ぼくの幼心を憂鬱にしたもの
ぼくは小学校3年生からラグビーを始めた。
きっかけは、
朝のラジオから流れていたい
ラガーマン募集の告知だった
(年齢に関係なく、選手はみんなラガーマンと呼ばれる)。
ちなみに、Urban dictionary によると、
rugger もしくは rugger manは、
Someone who can sustain several concussions and still manage to go to the pub after running for 80 minutes while tackling men that look like they have taken steroids since 3.
と定義されている。
英語が苦手な人は、
辞書を引いて
頑張って訳してみてください。
おもしろいですよ。
ラジオの告知を聴きながら、
親父がワカメのみそ汁をすすりながら、
「ラグビー、やってみるか?」と聞いてきた。
「やってみる!」と
ぼくは返事をしたのだが、
内心「ラグビー?何それ?
見たことも聞いたこともない?スポーツ?」
と不安が大きかったのを覚えている。
草香江ヤングラガーズの練習は、
毎週日曜日朝8時から12時まで行われた。
最初の半年ぐらいは親父が、
練習場まで車で送り迎えしてくれたのだが、
ある日から「自分ひとりで行きなさい」
と言うようになった。
別に喧嘩をしたわけではない。
これはぼくの推測だが、
チームメートのO君が
練習場に一人で来ている姿に感心して、
自分の子にもそうさせようと
親父が思ったのがきっかけだと思う。
こちらとしては、
知らない土地までバスにゆられて行ったり、
大雨の中を自転車で
遠くまでこいで行ったりするのは、
ぼくの幼心を憂鬱にした。
憂鬱な幼心を成長させてくれたもの(1)人との触れ合い
そんな憂鬱な幼心を
変えてくれたことがふたつある。
まずは、バスの運転手さんである。
草香江ヤングラガーズの練習は
大きな空き地がある遠地で行われることが多く、
そこまで行くには、バスに乗っていく必要があった。
最初は10名ぐらい乗っていたバスの客が、
一人また一人降りて行って、
最後にはぼく一人になることが多かった。
そんなとき、決まってバスの運転手さんは、
車内マイクを使って、ぼくに話かけてきた。
「どこから来たの?」「どこに行くの?」
「何のスポーツやっているの?」
などの平凡な質問が多かったが、
バスの空間だけでしか聞くことができない
「あの鼻声なまり」が消えたアナウンスは、
ぼくの心のなかに新鮮な印象を与えてくれた。
自分が何か特別な存在
(偉いとかすごいとかじゃない、
ただ特別な存在)
であるかのように感じた。
中年になった今でも、
遠くへバスで移動するときは、
運転手さんが「どこから来たの?」と
聞いてくるんじゃないかと
心待ちにしている少年が
自分のなかにいる。
憂鬱な幼心を成長させてくれたもの(2)自分だけの光景
ふたつ目は、
自転車に乗って、
見たこともない光景に出会えることだった。
見たことのない光景と言うと、
なんだか海外の秘境のような
印象を与えるかもしれないが、
何のことはない、
自分がいままで知らなかった路地裏だったり、
隠された駄菓子屋
(もちろん駄菓子屋のおばちゃんは
コソコソ隠れて商売しているわけではない)、
校区外の市民プール、
海岸沿いにある下水処理場、
だだっ広い田んぼなどである。
そんな光景を自転車に乗りながら
チームメートと眺めることできたのは、
ささやかな少年期の幸せである。
親が子供にしてあげられること
なんでも自分ひとりでやれるように、と
親父はぼくを教育してくれた。
自分が高校中退、海外留学、
永住、海外医学部の道を
歩んでこられたのも、
そんな親父の教育の
おかげ(弊害?)なのかもしれない。
そしてなにより、
数分足らずしか知らない人との会話のなかに
人の温かみを感じ取れる感性と、
観光ガイドには決して載らない平凡な場所を
「発見」できる心のことを考えると、
自分がなぜパースを選んだのか
少し分かるような気がする。
出典: blog.goo.ne.jp/