ぼくは、気候変動問題に取り組む活動家を応援している。特に若者が自分の未来のために活動しているのを見ると、「がんばれー」とさらに応援したくなる。このことは過去記事「ぐれたグレタさんをぼくが応援する3つの理由」にて詳しく触れた。
この記事を出してから、ぐれたグレタさんはタイム誌の Person of the Year に選ばれたり、Nature誌の「科学の10人」に選ばれたりと、気候変動活動家の広告塔としてさらに飛躍している。
今回の記事は気候変動に関する話ではなく、ぐれたグレタさんを応援しているぼくを「人生経験が貧相で無責任かつコミュ障の大人は黙っていろ」と批判する人の話をしてみたいと思う。
ことの発端は、ぐれたグレタさんを応援しているぼくのツイッターへの投稿だった。
ぼくのつぶやきはこれ。
行動できない(しない)大人がほとんどなんだ。子供たちだけでもどんどん活動してほしい。あなたたちの未来なのだから。 https://t.co/GN6MVmE2JU
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
そのつぶやきに送られてきたコメントがこれ。
まともな大人なら子供にちゃんと教育する機会や子供として生きる時間を与えるために、こういう行動をできない(しない)ようにするものだ。
間違った道に進もうとしている子供を諫めずそれを子供の意思だからと助長するような行為は、責任ある大人の態度ではない。
そして、子供は大人の代弁者ではない。 https://t.co/yc1Zmz8Fuh— Toikem@CZ (@ToikemCZ1) December 4, 2019
人類の未来に大きな影響を与える気候変動の問題取り組む若者を、ぼくは応援している。そんなぼくのつぶやきに対してこんなコメントを送ってきたものだから、最初は、気候変動の重要性を否定する人からのコメントだと解釈した。つまり、気候変動を問題視することが間違っているのだから、それに取り組む若者は道を誤っているのだ、と。
そして次のような返事をした。
ほう。自分の未来、そして地球の未来に責任を持ちエビデンスに基づいて行動する若者を「教育」すべき根拠を詳しく説明してほしい。彼女と同じようにエビデンスを用いて。 https://t.co/ePFtCZZzXJ
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
ぐれたグレタさんが取り組んでいる気候変動の問題を否定するエビデンスを教えてください、と返したのだ。
そうすると、こんな返事がきた。
逆に聞きますけど、彼女はエビデンスを理解するだけの教育を受けていると思いますか?
自分は二酸化炭素を出さない為と言いながらヨットの乗組員は飛行機移動、そんな自分の行動から生じた矛盾を理解できない子供なのに?
あなたは何を見てるんですか?— Toikem@CZ (@ToikemCZ1) December 4, 2019
この返事を見たときに、あぁ、この人は気候変動の問題を取り扱っているのではない、ということをぼくは悟った。この人はぐれたグレタさんそのひと自身について議論したいのだ、と。
グレタさん自身にはそんなに興味が無いぼくは、気候変動の問題をすり替えられないように、こんな返事をした。
地球温暖化のエビデンスを理解したら彼女のような活動家が出てくるというのがぼくの理解です。エビデンスは変わらないので活動家が老人でも同じように応援します。
医者は人を助ける存在ですが人を殺めています。これを矛盾ととらえるのですね。 https://t.co/e1ep9yMsnj
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
ここで言いたかったのは、ぼくが議論すべきだと考える問題は気候変動で活動家そのものではない、ということだった。つまり、活動家そのものの議論はやる気ありません、と理解してもらいたかった。
そのことを念を押すために、気候変動の話から議論を別のものにすり替えないことをお願いした。
追伸: 議論はすり替えないようにお願いしたい。エビデンスを吟味することがなければこの議論がなりたたないので。 https://t.co/e1ep9yMsnj
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
そして、気候変動という重大な問題から目がそらされることが無いように、この人のやっている議論のやり方は議論上のルール違反ですよ、ということを伝えた。
追伸、もひとつ。 “Ad hominem” refers to a FALLACIOUS argumentative strategy whereby genuine discussion of the topic at hand is avoided by instead attacking the character, rather than attacking the substance of the argument itself. https://t.co/e1ep9yMsnj
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
気候変動を何も理解していない若者だ!と糾弾したとしても、気候変動という問題自体はそこに解決されないまま存在し続けますよ、ということをぼくは伝えようとしたのだ。
すると、案の定、こんな返事が来た。
子供を子供らしく生きさせない大人はおかしいという話をしているのに、環境問題のエビデンスに話を持っていく人と議論ができるとは思えません。話をすり替えるなとはこちらの台詞ですよ。
子供が活動家になり、その子自身で将来を狭め、勉強する機会を与えられないはおかしいという話なのですが https://t.co/a4b37Imdzg— Toikem@CZ (@ToikemCZ1) December 4, 2019
くどいようだが、ぼくの興味は、気候変動の問題をどうするのかということ。大人が子供をどう育てるべきかという問題は、ぼくは議題にしていない。
しかし、ぼくのツイッターにわざわざコメントをくれたのだ。ぐれたグレタさんを気候変動の活動家に仕立て上げた大人たちは悪いと攻撃する人と議論してみて自分の視野を広げる機会にするかと思い、こんな返事をした。
あなたの主義そのものを知らなかった。グレタさんは大人の傀儡、と主張していたんですね。そしたらぼくもダーウィン、ニュートン、ドーキンス、メダワー、ケプラー、サックス、利根川、あぁもっといる、の傀儡です。 https://t.co/ePFtCZZzXJ
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
「大人の言いなり」という表現をするとあたかも子供を洗脳をしているかのようなイメージを与えるが、世界のことをできるだけ正確に子供たちに伝えていると言えばそれは教育になる。洗脳も教育も、子供に行動の規範を与えるという意味で同じである、ということをぼくは伝えようとした。
また、子供を大事にすることは未来のことを考える人間には至極自然な発想である。しかし、この人は、子供を大切にしろと言っておきながら子供を理解の無い大人の傀儡だと攻撃した自分の矛盾に気づかないのだろうか?
