Dream Theater in 広島、からのハンガリー女性との出会い

 

ドリームシアターが25年前に発表した、名盤中の名盤『Images and Words』を完全再現するツアーをおこなった。(ライブで演奏された曲リストは後で紹介)

ライブは、日本でももちろん行われ、

東京(日本武道館東京国際フォーラム

名古屋(豊田市民文化会館

大阪(大阪国際会議場

広島(広島文化学園HBGホール

で行われた。

追加公演が東京で行われるにもかかわらず、ぼくの地元・福岡にドリームシアターが来ないことに対し腹を立てながらも(⇒記事『Dream Theater、何で福岡に来んとか?』)、こんな機会にはもう2度と巡り合うことは無いと、ぼくはすごすごと広島へと足を運んだ。

当初は、青春18きっぷで福岡から広島に行こうと思っていたのだが、異能vationの結果発表英語コンサルなどが重なり、自由にできる時間があまりなく、現地広島に足を踏み入れたのは、ライブ当日(9月10日)の13時ごろだった。使った移動手段は、広福ライナーだ。所要時間は約4時間30分ぐらいだった。

ライブの開場が16時だったため、ぼくは原爆ドームに行き、そして日差しを浴びながら元安川のほとりを南へと歩いた。スナック喫茶ドバイ―でドバイ焼きを食べるためだ。

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オーストラリア政府の学生補助金Austudyの申請が拒否されたら

  ぼくは2014年からオーストラリアの医学部に通っている。   医学部に通っている間は収入がないので、家賃や生活費をオーストラリア政府の学生補助金Austudyから支払っている。補助金の詳しい内容は、政府のページもしくは拙著『豪州永住権の手引き』をどうぞ(←書籍は無料プレゼント中)。   医学部に通いながらアルバイトする学生もいるが、そのほとんどは生活費を稼ぎだすというよりも、勉強漬けの毎日から精神的に解放されるために、週1、2回パートタイムで働いている感じである。   ぼくも英語コンサルをしたり、翻訳の仕事をこなしてはいるが、Austudyが無ければ生活と学業を両立させることは不可能である。   ぼくは2017年、医学部を休学し日本に帰国した。その間はAustudyの受給を一時的にストップしなければいけなかった(Centrelinkのオフィスに行って、一時停止してくださいと言えばできる)。   在学していないのにAustudyを不正受給すると、政府から訴えられるだけでなく、そのほかの福祉補助金を受けられなくなる可能性があるので厳重注意。   休学期間が過ぎ、ぼくが日本からオーストラリアに戻ってきたのは、2017年の11月である。11月に帰国したのは、12月からのElective Placementの準備をする必要があったからだ。     Austudyの一時停止を解除し、受給を再開するには、Austudyを再度新規申請しなければならない。ぼくはオンライン申請ではなく、わざわざVictorial ParkにあるCentrelinkオフィスに出向いてAustudyを再度申請した。   オンライン申請ではなくオフィスでの申請を選択したのには理由がある。それは、Elective Placementのせいで、ぼくの医学部の勉強が12月から始まる(普通は2月)という変なものだったので、そのことをキチンと説明するためにオフィスに出向いだのだ。   Centrelinkの担当者に、Elective Placementが12月から始まり、これは医学部卒業に必須なフルタイムの科目だということを口頭で説明し、念を押すためにこのことを文書で説明している医学部からの手紙のコピーも提出した。   これだけすれば大丈夫だろう。   ぼくはそう思っていた。   2日後、Centrelinkの自分のページにAustudyに申請していることが表示され、12月9日に申請の結果が出ることが書かれていた。   