九州北部豪雨、の災害ボランティアに参加しています

 

2017年7月5日~6日、九州北部に記録的な大雨が降った。九州北部豪雨である。観測史上最大の降水量を記録したところもある。その大量の雨が原因で、各地は災害に見舞われることとなった。

 

 

ぼくは変な性分の持ち主で、対岸の家事を目の前にして自分の指に刺さった棘を気にしている人たちに腹を立ててしまう。その苛立ちが耐えがたい衝動となり、ぼくを被災地へと突き動かす。てめえらみたいな人間にはなりたくねぇ、と背中で語りかけるかのように。それでも、彼らはぼくの背中を見ることは無い。自分の指に刺さった棘をじっと見つめている。

 

ぼくは東北沖地震のボランティア経験があったので、まずはボランティア活動保険に加入することから始めた。保険に入っていないとボランティア活動をさせてもらえないこともあるので、ボランティアをしたい方は必ず加入することを強くお勧めする。

 

ボランティア活動保険の証明カードを片手に、ぼくは、食料と水、そして着替えが入ったバックパックを背負って、朝倉市へと足を運んだ。朝倉市は、九州北部豪雨で甚大な被害を受けている地域のひとつだ。

 

早朝、薬院駅から西鉄大牟田線の急行便に乗り、朝倉街道に向かう。電車の中には、中年のサラリーマン・ウーマンたちが眠たそうに携帯を眺め、初々しい高校生たちがコソコソ話をしながらクスクス笑っている。どこにでもある記憶に残らない光景のはずなのに、なぜか心が温まる。

 

朝倉街道駅に着くと、駅のすぐそばにある杷木行きの西鉄バスに乗り込む。一緒に乗ったのは、ぼくのほかに1人の女性と、1人の女子高生だった。バスは、朝の静けさを、カーテンを開けるように裂いて行った。

 

途中にバスに乗車してきた小学生は、昨日の夜のテレビの話をしている。テレビを見ないぼくと小学生の間にはもうすでに知識の溝ができているのが感じられた。こうやって、子供は大人を超えていくのだろうか。

 

ぼくは下調べもあまりせずに朝倉市内に設置されている自衛隊の災害本部に行ってしまった。そこに行けばいいかなぁ、という安易な発想だった。自衛隊の皆さんは忙しそうに動いていたので、甘木公園に散歩に来られていた70代の男性に、ボランティアの受け入れの場所はありますかと聞いてみた。よくわからないと言われ、ぼくは結局自衛隊の災害本部の事務所に聞きに行った。

 

朝倉市役所支所のそばに災害ボランティアセンターがあると言われた。そしてぼくは近くのミニストップでおにぎりふたつ(朝食)を購入し、バスが来るまで待つことにした。早朝にもかかわらず、太陽の日差しはぼくの肌をジュ―と照り付けた。

 

おにぎりを食べて生茶を飲んで少し満足したころ、バスが細い道路を通りながら目の前に留まった。比良松中学校のバス停で、ありがとうございました、と言って下車をした。

 

災害ボランティアセンターのしるしが書かれていたのだが、結局どうやっていくのかわからず、長靴を履いて作業服を着ている男性にセンターの行き先を聞いた。

 

災害ボランティアセンターに着くと、災害ボランティア活動保険を持っている人と持っていない人の列が用意されていた(持っていない人はここで加入できる)。ぼくは保険を持っているので、となりの長蛇の列を特急列車のように追い抜き、登録とオリエンテーションを受けた。

 

オリエンテーションの後に、10人組のボランティアチームが結成され、ぼくがリーダーとなった。チームには、60代ぐらいの男性がふたり、50代の男性がひとり、30~40代の男性がふたり(うち一人はぼく)、20代の男性がひとり、20代の女性がひとり、そして現地の高校に通っている女子が3人いた。高校3年生の女の子が学校を休んでボランティア活動しているなんて、涙が出てきてしまいます。

 

 

ぼくらに与えられた任務は、古毛(こも)にある民家の泥を掻き出す作業だ。災害ボランティアセンターでシャベルや一輪車などの資材を借り、1台の軽トラックと1台のハイエースに乗り込み、民家まで移動した。

 

車で移動している間、フロントガラスやヘッドライトが粉々になった自動車や、地面が崩落し、建物が今にも横転してしまいそうな民家などが見えてきた。

 

ボランティアチームは、民家の方に「お邪魔させていただきます」と挨拶をして、泥掻きの作業に取り掛かった。チームのみんなは、皆真面目で、さぼり癖が身に沁みついているぼくには、いささか大変な作業となった。

 

チームに女性陣がいたのがその原因かもしれない。女性が近くにいるだけで、男性は働きものになるのだ。男って単純、なのだ。本当に。

 

それでも、照り付ける太陽の力は、ぼくらの体力を確実にそして急速に奪っていった。最初のうちは短い休憩時間を取れば次の作業に取り掛かれたのが、徐々に長い休憩時間が必要になっていった。

 

ボランティアが倒れては二次災害と言われかねないため、ぼくは定期的に休みを取り、給水を勧めた。持ってきていた塩飴をみんなに配り、熱中症にならないように気を付けてもらった。

 

やらなければいけない作業をすべて終わらせることはできなかったが、チームとしてできることはできたと思う。ご主人が悲しさと嬉しさが混じり合った表情をしながら、みんなに頭を下げていた。

 

九州北部豪雨のニュースは、徐々にメディアから消えつつある。それでも、やることは山積みになっている。災害ボランティアがいなくなっても、経済復興という大切な援助が必要となる。落ち着いてからでもいいので、ぜひ朝倉市を訪ねて、名物の藤井養蜂場ソフトクリームハトマメ屋のお菓子は味わっていただきたい。美味かよ~。

 

↓↓チームメンバー+ひとりの男性

 

追記:朝倉市災害ボランティアセンターに行く方は、ぼくみたいに遠回りせずに、朝倉街道のバス停から比良松中学校のバス停に移動しましょう。比良松中学校のバス停を降りると、道路の向かい側に朝倉市役所支所(市役所じゃないよ、市役所支所ですよ)があり、そのそばに朝倉市災害ボランティアセンターがあります。

 

 

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ごとうひろみち
『高校中退⇒豪州で医者』をいつも読んでいただき誠にありがとうございます。著者・ごとうひろみちに興味を持ってくれたあなたのために、詳しい自己紹介を←ここでしていますので、どうぞご覧ください。

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