Aさんに出会ったのは、外来の IV lounge (Intravenous lounge) だった。IV lounge には、抗体や免疫グロブリンなどを定期的に投与しなければならない患者さんが来る。Aさんもその患者さんの中のひとりだった。
Sir Charles Gairdner Hospital の IV lounge は病棟から遠く離れた場所にあり、インターン医師やレジデント医師はそこまで歩いていくのを嫌がっていた。仕事の内容も、薬物投与の同意書を患者さんからとったり、投与薬物をチャートに書く、といった単純作業が多いのも不人気の原因だった。
Aさんは18歳の青年だった。彼は Eosinophilic Granulomatosis with PolyAngiitis (EGPA) を患っていて、IV lounge で定期的に免疫抑制剤の投与を受けていた。彼は魚がとても好きな少年で、ぼくに Arowana の魅力を語ってくれた。
Aさんは、Wikipedia に書かれている Arowana の情報はすべて知っていた。アロワナは、アロワナ目アロワナ科アロワナ亜科 Osteoglossinae に属する大型の古代魚で南アメリカ、オーストラリア、東南アジアの淡水に生息していること、獲物を丸呑みするために下あごがせり出ていること、水面より上にいる獲物にとびつき捕食することが出来ること、などなど、ぼくに熱心に教えてくれた。
ぼくは、アロワナの魅力を熱心に説くAさんのことを不思議に覚えていて、Aさんが体調を悪くして腎臓科に入院したときに、「おー、アロワナ少年」と思わず言ってしまったほどだった。正直に言うと、Aさんに病棟で再開したときに、彼の名前も病名もすぐには出てこなかった。でも、その少年がアロワナを好きなことは鮮明に覚えていた。
医師が持つ患者さんの記憶は、病名が足がかりになることがほとんどである。「患者さん○○は病気△△を患っていて、現在◇◇の治療を受けている」という情報が記憶のロープとなって、その他の情報(合併症、家族構成など)が押し寄せてくることが多い。
しかし、Aさんの時は、アロワナへの情熱が記憶のきっかけとなり、Aさんに関する臨床情報が蘇るという経験をした。Aさんはアロワナ少年と呼ばれたことを嬉しかったようで、ぼくのことを信用していると両親に言っていた。
患者さんを人として理解し信頼を得るには、実は、患者さんの好きを知ることが大事なのではないか、と思う体験だった。Aさんはアロワナが好きだった。ぼくは何が好きなんだろう?