Elective Placementは12月4日からなんだけどなぁ、と思いながらも、受給が認められれば申請日まで遡って給付金が与えられるので、まぁいいかと思うことにした。     12月9日の申請結果は、Your application is not acceptedだった。数日後送られてきたレターには、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という内容が書かれていた。   恐れていたことが、起こってしまった。   ぼくの医学部はElective Placementがあるために2017年12月から始まるのに、Austudyの審査官が医学部の最終学年のスケジュールだけ見て、2018年2月まで13週間以上あるから申請を拒否してしまったのだ!   おそらくだが、ぼくがCentrelinkで懇切丁寧に説明した2017年12月から始まるElective Placementのことと、医学部からの手紙のコピーには目を通していないはずだ。目を通していれば、医学部の最終学年は2018年2月からだから給付金は与えられない、という拒否理由を言えるわけがない!   収入がない上に、Elective PlacementのSir Charles Gairdner Hospitalに毎日通うためにお金がだんだん無くなっていくぼくは、Austudyの拒否理由を見て一瞬怒りを覚え、焦燥した。   ただ、怒っても焦ってもしょうがないので、ぼくはすぐにCentrelinkのオフィスに出向き、Austudyの拒否理由が不当であることを伝え、結果を再審査するようにAppealを行った。     Centrelinkの担当者には、口酸っぱくElective Placementのことを伝え、Austudyの審査官が医学部からの手紙をキチンと読むように指示するように伝えた。   Centrelinkの担当者からは、Appealの審査はクリスマス前後になるだろうと言った。そして、担当者はAppealの結果がダメだった時のために、もう一度Austudyに新規申請したほうがいいと言われた。   分かった、ここで新規申請する、とぼくは伝えたのだが、オフィスはもう閉まってしまうので、自分でオンライン申請してくれと言われた。What the…   クリスマス前に連絡が来ればいいなと思っていたが、ぼくの期待が満たされることはなかった。   クリスマスは、ホストファミリーにプレゼントを買いたかったのだが、本当にお金がなかったので、2018年5~6月にパースで行われるMamma Mia! の舞台へのチケットを後日贈ることにした。     クリスマスは過ぎ、ボクシングデー、ニューイヤーズ・イブ、そして年は2018年を迎えた。Appealの結果の連絡はなかった。   ぼくはCentrelinkのオフィスに行き、どうなっているんだと怒鳴り込んだ(もちろん平身低頭で)。   オフィスの入り口カウンターのおばさんが、パースのオフィスではAustudyの審査を行っていないから、CentrelinkのYouth and Studentに電話してみなさいとアドバイスしてくれた。番号は、132 490だ。   ぼくは昼食の予定があったホストファミリーの家に行き、すぐに電話した。   Centrelinkの自動電話対応の音声が流れた。ご用件は何ですかと聞くので、Appealとぼくがぶっきらぼうに言うと、わかりましたAppealですね?と音声ガイダンスは言った(すげー、AIの技術はこれから仕事をどんどん減らすなぁ)。ぼくがYesと答えると、そのまま担当者につないでくれるとのことだった。   それから約1時間の間、クラシックの音楽が流れた。いつになれば担当者と喋れるのか分からないぼくは、ホストファミリーの庭に水をやりながら時間をつぶした。   そして、電話をしたことすら忘れていたころに、Hello, may...