子供を大切にしよう、と言うことはとても簡単である。でも、目の前の子供とどう向き合うのかという現実に直面すると、次のような疑問に答えなければいけない。だから、ぼくはコメントをくれた方にこう聞いてみた。
子供を子供らしく育てる教育のエビデンスは?しかもアスペルガー症候群もちの10代の女の子を。 https://t.co/1hyIwVJNiW
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
返事はない。例が悪かったのかな?「子供は子供らしく育てなければいけない」という身の無い正論をかざす相手にさらなる返事を求めた。
この子が子供らしく生きるための正しい教育法とそのエビデンスを教えてください。 https://t.co/zpActDOqsO https://t.co/1hyIwVJNiW
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
この子はどうでしょう?グレタさんと同じアスペルガー症候群の女の子ですよ。 https://t.co/ANNADWQoLS
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
この子が子供として生きられる正しい教育法とエビデンスも知りたい。 https://t.co/gXpWANk4Ym
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
この子でもいいです。 https://t.co/f0C1xsw09Q
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
でも、一番知りたいのは、この子の育て方かなぁ。手を焼いています。 https://t.co/qcv2yRf5JN
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
そして、若い頃から活動家になると将来が狭まるという考え方にも疑問を呈した。
子供が活動家になると将来が狭まるというエビデンスは?特定のゴールに早くから取り組んだおかげで将来が開けたというエビデンスを見せろ、というなら••••うぅ、枚挙のいとまがない••• https://t.co/IeSJczv59B
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 4, 2019
「子供は子供らしく育てるべき」と先方が言うので、では具体的な育て方を教えてくださいというぼくの発言を全くスルーして、こんな返事が返ってきた。
環境問題のエビデンスが正しいからと言って、自分の人生に責任を取れない子供が、子供のわがままレベルの言動しかできないにも関わらず、政治運動の矢面に立っているという状況はまともな大人ならまずおかしいと思うでしょう。 https://t.co/a4b37Imdzg
— Toikem@CZ (@ToikemCZ1) December 4, 2019
周りの大人に子供を政治に使うなと、子供には政治活動の前に自分の正しさを示せるだけの知識を付けろというのがまともな大人の意見だと思いますが。
子供を無責任に政治運動でもてはやし、運動がひと段落した時に子供に何が残るのですか?何が彼女の長い人生に付き纏うのですか? https://t.co/a4b37Imdzg— Toikem@CZ (@ToikemCZ1) December 4, 2019
議論のテーマがコロコロ変わるこの人は、グレタさんのスピーチを聞いていない、もしくは理解していないことが分かる。
グレタさんは「私は学校で勉強していなければならない若者である。でも、大人たちが優先する経済活動や政治活動によって私たちの未来そして環境が台無しになろうとしている。そのことを糾弾する」という趣旨のことを言っている。
つまり、私たち大人たちが行っている経済や政治の在り方に大きな疑問を投げかけているのだ。「子供vs大人」「未来vs現在」という構図がそこにあり、グレタさんは子供側、未来側に属している。グレタさんは強い意志を持って大人(政治、経済)を敵に回しているのだ。
また、コメントをくれたこの人の意見は、子供のことを心配しているようで、実は子供に対して敬意と愛が足りていない。結局、「子供の言うことだから」と言って、子供が主張しているメッセージに耳を傾けていないし、その重要性に全く気づいていない。そんな大人はどこにでもいるし、そんな大人を見ている子供もまたそんな大人になる。それじゃ、いかんでしょ?
子供を「教育」しようとする大人に出会うと、この曲がぼくの頭にゆっくりと流れてくる。
薄っぺらい議論にぼくがなかなか参加しないことに業を煮やした先方は、こんな返事を送ってきた。
それらを考えられない無責任な大人は黙っていればよろしい。
僕とまともに議論をしたいのならまともなコミュニケーションを身につけ、常識的な大人の態度を学んでからにしなさい。
あなたの方が人生経験も豊かなはずなのに、こんなことも学んでこなかったのかと残念に思いますよ。 https://t.co/a4b37Imdzg— Toikem@CZ (@ToikemCZ1) December 4, 2019
この論法は、上でも紹介した Ad hominem fallacyである。
先方が持ってきた議題に応えたのに、結局はぼくが「人生経験が貧相で無責任かつコミュ障の大人」なので「黙っていろ」という結論らしい。
このコメントに対し、ぼくはこう締めくくった。
人生経験が貧相で無責任かつコミュ障の大人は黙っていろ、と言われたことを受けて。https://t.co/Cp0C8oWOqG
— ごとうひろみち (@iTELL_) December 5, 2019