高さや、(学費を安くするための)永住権取得の難しさ、そしてオーストラリアで日本人が医師になることの現実性など、本格的に考えれば考えるほど、実際に医師として働けるなど夢のまた夢のように思えてしまっています。 ⇒学費の高さは、とても重要なポイントです。最近では、クラウドファンディングなどで学費を捻出する強者もいるようですが、ほとんどの人は高い学費が払うことができずに医学部に行くことを断念します。ぼくもその例にもれず、医学部を3度受験し3回合格したにもかかわらず、永住権が無かったために2回入学を辞退しています。ここをどうクリアするかは、経済事情によりますので、ご両親とよく議論されることをお勧めします。オーストラリアで日本人が医師になることの夢のまた夢と表現されていますが、オーストラリアで働く日本人医師はちらほらいます。例が少ないために、「無理なんだ」と思い込んでいるだけだと思いますよ。前例が無ければ自分が最初の例になればいいだけのことです。   一番の夢が「人の命を救うこと」である以上、医師になれる確率が高い道、という考えで進学先を決めるとすると、上記のようにハンガリー -> 日本、もしくは学士編入が良いのでは、という考えが両親の中では強いようです(医師として働けるようになるまでの年月も踏まえて)。 ⇒日本で医師になることを前提にハンガリーへ留学する人が多いことは認知しています。詳しいことは知らないのですが、ハンガリーの医学部には日本の医師国家試験の勉強もしている医学生が周りにいるらしいです。この点において、オーストラリアよりもハンガリーのほうが有利かもしれません。というのも、オーストラリアの医学部には日本人の医学生はゼロですし(いるのかなぁ?)、周りに日本の医師国家試験の勉強する人はいません。アメリカのUSMLEを受験する人は少ないですが存在します。   私の一番の希望は、オーストラリアでbachelorをとり、その後永住権をとった上でmasterに進む、という道ですが、masterへの進学が叶いそうにない(永住権を取れそうにない)場合は、bachelorだけでもオーストラリアで取得し、そこからハンガリー/日本の医学部へ進学/編入したいと考えています。*bachelorに関してはメルボルン大学またはUQのbachelor of...

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