Dream Theater、の過去のアルバムを振り返る(その11)

  Dream Theaterの記事を書いたら、無性に彼らの音楽を聴きたくなった。   ということで、Dream Theaterのアルバムをひとつずつ振り返ることにした。   Dream Theaterの音楽を語れるほど彼らを研究しているわけではないので、アルバムが出た頃のぼくの思い出を書いてみようと思う。   Dream Theaterの11thアルバムは、『A Dramatic Turn of Events』だ。     https://www.youtube.com/watch?v=8k9XiYku5Ck   アルバムが出たのは2011年9月。ぼくは32歳。オーストラリアの医学部の2度目の受験し、オーストラリアの永住権はまだ取れていない。   深く暗い沼の中に沈みながらOutcryするぼくの心。君と一緒に歌えた時間はとても大切だった。    
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オーストラリア医学部の卒業式に行ってきた

  ぼくには、「オーストラリアで温かい医者になる」という夢がある。   この夢を追いかけるために、ぼくは2014年からオーストラリアのパースにある西オーストラリア大学(UWA)の医学部に在学している。   2017年は医学部を休学し、日本に戻ってもうひとつの夢「日本人の英語を変える」に取り組んだ。1年の休学で色々なことに挑戦した。とても、充実した年だった。(←詳しくは、こちらの記事をどうぞ)   2017年の年末にオーストラリアへ戻ってきたぼくは、医学部の友人たちに再会し、医学部最後の年を留年しないためのアドバイスを求めた。(←詳しくは、こちらの記事と動画をどうぞ)   ぼくの学年には250名ほどの同級生がいる。数が多いので、すべての人が友達になるわけではない(顔見知りにはなるけど、お互い名前を憶えていないので、なんとなく疎遠になる)。   それでも、勉強が大変な医学部は、仲の良い友達ができる。お互いに大変なことが分かっているから、助け合う精神が磨かれるのだと思う。苦労を共にすると、なかなか得難い友情が芽生えるのだ。人によっては、愛情が。   2017年12月12日、医学部の友だちが一足先に卒業式を迎えた。   https://youtu.be/-rI0wfmmw5k   友だちは、1年間(長い人だと2年間)も会っていなかったにもかかわらず、ぼくの顔を見るなり1年生の時のように声をかけてくれた。   卒業式のセレモニー会場から出てきたみんなは、目がキラキラしていて、誇らしげな顔をしている。   そんな彼らの顔を見ていると、ぼくは自然に胸が熱くなった。娘を嫁に出すお父さんの気持ちはこんなものなのかもしれない。   医学部の時間は濃密なのに、一瞬一瞬があっと言う間に目の前を過ぎ去っていく。走馬灯のような瞬間を、あなたたちと共有できたことは、ぼくにとっての大切な財産です。ありがとう。   そして、医学部の卒業、本当におめでとう。I am very very very very proud of you!   来年は病院で会いましょう、ドクター。   ぼくも頑張りますので、皆様からの応援をお待ちしております!  

Dream Theater、の過去のアルバムを振り返る(その7)

  Dream Theaterの記事を書いたら、無性に彼らの音楽を聴きたくなった。   ということで、Dream Theaterのアルバムをひとつずつ振り返ることにした。   Dream Theaterの音楽を語れるほど彼らを研究しているわけではないので、アルバムが出た頃のぼくの思い出を書いてみようと思う。   Dream Theaterの7thアルバムは、『Train of Thought』だ。     https://www.youtube.com/watch?v=0sAnfx_ewnk   アルバムが出たのは2003年11月。ぼくは24歳。オーストラリアの大学で卒論を書いている。   金魚を使った神経再生の研究。卒論が書き終わる間際にハーバード大学から発表された似たような研究。食い違うデータを論理的に口頭発表し最優秀賞をもらったプレゼン。   芝生の上でゴロゴロすることからも卒業しなければいけなかった。芝生との別れが一番辛かった。そのせいでぼくの心はVacantに。    

Dream Theater、の過去のアルバムを振り返る(その13)

  Dream Theaterの記事を書いたら、無性に彼らの音楽を聴きたくなった。   ということで、Dream Theaterのアルバムをひとつずつ振り返ることにした。   Dream Theaterの音楽を語れるほど彼らを研究しているわけではないので、アルバムが出た頃のぼくの思い出を書いてみようと思う。   Dream Theaterの13thアルバムは、『The Astonishing』だ。     https://www.youtube.com/watch?v=sZZF-2dZ5cM   アルバムが出たのは2016年1月。ぼくは36歳。奨学金をもらいながら、ブルームというオーストラリアの僻地で医学部3年生。   病院での研修と医学部の勉強の合間に、「日本人の英語を変える、ノンネイティブの英語を変える」という夢に向かい始める。この夢はぼくに、The Answerを求めている。   できるか・できないか、ではなく、やるのか・やらんのか。    

異能vation、の申請書を書いています

  日本政府が変な人を支援する「異能vation」の申請書を書いている。   記事「日本政府が「変な人」を支援するプログラム、に応募します」の中で、異能vationには「ジェネレーションアワード部門」と「破壊的な挑戦部門」があると説明した。   書いている申請書は、8つ!   ぼくは自分の「日本人の英語を変える、ノンネイティブの英語を変える」という夢を実現するために、ジェネレーションアワード部門に4つ、破壊的な挑戦部門に4つの申請書を書いている。   記事「日本政府が「変な人」を支援するプログラム、の説明会に行ってきました」で紹介した説明会で、ひとりが複数の応募をしても問題が無いことを知ったので、「数打ちゃ当たる」方式で、申請書をせっせと書いている。   申請書を書いている場所   ぼくが申請書を書いている場所は、近所の大学だ。   その日の気分で、西南大学の食堂に行ったり   出典:misaquo.org   福岡大学の中央図書館に行って、ノートパソコンとにらめっこしている。   出典:okamura.co.jp   申請書を大学で書く理由   ぼくが大学の施設を選ぶのには、大きな理由がある。   学業に励んでいる大学生を見ていると、ぼくも負けられないぞと気が引き締まるのだ。   自由な時間を謳歌している大学生を見ていると、残されている時間が彼らよりも少なくなっている自分のことを想い、やってやるという気持ちになれるのである。   あぁ、平凡なオヤジになってしまったなぁ。「変なオヤジ」になりたいようぉ。   締切の6月30日までに、法を犯さない「変なオヤジ」になってみせます。   ぼくが尊敬する 変なアーティストたち を聴きながら 申請書を書いています ↓↓↓↓↓↓ https://www.youtube.com/playlist?list=PLf4Xi7iEROlu0D1t8y6SCSuJI2OZVDXNn    

Dream Theater、の過去のアルバムを振り返る(その1)

  Dream Theaterの記事を書いたら、無性に彼らの音楽を聴きたくなった。   ということで、Dream Theaterのアルバムをひとつずつ振り返ることにした。   Dream Theaterの音楽を語れるほど彼らを研究しているわけではないので、アルバムが出た頃のぼくの思い出を書いてみようと思う。   Dream Theaterの1stアルバムは、『When Dream and Day Unite』だ。   https://www.youtube.com/watch?v=jIENpHrnw94   アルバムが出たのは1989年3月。ぼくは10歳。小学校4年生だ。   近くのお濠でアメリカ・ザリガニを採ったり、魚釣りを一日中するような活発な少年だったが、好きだった女の子に声をかけることすらできないシャイボーイでもあった。   いまでは、だれが好きだったのか。クラス写真を見てみないと分からない。   クラス写真を手に取って見てみると、頭に甦るあの頃の思い出。甘酸っぱくて、すこし苦い。   もし、Afterlifeがあるのなら、好きな人に好きと伝える少年になろうと思う。  

Dream Theater、の過去のアルバムを振り返る(その3)

  Dream Theaterの記事を書いたら、無性に彼らの音楽を聴きたくなった。   ということで、Dream Theaterのアルバムをひとつずつ振り返ることにした。   Dream Theaterの音楽を語れるほど彼らを研究しているわけではないので、アルバムが出た頃のぼくの思い出を書いてみようと思う。   Dream Theaterの3rdアルバムは、『Awake』だ。     ↓↓これはアルバムのインスト版(アルバムを買うと歌もあるよ) https://www.youtube.com/watch?v=NkZ3sNxSKbQ   アルバムが出たのは1994年10月。ぼくは15歳。チューさん(中学3年生)だ。   小学校からやっていたラグビーでレギュラーを取れずに挫折を感じたのが中学校3年生だ。レギュラーを取れなかったことが挫折ではなくて、明らめることが挫折なんだと学んだのがチューさんだった。   西南高校を受験したときに、お昼ご飯を持ってくることを忘れて、休み時間に昼飯のお金を家に取りに帰ったことを憶えている。それが原因か分からないが、西南高校には受からなかった。高校に落ちたことは不思議とScarredにはなっていない。    
ごとうひろみち
ごとうひろみち
『高校中退⇒豪州で医者』をいつも読んでいただき誠にありがとうございます。著者・ごとうひろみちに興味を持ってくれたあなたのために、詳しい自己紹介を←ここでしていますので、どうぞご覧ください。

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ぼくは高校英語が理解できなかった。そんなぼくがどうやってオーストラリアで医者になれたのか?この物語を読めば、あなたにも英語で夢を叶えるヒントが見つかるかも。

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日本人が海外医学部で一番苦労する(だろう)こと

  最近、ぼくはブログの中で、異能vationに応募したことや、英語コンサルを行っていること、ビジネスを学んでいることを、心赴くままに綴ってきた。この3つのことはすべて、ぼくが持っている「日本人の英語を変える、ノンネイティブの英語を変える」という英語ドリームを叶えるためである。この夢を叶えるには時間と労力がかかることは理解しているし、一朝一夕に実現できることではない。だからこそ、ぼくは医学部を1年間休学することを選択したのだ。   それでも、時間は、ぼくの人生から無表情に削り取られてゆく。   これまでのように、英語ドリームに時間と労力をかけることはできなくなっている。というのも、ぼくにはもうひとつの夢があるからだ。それはオーストラリアで温かい医者になるという夢だ。2018年には、西オーストラリア大学の医学部に戻り、医学の勉強を再開しなければならない。それも、医学部の最終学年であり、これまでの知識とスキルをしっかりと身に付けて、最終試験をパスしなければならない。   医学の知識とスキルは、使い続けていなければ、一気に頭の中から消えていってしまう。そのスピードたるや、頭の中の消しゴムどころの話ではない。誰かが巨大な業務用掃除機で、ぼくの頭の中にある知識とスキルを、けたたましい轟音とともに吸い取っていくレベルである。   https://www.youtube.com/watch?v=HOhgP4fEx6s   ↓次のページに続く     あなたも学校でこんな経験をしたことが無いだろうか?あなたは学校の試験のためにたくさん勉強する。それでも、試験が終わり会場を後にした瞬間、詰め込んだ知識がふわぁ~と頭から抜けて、もう一回試験を受けたとしてもパスする自信がない、みたいな経験が。ぼくは毎回の試験で経験します。   試験が終わってから数分~数時間しか経っていないのに、詰め込んだ知識が指先からこぼれていく感じがするのに、これが1年間だとどうなるのか?   はい、正直に言います。ヤバいです。留年確実です。何もしなければ。   https://www.youtube.com/watch?v=ZrSH_TsRsec   ということで、ぼくは日本での残された時間を少しずつ、医学の勉強に使い始めようと思っています。それもかなり効果的な戦略を練らないと、1年休学した後遺症のせいで留年が決定してしまうので、日本でできることから始めようと思います。しかも、自分の苦手分野と対峙することにします。   ぼくは医学部で筆記試験を落としたことはない。もちろん、たくさん勉強して四苦八苦するのは事実だが、筆記試験が苦手だと思ったことはない。筆記試験は、医学部が用意しているガイドラインの意図を読み取ることができれば、落とすことはない。高得点は取れないかもしれないが、落とすことはない。と思う。多分。恐らく。     しかし、ぼくには、逃げ出したくなるほど苦手なものがある。それは、医療現場におけるコミュニケーション技能である。コミュニケーション能力は、問診(History-taking)、身体検査(Physical examination)、医療検査(Investigation)、医学的管理(Management)、医療チームへの報告(Presentation)、などにおいて文字通り患者の生死にかかわる重要なスキルである。コミュニケーション能力が低いせいで医療ミスが起こることを、医学生は頭に叩き込まれる(参考文献)。   特に患者さんとのコミュニケーションが大事なことは、尊敬するオリバー・サックス氏だけでなく、医療器具に頼りすぎる若い医師たちを危惧する先輩方の医師が口をそろえて言うことである。   https://www.youtube.com/watch?v=8LZJz7GtJA0 動画でよく出てくるLVADは、Left Ventricular Assist Deviceの略(参照資料)   実は、このコミュニケーション能力が、ぼくが最も苦手とするものである。内向的な性格もひとつの要因ではあるが、苦手意識を作り出している一番の要因が「英語の壁」だと思う。英語ネイティブではない事に対する負い目みたいなものである。しかし、この負い目は、ぼくが頭の中で作り上げている「心理的虚構」にすぎないことにぼくはうすうす気づいている。できなくてもしょうがないという言い訳を作っているようなものではないかと。   もちろん、ネイティブの同級生に比べれば、ぼくは彼らの英語の表現の幅や奥ゆかしさには到底敵わない。しかし、医学において大事なのは、患者さんとコミュニケーションを取ることであって、英語の表現の幅や奥ゆかしさを競い合うものではない。とぼくは自分に言い聞かせることにした。←これが日本でできる一番目のこと。     次に、ぼくは医療現場における英語表現に慣れていないという事実。同じ英語であっても、働く現場によって使われる表現が微妙に変わることは当たり前で、とくにプライバシーや尊厳が重要視される医療現場の英語は、パブや家で話されているものとは違うものだ。この微妙に違う言葉遣いにぼくが慣れていないのだ。だから、医療現場に立つと医者や医療スタッフが何を言っているのか分からないし、何を言えばいいのか分からないのだ。   医療現場の英語表現に慣れるために、日本にいるぼくができることは何か?   いきなり近所の大学病院に押しかけて外国の患者さんに対して英語でコミュニケーションをしてみるというのはどうだろうか?否。ぼくはオーストラリアの医学生であって、日本の医学生ではない。そんなことをしていたら、書類送検でとっ捕まってしまう。   https://www.youtube.com/watch?v=2ue_wRn-Ke8   現場で学ぶことが一番だが、それが無理なら書籍から学ぶしかない。と考えたぼくは、近所のジュンク堂や丸善、紀伊国屋を周り、自分のためになりそうな本を探し回った。     そのなかでも、置かれていた医療英語の書籍をすべて立読みし、そのなかでも自分の学習のためになりそうな9つの書籍を購入した。まだ書籍を読み終わったわけではないので内容には触れないが、それぞれ違った角度から「医療現場で使われる英語」を紹介している。   やさしい英語で外来診療〜聞きもらしのない問診のコツ   CDで学ぶ 外国人患者が来ても困らない 外来診療のための英会話   医師のための診療英会話   医師のための身体診察と検査の英語   医師のための医療面接の英語   CDで学ぶ医師のためのオールラウンド英会話   CD付き 正しく診断するための...

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  えー、巷では名須川天心対フロイドメイウェザーの世紀の一戦がもっぱらの話題です。英語の世界も負けてられん、と【世紀の一戦】ごとうひろみち 対 Atsueigo を(一方的に)実現させました。それでは、前置きを含めてどうぞ。   ☆★☆★☆★☆★   オーストラリアの医学部を卒業した後、日本に一時帰国し、総務省の異能vationのイベントに参加したり、Urdocアプリの創始者と対談したり、日本の医学生に臨床英語のセミナーを開いたり、東大で先生をしている友人にサインをもらったり、1日5~8時間ぐらい東京の町を当てもなく歩いたりした。   オーストラリアにとんぼ返りする直前にAtsueigoさんの東京トークライブに参加してきた。今回の記事では、トークライブでのAtsueigoさんの印象や、Atsueigoさんがこれから挑戦しなければならない問題を提起していく。記事の流れはこうなっている。   Atsueigoとは誰なのか? ごとうひろみちとは誰なのか? Atsueigoのトークライブと彼の英語力 Atsueigoに挑戦状を叩きつける 挑戦状の先にあるもの   まずは、自己紹介から。Atsueigoさんを知らない方のために、彼のことを簡単に紹介しておく。   Atsueigoとは誰なのか? 以下、Atsueigoページより抜粋。   ...

オーストラリアの医学部に進もうかと考えている日本の女子高生からの悩みに、ごとうひろみちが答えてみた

  ぼくのブログには、オーストラリアで医者になりたいというコメントがたくさん寄せられます。そのほとんどは、具体的なプランが無いなど、どうやって返信をしていいのか分からないものが多いです。 そんな中、オーストラリアの医学部に行くことを真剣に考えている日本の女子高生からお便りをいただきました。丁度、深夜勤務明けのお休みの日にお便りをいただいたこともあり、ぼくも真剣にコメントを返してみました。 以下、高校生からの文章を太字にして、パラグラフごとにぼくなりの返事をしています。   こんにちは、初めまして。 ⇒初めまして。   今回は大学進学について悩んでいたところ、このサイトと出会い、ぜひ助言をいただきたくこの文面を書いています。拙い文章力で申し訳ありませんが、しばらくお付き合いください。 ⇒この時点ですでに文章力の高さを感じます。   私は広島在住の18歳で、将来の夢は小さな頃から医師になること、「人の命を救うこと」でした。昨年高校を卒業し、高校では日本の文部科学省規定の学習ではなくIBディプロマを取得しました。英語でBiologyやChemistryなど、様々な科目を学習してきた私でしたが、自分の英語に日本人の中では話せる方であったとしても、nativeと戦っていけるほどの自信はなかったので、そのまま日本の大学(subject requirementの関係で一校のみ)を受験しました。しかしscoreがrequirementに及ばず不合格に。医師の道を諦めるという選択肢はなかったので、IB生では異例の浪人を決意し、IBの最終試験の再受験のための勉強(自宅にて)とセンター試験のための勉強を一から(予備校にて)並行して行い、無事IB scoreはrequirementを越え、今年はセンター試験の点数も持っていたため、昨年受験した大学を含め三校受験しました。一週間ほど前に開示された結果は全校不合格でした。 ⇒IBディプロマというものがあるんですね。知りませんでした。まずは、IBディプロマ修了おめでとうございます。大学受験は残念でしたが、前に進んでいる(行動している)ので全く問題ありません。今は胸が痛いかもしれませんが、数年後にはこの経験があったからこそ「自分」のアイデンティティが確立されたと思えるようになります。   合否発表前より、全て不合格だった場合にはどうするかを考えており、以下の2つが家族の中でも濃厚な線でした: 1. ハンガリー医科大学時事務局を通じてハンガリー国立大学医学部を受験し、進学。卒業後は日本の医師国家試験を受験(卒業と同時に受験資格は得られる)し日本で医師として働く。 ⇒ハンガリー医科大学事情は詳しく知らないのですが、確か留学生の留年率が50%だったような気がします。つまり、毎年、半分の同級生が留年するというとても大変な道のりです。このことを考えると、日本で浪人をして日本の医学部に行くほうが時間的・金銭的にベターかも、という可能性も見えてきます。 追記:留年率は66%でした。過去記事を参照。   2. オーストラリアの大学に進学し(昨年の段階で合格はもらっていたため)、学士をとった上で帰国、日本の国立大学医学部へ学士編入し、日本で医師として働く。元来私は日本で医師になることを目標にしていたので、このどちらかを考えていました。しかし、高校の先輩で今オーストラリア・ブリスベンで看護師として働く方と話す機会があり、とても生き生きと自分の夢に向かって走っている彼女の話を聞くと、この先輩のようになりたい、オーストラリアに進学したいという気持ちが強くなりました。 ⇒オーストラリアの大学合格おめでとうございます。パチパチ!素晴らしいです。オーストラリアで学士を取った後、日本の医学部に編入する選択肢も現実的です。おそらくですが、オーストラリアで学士を取ると、そのままオーストラリアの医学部(大学院コース)に進みたくなるかもしれません。これも、選択肢の中に入れておいてください。   両親も私が医師になる夢はずっと応援してくれているので、日本での進学の道がほとんど閉ざされてしまった今、オーストラリアへの進学を前向きに考えてくれています。 ⇒両親が応援してくれるのは、すごくプラスです。ぼくは、誰からも応援されることなく医学部受験をしたので、両親が応援してくれたら、もっと高い点数を取ることができたかもしれません。   ただ、master courseの学費の高さや、(学費を安くするための)永住権取得の難しさ、そしてオーストラリアで日本人が医師になることの現実性など、本格的に考えれば考えるほど、実際に医師として働けるなど夢のまた夢のように思えてしまっています。 ⇒学費の高さは、とても重要なポイントです。最近では、クラウドファンディングなどで学費を捻出する強者もいるようですが、ほとんどの人は高い学費が払うことができずに医学部に行くことを断念します。ぼくもその例にもれず、医学部を3度受験し3回合格したにもかかわらず、永住権が無かったために2回入学を辞退しています。ここをどうクリアするかは、経済事情によりますので、ご両親とよく議論されることをお勧めします。オーストラリアで日本人が医師になることの夢のまた夢と表現されていますが、オーストラリアで働く日本人医師はちらほらいます。例が少ないために、「無理なんだ」と思い込んでいるだけだと思いますよ。前例が無ければ自分が最初の例になればいいだけのことです。   一番の夢が「人の命を救うこと」である以上、医師になれる確率が高い道、という考えで進学先を決めるとすると、上記のようにハンガリー -> 日本、もしくは学士編入が良いのでは、という考えが両親の中では強いようです(医師として働けるようになるまでの年月も踏まえて)。 ⇒日本で医師になることを前提にハンガリーへ留学する人が多いことは認知しています。詳しいことは知らないのですが、ハンガリーの医学部には日本の医師国家試験の勉強もしている医学生が周りにいるらしいです。この点において、オーストラリアよりもハンガリーのほうが有利かもしれません。というのも、オーストラリアの医学部には日本人の医学生はゼロですし(いるのかなぁ?)、周りに日本の医師国家試験の勉強する人はいません。アメリカのUSMLEを受験する人は少ないですが存在します。   私の一番の希望は、オーストラリアでbachelorをとり、その後永住権をとった上でmasterに進む、という道ですが、masterへの進学が叶いそうにない(永住権を取れそうにない)場合は、bachelorだけでもオーストラリアで取得し、そこからハンガリー/日本の医学部へ進学/編入したいと考えています。*bachelorに関してはメルボルン大学またはUQのbachelor of...

最新のブログ記事

丹精込めて書きました

オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート5:リハビリ科)

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。ぼくはその夢を叶えるべく、オーストラリアの医学部を卒業し、インターン医師として次の4つの研修を無事修了した。 一般内科 (General Medicine)(リンク) 移植外科 (Transplant Surgery)(リンク) 救急医療 (Emergency...

オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート4:コロナウイルス病棟)

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オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート2:急性疾患医療)

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オーストラリアで総合医になる必勝方法

  ぼくには、「オーストラリアで温かい医者になる」という夢がある。この夢の旅路に就くまでのその道は、控えめに言っても、紆余曲折で満ち溢れていた。   ごとうひろみちの紆余曲折の人生に興味のある方はこちらをどうぞ。 ↓↓↓↓↓↓   オーストラリアの医学部を一年休学した後に卒業し、ぼくは現地の病院に就職した。現在は、医師3年目のペーペー Registrarをやっている。通常、オーストラリアで言うRegistrarは「専門医になるための訓練を受けている医師」を指すのだが、ぼくはいまService registrarという少し変わったポジションで働いている。Service registrarは、特定の専門のトレーニングプログラムに入っているわけではないが、病院側が働き手が一時的に足りていない分野に送り込むRegistrarのことを指す。オーストラリアの医師のハイラルキーに興味がある方は、過去記事『オーストラリアのインターン医師になったらやらなければならない6つのこと』をどうぞ。   インター医師よりも経験はあるが専門をまだ決めかねている医師は、このService registrarとして働くことが多い。そして、Service registrarとしてインターン医師よりは重い責任を負いながら、どの専門に進むかを考えている。どの専門に進むのかを決める要因は千差万別で、流行りの専門を選ぶ医師がいたかと思えば、朝の問診が嫌いだからという理由で救急医療を選ぶ医師がいたりする。色々な思惑と背景を持った医師がいる以上、これさえ押さえておけば専門医トレーニング選びに後悔しない、というものはない。 ちなみに、医学部に入ったときにこんなフローチャートが授業で出てきたが、あながち間違いではないような気がする。専門を迷われている方は参考にするといいかもしれない(が、あまり気にする必要もないと思う)。     オーストラリアのインターン医師は、大きく分けて外科、内科、救急、精神科のローテーションを通じて医師としての一般的なスキルを磨く。3年という限られたインターンシップの期間中に、すべての科を回ることは不可能である。あらかじめ「~科で働きたいなぁ」と思っている医師は、病院側にその科に優先的に回してもらうことをお願いする。また、「~科には興味がない」ということを病院側に伝え、それ以外の科に回してもらうこともできる。   ぼくは医師として以下のローテーションを回ってきた。 1年目 内科(記事) 移植外科(記事) 救急(記事) ...

オーストラリア医師、レジストラを振り返る(パート1:リハビリ科)

  ぼくは「オーストラリアで温かい医者になる」という夢を持っている。ぼくはその夢を叶えるべく、オーストラリアの医学部を卒業し、インターン医師として次の4つの研修を無事修了した。 一般内科 (General Medicine)(リンク) 移植外科 (Transplant Surgery)(リンク) 救急医療 (Emergency...